第一話 賢者ほど気楽な仕事はない#2
「まったく……そういうモンがあるなら、最初から出してくんなよ」
手渡されたクーリッツさんからの紹介状を読みながら、イスズさんが盛大なため息を漏らす。
「こっちでは刀の需要なんて壁の肥やしにするのが主で、武器としての用途はほぼゼロだからねぇ」
刀そのものが悪い武器だとはわたしも思わないのだけど、とにかく癖が強い。
防具を付けていない相手であれば、その鋭利な切れ味も合わせて相当に強い。だが、相手が皮や木で出来た簡単な防具でも身に付けていれば、途端に効果が悪くなる。
『斬撃』『刺突』に特化したこの武器で鎧を相手にするには、信じられない程の修練と技量が必要とされるので、それだけの手間を掛けるぐらいなら普通の長剣や小剣への訓練に時間を使った方が遥かにマシ。
魔族がこの武器を愛用できるのは、本人自身の魔力を刀身に帯びさせることで、金属すら容易に斬り裂く力を持つことができるから。
つまるところは魔族用に特化した武器であり、人族からみれば珍しい美術品ぐらいにしか思われていないのも仕方ない。
……という事情があるにも関わらずこのイスズさんという人は、わざわざ人族の街で刀鍛冶なんてやっているのだから変わっているにもほどがある。
あぁ。変わり者同士、アイカさんとはよく気が合いそう。
「仮にも客に対し、最初から喧嘩腰なのは感心せぬな」
イスズさんの言葉に、アイカさんが答える。
「これが寛大な余であればこそ穏便にすんでおるが、本国の血気盛んな連中であれば、無礼討ち騒ぎになっておっても不思議はないぞ」
そんなにこやかに、噂話でもするかのような気軽さで物騒なことを言うのはやめて欲しい。
というか、魔族の人たちってどんだけ血の気が多いのだろう? 話だけ聞いていると、年中あちこちで流血沙汰が起きる物騒極まりない場所にしか思えないのだけど?
話を聞けば聞くほど、あまりお近づきにはなりたくないタイプにしか思えないけれど、不思議とアイカさんにはそんな気はおきない。
「もちろん、それこそが狙いだと言うならば、喜んで受けてたつが故、遠慮なく申すが良い」
前言撤回。やっぱりアイカさん、まごうことなく立派に魔族の一員だ。あ、いや。魔王なんだから当たり前だけど。
「大事な商売道具を乱暴に扱って良いわけないだろ! んで、念の為に聞いとくけど、得物が欲しいのはそっちの姉ちゃんで良いんだよね?」
一方、イスズさんはアイカさんの言葉を軽くあしらいながらこちらを見る。
「それともそのちっこい方の嬢ちゃんが欲しがっているのかい? だったら諦めるようにいってやんな」
そう言いつつ軽く首を振る。
「格好良いんだがなんだか知らないけど、時々いるんだよねぇ……若いモンが、技量に見合いもせぬのに刀を欲しがる」
あー。
確かにたまに見かける。駆け出しの探索者で、わざわざ刀を持っている物好きさん。
大抵数日後には長剣や短剣に持ち替えているか、あるいは二度と見かけなくなるか。
「そりゃ、買ってくれること自体に文句はないさね。こっちだって商売なんだからさ。だけどねぇ」
イスズさんとしてもそれは不本意らしい。そりゃ、刀の特性も弁えず、まるで武器が悪かったみたいに言われるのは面白くないでしょうし。
「それを持って魔物退治に向かった挙げ句、ろくに使うこともできず大怪我したりあまつさえ命まで落とされたりするとこちらも寝覚めが悪くて仕方ない」
……乱暴な物言いをする人だけど、人への気遣いもできるみたい。
「おまけに、自分の腕前を棚に上げてこっちに文句つけてくるんだから。腹立たしいったらありゃしない」
えーと、はい……人の心配も大切だけど、自分の店の評判も大切ですよね……。
「うむ。エリザも鍛えれば案外良い剣士になりそうな才はもっておろうが、今日のところは余の刀を一振り所望するところだ」
そう言いつつ、アイカさんは半分程の長さで折れた刀をイスズさんに見せる。
「少なくともこのレベルにある刀があるならば、出してみせるが良い。銭は惜しまぬぞ?」
「はっ、魔族の剣士が刀を折るなんてみっともない……ほら見せてみな」
アイカさんの手から乱暴に刀を取り上げながら、イスズさんが目を細める。
「ふーん……こいつは一品物じゃなくて数打ち物みたいだけど、ほぅ……こりゃ業物だねぇ」
刃の部分を様々な方向から眺めつつ、イスズさんが感心したように呟く。
「魔族領からの商人でもこのレベルの刀を持ってくるのは珍しい……このレベルの刀を所持できるとは、アンタ案外一端の剣士だったんだねぇ」
