6
「じゃあ、サーヤ様、とでも呼べばいい?」
「やめてよ、堅っ苦しいのは嫌い。様付けも余計だわ。同じ日本出身なのよ?」
「そう……じゃあ、あたしもサーヤって呼んでいいのかな」
「ええ、そう呼んでくれると嬉しいわ。リンちゃん」
サーヤは、人の心に入り込むのが上手いらしい。するりと懐に入られてしまった。
あたしの中の警戒心があっという間に解除されていく。
さすがは貴族と言わざるを得ない。
「それで? あたしと会ってみたかったって言ってたけど、目的は果たせたかしら。ご期待に沿えてたらいいんだけど」
「もう、そんなに構えないで。ただ……うん、そうね。私もずっとハイジのことは情報を集めていたのだけれど、また『はぐれ』を拾ったらしいと聞いたときは驚いたわ」
「どんなヤツだろう、って思ったでしょう?」
「正直思った!」
そう言ってサーヤは笑った。
なんとも言えない魅力的な笑顔だった。
「私ね、彼のことが好きだったんだけど……一緒にいられなかったの。そのあたりの話は知ってる?」
「んー、少しだけ。でもほとんど知らないかも」
「そう。でもそうね、だからリンちゃんの存在を知ったときは、やきもちを焼いちゃった」
「やきもち?」
「だって……あたしじゃ彼の横には立てなかったから」
そういうサーヤに、暗い印象はない。
「役に立てないって……何故?」
「戦えないからよ」
「やってみればよかったのに。ハイジは戦い方を教えるのが上手いよ?」
「私、体が弱いから。激しい運動をしたら、すぐに熱が出るし」
「ああ……それじゃあハイジのしごきには着いてこれないか……」
「それに、彼の負担になるのも嫌だったのよ。寂しの森での生活も厳しかったし」
「ふぅん……」
「だから、ある日、お義父さま––––ライヒ伯に養女として迎えたいって言われて、行こうって決めたの」
「なぜ? ハイジのことが好きだったんじゃないの?」
「好きだったからよ」
サーヤは屈託なく笑う。
「彼って過保護じゃない?」
「まぁ、そうね」
「彼、もし自分が死んだら、そのあと私がどうなるかわからないって。私は一人では生きていけなかったし、もし彼が死んで残されたら、きっと貴族に攫われるか、下手をすると奴隷にされるかも、って言われてね」
「ああ……」
「あたしが貴族の一員になること彼が望んだから、あたしはそれを受けたんだ」
「そうだったんだ」
「戦う力があればまた違ったんだろうけどね。あたしでは、彼を支えることもできないでしょう?」
「ハイジはそんな事、求めないと思うけど」
「あたしが嫌だったのよ。それに、彼ってば、あたしのことを女だと思ってなかったのよ?」
「……あれ? ハイジって貴方のことが好きなんだと思ってたんだけど」
「うーん、それはないんじゃないかな。だってあの人、いつもしかめっ面で、あたしが寂しくなって甘えに行っても、いつも全然相手にしてくれなかったのよ?」
ひどいと思わない? とサーヤが言う。
いやぁ、それはハイジなりの配慮だったんじゃないかなぁ、とは口にしなかった。
* * *
それからあたしたちは、ハイジについて色々な話をした。
どうやらハイジは、当時も今と変わらないデリカシー無し男だったらしい。
ぶっちゃけた話、あたしがドン引きするようなエピソードが目白押しだった。
「やっぱりあの男、ただのバカなんじゃないの」
「わたしも何度そんなふうに思ったことか……」
変な共通項のおかげで、妙な連帯感を得てしまった。
「あの頃、当時ライヒ伯は隣の領地の領主だったのよ。当時、この領地は別の領主が収めててね……ひどい有様だった」
「ハーゲンベック伯爵時代ね。話は聞いたことがある」
「餓死者は珍しくなかったし、身売りが横行したせいで、子供の数も激減してね……。わたしも目を付けられたわ」
「モテモテじゃないの」
「冗談じゃないわよ! あの男の愛人になるくらいなら魔獣に食い殺されたほうがいくらかマシ!」
随分な嫌われようだ。
まぁ、あたしでも同じことを思うだろうけど。
「彼はライヒ方に付いて勝利を収めたの。まぁ、要するに侵略したってわけね」
「うーん、まぁ……ハーゲンベックにとっては侵略ね、たしかに」
「侵略というと言葉は悪いけれど、この世界では領主が変わることなんて珍しくないし、良い領主に変わることが街の皆の生活にとって良いことでもあったのよ」
