Heidi 10

「本に関する仕事なら、役に立ちそうだな。場所は少し遠いが心当たりがある」

「師匠の知り合いですか?」

「いや、違う。だが作戦がある。ハイジ、お前にも一枚噛んでもらうぞ」

「わかりました、何なりと」


ハイジは素直に頷いた。どうやら師匠に対する苛立ちは矛を収めたようだ。


「まず、今回の義勇兵で、一番多く敵を倒したのはお前だ、ハイジ」

「はい」

「……なんだ、張り合いがねぇな……まぁいい。とにかく、この成績なら、間違いなくライヒ卿から褒美が出るはずだ」

「そうですか」


 そもそも義勇兵は数合わせの要素が大きい。その中で十も星を落としたハイジはぶっちぎりで最優秀のはずだ。ちなみにヨーコとヘルマンニはすでに傭兵として登録されているので、義勇兵にはカウントされない。


「褒美は金貨とか一代限りの爵位とか、普通はそんなもんだが、ハイジ。そこでユウキの仕事を探してもらえ」

「……貴族にそんなことを頼めるもんですか?」

「そこは俺が根回ししてやる。だからお前はこう言うんだ。『自分には、体の弱い弟一人います。弟が生きていけるように、ヴォリネッリで仕事を与えてくださいませ』ってな」

「弟、ですか」


 ハイジがユウキをちらりと見ると、ユウキは何を思ったのか、コクコクと頷いてみせた。


「ああ。そのほうがいい。まぁ、そのガキが『はぐれ』だってことは見りゃわかることだが、一応この世界の人間ってことにしておけ。あまり目立つと、またハーゲンベック辺りが邪魔してきかねん」

「……ハーゲンベックが……」


 ハーゲンベック、という言葉にハイジが反応するが、これはいつものことである。アゼムはどこ吹く風で説明を続けた。


「でな、お前がそうやって直訴するだろ? すると周りが不敬だなんだと騒ぎ出すだろう」

「そうなんですか?」

「ああ、平民が貴族、しかも領地持ちの領主に直訴なんかしたら、不敬罪でとっ捕まる」

「だめじゃないですか」

「だから、ちゃんと根回ししといてやるっつってんだろ。周りが騒いでもお前は黙って頭を下げてりゃいいんだ。そしたら、ライヒ卿は「その弟に何か特技があるなら考えよう」と答えるはずだ。そこで「弟は、一度読んだ本のことは決して忘れません」とアピールしろ」

「なるほど」


 どうやらアゼムにはハイジにはわからないライヒ卿との交流ルートがあるらしい。


「いいか? 事前にライヒ卿に話が通っているとは言え、周囲は黙っていない。だが、無視しろ。ライヒ卿がウンと言えば、全ては解決だ」

「……それはいいとして、心当たりとは結局何なんですか?」

「うむ、それはな。ライヒ卿は、そもそも軍事ではなく、頭脳で成り上がった新興貴族だ。主に政治学と経済学だな。王族からの信頼も厚いし、同時に他の貴族から狙われやすい理由にもなっている」

「まぁ、実際今回のリヒテンベルク戦もギリギリでしたしね」

「そういうわけで、ライヒ卿は大量の書籍を残している。つまり、王国図書館にはライヒ卿のシンパが大量に居るってわけだ」

「なるほど!」


 話し合いというよりは、すでに悪巧みのようだが、ハイジはアゼムの提案を喜んだ。

 ハイジには学がない。しかし、アンジェの薦めで本を読むことは多かった。ハイジが読んできたのは娯楽の範疇のもの過ぎなかったが、王国ならきっと、もっと実利に結びついた書籍がたくさんあるのだろう。

 ユウキはどうみても文官向き(=肉体労働向きでない)だし、少し話しただけでも頭の良さがよくわかる。何しろ、たった数時間で流暢にこちらの言葉を覚えたほどなのだ。しかも一度読んだ本のことを忘れないというのであれば、図書館務めは天職だろう。

 

「ユウキは、それでいいか」

「は、はい、お願いします!」


 そういう事になった。



 ▽



 儀礼戦が終わっても、リヒテンブルクが白旗を揚げるまでには多少の猶予があったため、魔物の谷少年傭兵団は来たるべき次の戦いに備えてライヒ領に滞在することになった。

 ライヒ領はまだ貧しく、国からあてがわれた宿舎もさほど豪華なものではなかったが、できる限り快適に過ごしてもらおうという心づくしが随所に感じられた。

 ユウキは傭兵団と行動を共にしている。ハイジにベッタリと懐いていたが、そのうちに慣れてきたのか、ヘルマンニやアゼムとも少しずつ打ち解けていった。何故かヨーコのことだけは苦手なようだったが、ヨーコはヨーコで子供に対して冷たいところがあって、要するにそれぞれが収まるべきところに丸く収まった形だ。