無遠慮というか、もうここまでくれば失礼のレベルだと思うのだけど、アイカさんはどこ吹く風。本当に細かいことに無頓着な人だ。
「とりあえず、こっちに来な」
そう言いつつイスズさんはわたし達を店内ではなく、裏庭の方へと案内する。
飾り気の無い裏庭は、燃料に使っているだろう薪や石炭が納められた小屋が建てられてて、開いた部分に藁束を巻きつけた人の背ぐらいある棒が複数地面に突き立てられていた。
昔似たようなものを見たことがある。多分、アレは剣の訓練で使う的だ。
「んじゃ、これを貸すから試してみな」
興味深そうに周囲を見回していたアイカさんに、イスズさんが近くの箱から刀を一本引っ張り出して渡す。
「アンタの腕前を疑うつもりはないけどね。実際の力量を見てみないと、どう調整したら良いかわからないからねぇ」
門外漢のわたしから見れば、刀って大小の差ぐらいしか違いがわからないけれど、重さやら反りなど色々と細かい違いがあるらしい。
「ふむ……」
借りた刀をぶんぶんと振り回しながらアイカさんが言葉を漏らす。
「些か重心のバランスが悪いが……まぁ、これなら問題なかろう」
そう言い終わるや否やその手が一閃し、藁束が半分程から切断され、地面にボトリと落ちる。
「重要なのは切れ味だからな」
「ふーん」
藁束の切口を観察しながらイスズさんが感心したように呟く。
「技巧派、というよりは単純な力押しタイプってところか……いいねぇ」
口の端を上げてニヤリと笑っている。
「こっちとしてもわかりやすい相手は大歓迎さね。ちまちま注文を付けられるより、単純に強い刀を打つ方が気楽ってもんだ」
……魔族の人の感性って、脳筋が基準だったりするのかしら?
「ふむ。そなたも荒削りではあるが、中々の腕前であるよな」
上から下まで刀身をなめるように眺めつつ、アイカさんが言葉を続ける。
「これだけ乱雑に叩きつけて、刃こぼれは僅か……ふむ、良い腕だ。褒めてつかわそう」
「さっきから、なんでそんなに偉そうなのさ……」
アイカさんの言葉にイスズさんがぶつぶつ言っているけど、まさか『この人、魔王だから本当に偉い人なので……』とは言えないので、ここは黙っておくしかない。
「ま、業物の刀を普段使いにするなんて、武家のお偉いさんに決まってるか」
と思ったら、自己解決したらしい。
「いきなり高いハードル見せられたけど、こっちとしても簡単に引くわけにはゆかないさね……ちょっと待ってな」
気を取り直したのかイスズさんが店内に引っ込み、今度はちゃんと鞘に収まった刀を持ってくる。
「ほら、とりあえずこいつを持ちな。今ある中ならこいつが一番上等な刀さ」
「ふむ? まぁ、それなりの一振りではあるが……」
差し出された刀を受け取り、鞘から抜いたアイカさんの表情がわずかに曇る。
「駄目とは言わぬが、少々心許ない刀だな……人族の領域では、やはりこんなものか」
「あぁ、あぁ。アンタの腕前には、ちょっとどころじゃなく物足りない一品さね」
特に気を悪くした様子もなくイスズさんが言葉を続ける。
「アンタ向きの奴は今から打つよ……ほら、その腰の鞘もこちらに渡しな」
そう言いながらアイカさんの返事も待たずに腰の鞘をヒョイッと取り上げる。
「完成するまでは、取り敢えずそれを使ってな。一週間もあればご希望通りの一本が仕上がるってモンさ」
「ふむ。それはまぁ、良いが……そなた、刀匠サタケの名を知っておるか?」
折れた刀と鞘をイスズさんに持ってゆかれるのを眺めつつ、アイカさんが口を開く。
「そなた、どうやら混血のようだが……」
あぁ、なるほど。違和感があったのはそのせいか。衣装や髪と目の色がちぐはぐだったのも、人族と魔族のハーフなら納得。そして『はぐれもの町』なんかに店を構えている理由も。
「あぁ、知ってるさ」
アイカさんの問に、イスズさんはわずかに表情を曇らせた。アイカさんは気が付かなかっただろうほんの一瞬。
経験とスキルによって底上げされているわたしの目だからこそ気づけた一瞬。
「キクゾウ・サタケってのが爺さんの師匠さ」
そうアイカさんに答えた時には、わたしの見間違いかなと思うぐらいにこやかな表情だった。
「そうか」
アイカさんが満足そうに頷く。
「ならば、期待して待っておるぞ」
* * *
イスズさんと支払いについての契約を取り交わした後、『はぐれもの町』を後にして、今度は中央通りにある鍛冶師通りに向かう。
(新しい弓、ミスリルを使った弓!)