「確かに、今のこの街では、ホームレスでも生きていけるくらいね」
「へぇ……! すごいわ。当時とは雲泥の差ね。……でも、当時のライヒ領は弱くて、かなりの劣勢だったのよ。でも、彼はあたしのためにライヒ伯爵について……結果、ライヒ領はは拡大して今の形になったわ」
「だから、言うとおりに伯爵の養女に?」
「彼と伯爵の契約だったしね」
つまり、ハイジは想い人のために、その想い人自体を交渉材料にしたわけだ。
ミッラが言っていた「意外に交渉ごとなんかも得意」っていうのはこのことだったのかもしれない。
「でもねぇ……当時私ははまだ若かったし、彼と離れたくなくてね」
サーヤはそう言って物憂げにため息をつく。
「今も十分若々しいでしょうに」
実際、さほど年上にも見えない。人妻だというのが信じられないくらいには若々しくみえる。
単純に日本人が童顔だというだけではないだろう。
「茶化さないでよ……。それで、ボディーガードとしてでいいから、って無理を言ってそばに居てもらったんだけど、それも長く続かなかったのよね」
「……なぜ?」
「我慢できずに、彼に告白したのよ、好きだ、愛してる、って」
思わずヒュウ、と口笛を吹く。
「それで、ハイジはなんて?」
「その日のうちに消えちゃったわよ! 返事はただ一言、『聞かなかったことにする』って……!」
「うわぁ……」
「流石にちょっとないわよねぇ……まぁ、領主の養女が一傭兵に恋慕したとなると、スキャンダルになるとでも思ったのかもしれないけど……」
「いやぁ……それにしてももう少しなにかあっていいでしょ」
「わかってくれて嬉しいわ」
二人して「それはない」と首を振った。
「……今もハイジのことが好き?」
「そりゃあもう! ……と言いたいところだけれどね。 今の好きは、当時の好きとは違うわ。恋愛感情ではなくて……そうね、父親みたいな感じかも? だってあたし、彼に出会ったのって12歳の時なのよ? それからずっと彼のことを父親がわりに頼って生きてきたんだから!」
「ははぁ、エディプス・コンプレックスみたいなものなのかな……。あれ? でもそれじゃ、感覚的にはほとんどにこちらの世界の人じゃないの? 日本に居た頃の記憶なんて殆ど無いんじゃない?」
「そうね。もう本当の両親の顔もおぼろげで、ハイジやペトラの顔のほうがくっきり思い出せるくらい!」
「それだと、貴族が求めたところであまり期待に添えなかったんじゃないの? ライヒ伯は『はぐれ』の優れた能力を期待してたんじゃないの?」
「……うふふ。これは秘密なんだけど……あたし、未来のことがわかるのよ。大きな出来事に限るんで使いづらい力なんだけど」
「おお!」
ちょっとだけの未来だけどね、とサーヤは言った。
「……未来予知?」
「そう。悪い未来なら、回避方法もある程度わかるわね」
「それは……貴族が欲しがるわけだ」
「彼はずっと秘密にしてたけどね。ライヒ伯のことだけは信頼していて、売り込むために教えたみたい」
サーヤの人生は、あたしとは比べ物にならないくらい波乱万丈だった。
そして、ハイジへの想いの強さも、比較にならない。
サーヤは「すでに恋じゃない」なんて言っているが、本当はきっと……。
「今は、ライヒを離れて隣のオルヴィネリに嫁いで、皇太子の妻として生きてるわ。信じられる? あたし、来年にはお妃さまなのよ。昔はあんな山小屋生活だったのに!」
「サーヤの部屋、まだ残ってるわよ。今はあたしが使わせてもらってるけど」
ごめんね? と言うと、良いのよ、サーヤが笑う。
「それを言ったら、この部屋だって昔あたしが使ってたのよ」
「えっ? あっ、そりゃそうか。ここに預けられてたから……」
なんだか何から何まで先を越されているようで、ちょっと悔しい。
「寂しくない?」
「ええ。心配しないで? 政略結婚ではあったけれど、やさしい旦那様なのよ? ……今は幸せよ」
「そう、良かった」
「でも……彼にはちゃんとお礼を言いたくて、ずっとそれが心残りだったの。だって、何度も手紙を出したり、遣いを出したりしたのに、一度も会ってくれなかったのよ!」
そう言って、サーヤはあたしを見つめて、満足そうに笑った。
「だから、リンちゃん。貴方から伝えて。彼に、ただ、ありがとうと」
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