 数日の滞在の後、リヒテンブルクが停戦を申し出たと速報が入った。

 リヒテンブルクは戦争屋である。故に、戦って得がないなら、あっさりと手のひらを返す。もし停戦の条件に莫大な賠償金などを突きつければ、あっさりと申し出は取り下げられ、泥沼の戦争になったかもしれない。

 それがよく解っているライヒ卿は、賠償金ではなく今後二十年の間は決して矛を交えないことを条件とした。これならリヒテンブルクには大きな損はないし、ライヒにしても喉から手が出るほど欲しかった平和を、ひとかけらとは言え手に入れることができる。その二十年の間に力をつければ、大貴族に目をつけられることも少くなるだろう。


 案の定、リヒテンブルクは条件を飲んだ。条約はヴォリネッリ中央政府に受諾され、これでもし条約を破って粉をかけてきたなら、リヒテンブルクはオルヴィネリ中央軍を相手にすることになる。ひとまずは安心して良い。


 アゼムは政治的にも重要な役割を担っていたため、ほとんど宿舎に居着かなかったが、ヨーコとヘルマンニは平和な街を堪能しまくった。ハイジはあまりそういった遊びには興味がなく、ユウキと宿舎で本を読んで過ごした。

 本は、ライヒ卿の書いたものだ。ハイジはそれを読んで甚く感動した。自分など、勧善懲悪のごとくハーゲンベック伯爵を打ち取る事ばかり考えていたのに、ライヒ卿は政治的・経済的な独立を勝ち取るための手段を深く研究している。善悪よりも領全体の幸福度をあげることを徹底しており、ハイジにとっては目からウロコであった。


(凄まじい人がいたものだ)


 師匠アゼムが惚れ込むのも無理はない。軍事が弱いのが玉に瑕ではあるが、他領からちょっかいさえかけられなければ、ライヒ領がヴォリネッリの大貴族へ出世するのは時間の問題だと思われた。


 だから、珍しく宿舎に顔を出したアゼムから「ライヒ卿から褒美が出るので、登城するように」と言われた時には、ユウキのことよりもまずライヒ卿の顔を見られることを喜んだ。


 しかし、謁見の間で控えたハイジが目にしたのは、ライヒ卿の意外な姿だった。



 ▽



 初めは女性かと思った。

 そのくらいライヒ卿は想像とかけ離れた姿をしていた。

 背が低く、線も細い。さすが貴族というべきか、恐ろしく整った顔をしている。そういえば卿の肖像画を飾るのが流行っているという話だったか––––どうやら師匠の冗談ではなかったようだ。しかし表情はどこか疲れている。寝不足なのだろうか。目の下にはくっきりとクマがあり、まるで謁見の直前ギリギリまで仕事をしていたかのように見える。

 歳は領主と言う割に随分と若い。三十代で違いないだろう。下手をすると二十代にも見える。そして、目は青みがかった暗い灰色、そしてだった。


(まさか『はぐれ』か?)


 ハイジが一瞬そう思ったのも無理はない。そのくらいこの世界では黒髪は珍しいのだ。

 ライヒ卿はいかにも普段着といった動きやすそうな部屋着に、領主らしさを取り繕うかのように豪華なローブを羽織っている。はっきり言ってローブだけが浮いている。見た目に頓着がないタイプのようだ。


「キミがハイジか」

「ハッ! ハルバルツ・ハイジ・フレードリクと申します、閣下!」


 ライヒ卿の声はとても静かで柔らかかった。その声を聞いたハイジはふとアンジェの声を思い浮かべ、とっさに頭から振り払った。


「アゼムから、抜きん出て優秀な弟子だと聞いているよ。なんでも、リヒテンベルクの兵を二桁も倒したとか」

「運が良かっただけです、閣下」


 事前にアゼムから教わっていた台詞を返す。付け焼き刃だが、失礼なことを口走るよりはよほど良い。


「さて、ボクにはあまり時間がないので手短に行こう。ハイジ、この度の働き、見事だった」

「ハッ! 過分な評価、痛み入ります!」

「褒美を取らす。まず、金貨十枚。そして勲功爵の地位を与える!」


 ライヒ卿の言葉に、部屋に控えた貴族達から「おー」と声が上がった。

 金貨十枚は貴族からの報奨金とすればさほど大金ということもないが、ライヒ領の経済状況からすれば破格である。何よりも、義勇兵に爵位が与えられることなど、なかなかあることではない。