できるだけすました表情を取り繕っているけど、口の端がだらしなく垂れるのは抑えきれない。
「……なにを面白い顔をしておるのだ」
当然ながらアイカさんにはすっかりお見通しなワケで。
「余は気にならぬが、先程から通りすがる者達がギョッとしておるぞ」
え? 本当に?! そ、そこまで変顔を晒しているつもりは無かったんだけど……。
「冗談に決まっておろう」
へ? えーっと、それはつまり……?
「お主があまりに可愛いい表情を浮かべているものでな。少々からかって見たくなっただけだ」
あー! もー! そんな言い方されると怒るに怒れないじゃない!!
「はっはっはっ。許すがよいぞ」
ぐぬぬぬ、と反応に困っているわたしに、アイカさんが笑顔で続ける。
「それよりもそろそろ目的地に着くのではないか? 渡された紹介状の店名と一致するぞ」
その言葉に改めて前を見る。少し先の店に掛かっている看板には、確かに紹介状にあったのと同じ店名が書かれていた。書かれていたのだけど……。
「その、なんというか」
唖然として言葉が続かないわたしの代わりに、アイカさんが口を開く。
「随分とボロ……あーっと、質素な店構え、だな?」
そう。目の前にあるのは扉はボロボロ、窓は板が打ち付けてあり、壁にはヒビが入りまくっているという店というよりは廃屋と言った方がぴったりなボロ屋だった。
思わず何度も紹介状を見直してみたけど、書かれている名前は寸分違わず同じ物だ。
「紹介状が間違っていたのか?」
アイカさんが首を捻るが、あのクーリッツさんに限ってそんな凡ミスをするとは思えない。
「まぁ、人でも店でも見た目で判断するのは良くないですし」
「いや、人はともかく店は見た目で判断するしかないであろう」
わたし渾身のフォローを、アイカさんが正論一言で却下する。
「先程の刀鍛冶といい、あのクーリッツという男。こうマトモじゃない店ばかり囲っておるのか?」
案外、それはあるかも知れない。有名な店や職人は昔からの商家に囲われていることが多いだろうから、新鋭の商家としてはそれ以外の店や職人に手を付けるしかない。
もちろん既存の商家から引き抜くって手段もあるけど、そんなことをすれば当然大きなトラブルを招くことになるから、本当に最後の最後の手段だろうし……。
「ま、まぁ、とりあえず入ってみましょうよ」
「ふむ。外観程は悪くないな」
壊れかけの扉をおっかなびっくり開いて入った店内は、外の見た目に比べれば随分と小綺麗に纏められていた。
割れた窓に板を打ち付けている関係上、昼間だというのにランプ一つしか灯の無い室内は薄暗い。
それでも棚そのものはしっかりとした物だったし、そこに並べられている商品は傷一つない新品だった。
そのラインナップは、何処にでも売ってそうな金属小物ばかりだったけど。
「……こんなボロ店に押し入っても、奪って金になるような物はありませんぞ」
二人して店の中をキョロキョロ見回していると、店内の奥から低い男性の声が響く。
「それともまさか、こんな店に客でも来たというのかね?」
声と一緒に奥から姿を見せたのは、奇麗に撫でつけられたロマンスグレーの似合う初老男性だった。ボロボロな店の外見と違い、上から下まできっちりとした仕立ての良い服装をしている。どこかのお屋敷で執事でもやっている方がしっくりきそう。
「その、まさかであるな」
わたしよりも早く、アイカさんが答える。
「もっとも、人を見るなり強盗扱いは如何なものかと思うが」
「それは失礼」
アイカさんの嫌味に、男性が謝罪の言葉を口にする。見た目もきっちりとした人だけど、その言葉までなんというか実に色っぽい。
「この店に来るお客様など、一部のお得意様だけですからなぁ。それすら稀のことですので」
「ふん。まぁ、良い」
アイカさんがわたしの方を向きながら言葉を続ける。
