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「ひゃぁああ!」


 あたしの動きを見て異常さを感じ取ったボッジは、間抜けな声を上げて逃げ出した。


「おいッ! ボッジ! 逃げるんじゃねぇ! 二人で挟むんだよ! バカ!」


 リーダー格の男が怒鳴る。ボッジは立ち止まらずに逃げようとして、何かに躓いたのか、雪の中を転がるように倒れ込んだ。

 

(––––よしッ! これで、とりあえず一体多数の状況だけは避けられた!)

(ボッジとやらが起き上がってこちらに向かってくる前に、こいつを殺す––––ッ!)


 目の前のリーダー格の男は油断なく、あたしから目を離そうとしない。

 対し、あたしはボッジのことも警戒しなくてはならない。魔力探知。状況を把握するためにサッと周りを見回す。だが、ボッジの様子がおかしかった。首のあたりからまっすぐに矢が生えている。ピクリとも動かない。


(……どういうこと?)

 

 その上、魔力探知には人間らしき反応がもう一つ。敵の数が三人なのは事前に魔力を通じて数えている。間違いないはずだ。

ということは––––––––!


 ––––––––ハイジ!


「な、なんだぁ!?」


 リーダー格の男が慌てたように振り返った。

 そこには巨大な虎にも似た男の姿が、まるで天災のようにはだかがっていた。

 呆然とする盗賊に対し、猛獣ハイジが剣を振るった。


「ガァアアッ! お、俺の指がッ!!」


 男はとっさに剣でそれを防ごうとする。抵抗虚しく男の指が宙を舞う。手から剣がすべり落ちた。慌てた男が指の無くなった手で腰から短剣を抜こうとして失敗する。

 ハイジは悪鬼のごとき形相で男を蹴り飛ばす。


「ぐぁっ!!!!」


 ドスン、と踏み潰すかのような体重の乗った一撃だ。同時にボキリと鈍い音がした。男の意識は一瞬で刈り取られる。


「ハイジ––––!」


 あたしは思わず走ってハイジに縋り付いた。重機のような巨大な体が難なくあたしを受け止める。

 その安心感と言ったら––––!


 本当は怖かったのだ。怖くて怖くて仕方なかったのだ。自分でも気づかなかったが、精神はもう限界だった。しかし、ハイジがいるだけで、体中が圧倒的な安堵感に包まれるのがわかった。


 ようやく体が震えだす。

 気遣わしげな目でハイジがあたしを見た。


「……無事か」

「う、うん……」

「そうか」


 ハイジはゆっくりと歩いて、転がっていった男を捕えに行く。


 当たりを見回すと凄惨な光景が広がっていた。

 小屋から漏れる暖かい色の灯りと、凍えるように青白い月灯りの下。あたしが殺したハンスという男の周りは血溜まりになっている。ボッジという男もピクリとも動かない。

 魔力を通せば見間違えることはない––––二人とも完全に死亡している。


(人間が二人死んだ)


 悪い夢のようだ。まるで現実感がなかった。

 人の死をこれほど身近に感じることは、これまでの人生で一度もなかった。

 しかも……


(ウグッ……)


 


(あたし、人を殺した)

(あたしが殺した)


 正当防衛だ。戦わない選択肢はない。他に道がないのなら、迷う必要はない。後悔は無意味だ。それでも吐き気が止まらなかった。へたり込んで、その場で夕食を全部吐いた。


「げぇっ……うぐっ、うげぇっ……ゲホゲホッ……ゲェっ」


 目眩がする。寒いのか暑いのかもわからない。体がグラグラとおかしな具合に震えている。


 ハイジはリーダー格の男を引きずって歩いていく。


「は、ハイジ、どこへ行くの?」

「尋問する」

「ま、待って」

「来るな!」


 珍しく、ハイジが大きな声を出した。

 あたしはビクリとして立ち止まる。これまで、ハイジが大きな声を出したことは一度もなかった。あたしを怖がらせたことも。しかし、今のハイジの声は、明らかにあたしを威嚇し、拒絶するものだった。

 ハイジは男をズルズルと引きずって、歩いていく。


 その姿に、カッとなった。


(……行かせるもんか!!)


 口の中に残る吐瀉物の味が不快だったので、ペッと唾を吐くと、あたしは震える足に力を込めて立ち上がった。

 ハイジを追う。ハイジは振り返ってあたしを睨み、もう一度同じ台詞を、今度は静かに繰り返した。


「……来るな」

「……嫌よ」

「お前が見るべきものじゃない」

「……尋問するんでしょう?」

「そうだ」


 ハイジは今からこの男を痛めつけるつもりだ。そして、その姿をあたしに見られたくないらしい。

 それはすなわち––––。


(あたしがまだということだ)


 嫌だ。

 それだけは許せない。

 それだけは絶対に許容できない!


「その命令には従えない。あたしはそれを見届ける義務があるわ」

「……命令じゃない。これはだ」

「ますます聞けないわね。だってあたし、もう、すでに一人、人を殺してるのよ」


 あたしが言うと、ハイジは目を見開き、そしてあたしを睨みつけた。


「……殺したのは俺だ」

「……何を言っているの? 違うわ。あたしが殺したのよ」

「いいや、殺したのは俺だ。そういうことにしておけ。……しておいてくれ」


 ハイジの目は悲しげにあたしから逸らされる。


「ハイジ!!」


 その様子を見たあたしは思わず激高した。

 思い切り拳を振りかぶって、ハイジに打ち付けた。


「勝手なことを言うなッ!」


 力いっぱい殴ったはずが、ベシンと間抜けな音が鳴るばかりだった。どんなに殴ろうとハイジにダメージが通るはずもないが、それでも構わなかった。何度も何度も、力いっぱい殴りつけた。

 ハイジは避けることもなく大人しく殴られながら、静かに言った。


「……見てどうなる。何の意味もないだろう。……見るべきじゃない」

「嫌だ! 殺したのはあたしだ! その男たちはあたしを攫おうとした! あたしの敵だ!」


 あたしはなおも殴りながら怒鳴った。ハイジの体は岩のように固く、拳と手首が悲鳴を上げている。


「あたしの罪を勝手に背負おうとするな! それはあたしの罪だ! あたしは知る義務がある! 知らなくてはならない!」


 吐いた時に喉を傷つけたのだろうか、怒鳴り声はしまいには音にならなかった。それでも殴りながら怒鳴り続けた。

 いつの間にか涙がこぼれていた。

 ハイジはぐっと唇を噛み締めてそれを聞いていたが、諦めたように一つ小さなため息を吐いた。


「わかった、付いてこい」

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