 勲功爵というのは、要するに騎士爵のことで、貴族が下賜できる最高の位である。これより上となると、国王の権限となる。


 新しい貴族の誕生に、謁見の間に拍手が湧き上がる。しかし、ハイジが必要としているのは金でも地位でもなかった。


「恐れながら!」


 ハイジは緊張のあまり、声を張ってしまった。場はしんと静まり返って、何事かと貴族たちの目がハイジに集まった。


 ハイジは空気が読めない男である。すべきことをすると決めれば、人の目など埒の外である。

 ライヒ伯は静かな声でハイジに声をかけた。


「ハイジ、何か言いたいことがあるのなら言ってみよ」

「ハッ! 実はお願いしたいことがございます」

「言ってみたまえ」


 ライヒ伯は先を促したが、貴族たちがザワザワし始める。


「私には、体の弱い弟が一人います。ご承知のとおり私は傭兵で、弟と共に生きることが難しいのです。どうか、弟が生きていけるように仕事を与えてくださいませんか」


 何度も繰り返して練習した台詞だ。噛まずに言えたので、ハイジはホッと息を吐いた。貴族たちがザワザワしていたが、ライヒ伯が「静粛に」と言うと、すっと静かになった。


「ふむ……弟思いの良い兄ということか」

「……恐れ入ります」

「弟氏には、何か特技でもあるのかね」

「ハッ! 弟は非常に頭がよく、また、一度読んだ本の内容は決して忘れないという、稀有な特技を持っています。きっとお役に立てるはずです」


 ここまでは、予定通りだ。師匠アゼムは約束を果たしてくれたらしい。


「ふむ……つまり、金貨や爵位ではなく、弟の仕事が欲しいと、そういうわけか」

「ハッ、私は戦うことにしか能のない下賤のものなれば、そのような待遇は過分かと存じます」


 ハイジが言うと、ライヒ伯は「はっはっは」と声を上げて笑った。そして次の言葉にハイジは目を丸くした。


「だが嫌だね! ボクがあげると言ったらあげる。それはもう決まったことだ。キミに拒否権はない!」

「っ!!」


(師匠……本当に根回ししてくれたんだろうな!?)


 ハイジは予定外の事態に目を白黒させたが、ライヒ卿は楽しそうにハイジを見下ろして、言葉を続けた。


「だが、弟氏のために仕事を探すという兄の願いを断るのも、主君としては忍びない。そこで、一つ条件を出そうじゃないか」

「……ハッ! 私にできることなら何なりと……」


 ハイジはアドリブに弱かった。しかしユウキのためにここは上手く乗り切らなければならない。

 ハイジの焦燥を知ってか知らずか、ライヒ卿は立ち上がってハイジの目の前までやってくると、ストンと胡座を組み、ハイジの肩に手を置いた。


「じゃあ、友達になってくれ」

「……は? 何と?」

「うん、ボクと友達になってくれるのなら、の仕事を斡旋しようじゃないか」


 黒髪の弟––––その言葉でハイジはライヒ卿はすでにユウキの出自を知っていることを理解した。その上で、どういう理由かはわからないが、ハイジと友人になろうと持ちかけている。


(どっちだ?! ハイが正解なのか、それともイイエが正解なのか?!)


 ハイジは脂汗をかきながら、言葉を絞り出した。


「お、お戯れを……」

「うん、戯れてるつもりはないよ、ハイジ。なんだい、そんなに弟思いのくせに、その弟氏のためであってもボクと友達になるのは嫌だとでも言うつもりかい? それは傷つくぞ?」

「いえ! 決してそういうわけでは!」

「なら、どうする?」

「……ハッ! では、ありがたくお言葉のとおり、友としてあろうことを誓います!」


 ハイジが頭を下げると、ライヒ卿は小さな声で囁いた。


「キミが『はぐれ』に育てられたことは、アゼムから聞いて知っている。実はボクもなんだ。まぁ、ボクの場合、実母が『はぐれ』だったんだけど……同じ境遇の人間は初めてでね」


 ハイジはハッと顔を上げた。

 そこには、悪戯な表情の青年が親しげにハイジを見つめていた。

 黒髪にその目の色は青みがかった暗い灰色––––もしアンジェに子供がいたら、こんな風だっただろうか。


「ボクには野望がある。そのためには家臣じゃなく、友情で結ばれた同志が必要だ。アゼムのようなね。ハイジ、キミもどうかボクの友人になってくれないか? アゼムからも、キミが信頼できる男だと聞かされているよ。キミはボクを信頼してくれるかい?」


 その言葉に、ハイジはライヒ卿の言葉が嘘でないと信じる事ができた。


「ハッ! ……喜んで拝命いたします」

「ふむ、キミは随分と堅っ苦しいね……じゃあ早速だけど、今晩アゼムと一緒にうちに遊びに来るといい。歓迎するよ」

「かしこまりました」


 ここまで話すると、ライヒ卿はすっと立ち上がって、大きな声で宣言した。


「皆の者、聞いての通りだ! 今日この時を以て、我が騎士、ハイジはボクの友人となった! 異論のあるものはあるか!」


 反論は起きなかった。しかし、周りを囲む貴族たちがこぞって頭痛を押さえるように額に手をやっているのを見て、ハイジは不安になった。なぜなら、その様子には見覚えがあったからだ。


 ちょうど、師匠アゼムがバカをやらかした時の弟子たちが、こんな風ではなかったか。

 先の思いやられる光景であった。

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