「ツヴァイヘルド商会のクーリッツとやらの紹介で来たのだが、この店で間違い無いか?」
「あぁ、お坊ちゃまのご紹介でしたか」
合点が言ったように男性が頷く。
「間違いなく当店ですな。商会より言付かっております」
そこまで言ってから、わたし達に向かって見事な一礼をする。
「私、ロベルト・ケツラーと申します。以後、お見知りおきを」
「……ここは鍛冶屋、なのだな?」
確認するようにアイカさんが尋ねる。
「えぇ、間違いありません」
ロベルトさんが頷く。
「私、趣味の延長ながら鍛冶を嗜んでおりまして、拙作ながら鍛冶商品を販売させて頂いております」
う、うん。人は見た目によらないって言うけれど、流石にこれは上手くイメージできない。
どっからどう見ても執事にしか見えないこの人が、鍛冶……って、そう言えばクーリッツさんのことを坊っちゃんって言ってたような?
「えーっと、クーリッツさんとはお知り合いで?」
控えめに尋ねるたわたしに、ロベルトさんはニッコリと答えてくれた。
「数年前まで、お世話しておりまして。この店も退職金の一部として頂いたものです」
なるほど。やっぱりこの人執事か、それに類する仕事をしていたんだ。
でも、退職後の仕事が鍛冶師って……むくつけき大男が多い業界とイメージが合わないナァ。
「そ、そうですか。それで新しい弓を、こちらで売ってもらえると聞いているんですけど……」
「勿論です」
ロベルトさんが頷く。
「エリザ様、でしたか。貴女様に私のフォールディング・ボウを一つお売りするようにと、お話を聞いております」
ロベルトさんがパチンと指を鳴らすと同時に視界がグニャリと歪み、次の瞬間周囲の景色がそれまで居た場所とはまったく違う、広く整えられた部屋へと変化していた。
「え?」
「……次元転移とは器用な技を使う」
半ば呆れたようなアイカさん。
「少なくとも商売如きで使うような技ではあるまいに」
え? 次元転移って……あの、こことは違う別次元を利用し、特定の場所まで移動するというあの?
テレポテーションの魔法と比べて移動できる場所に制限がかかり、消費魔力が莫大過ぎるという欠点こそあるけれど、その便利さから術者は一生食いはぐれることはないって言われている。
かくいうわたしも習得を目指したことがあるのだけど、その必要魔力のデタラメさが原因で諦めた過去がある。
「申し訳ございません。表の店では売れないものは、こちらで取り扱っておりますので」
アイカさんの言葉に、ロベルトさんが謝罪する。
「弱々しい老人一人でやっている店ですので、防犯上の必要と理解して頂ければと」
「ふむ。防犯としては完全な手段だな……それよりも弓の方を見せるが良い。あまりエリザを待たせるのも心苦しい故にな」
「おっと、そうでした」
アイカさんの言葉にロベルトさんは軽く頷き、テーブルの上に置かれた箱を指し示す。
「こちら、商品となります。二年程前に私が習作として作ったものですが、必要な性能は満たしております」
「では、失礼して……」
箱の蓋をゆっくりと開ける。その中には布に包まれた、真新しいフォールディング・ボウと何本かの矢が納められていた。
「これが……」
取り出した弓を、ガチャリと射撃状態に展開する。今まで使っていた弓よりも長さはあるのに軽い。
「これは……マジックウッド?」
木で作られた部分の素材の正体に気づき、思わず言葉が漏れてしまった。
専用の苗木を魔力に晒した状態で育てた木材――それがマジックウッド。この特別な木材はとても軽い上に信じられない程の強度を持つ。その希少性から槍の柄などには量が足りず、特別な剣の握りなどに少量使われるのが主だ。
「正確には、マジックウッドの端切れをあわせた合板ですが」
わたしの言葉にロベルトさんが答える。
「そのため、オリジナル程の強度はありませんが、ある程度しなる必要がある弓には最適かと」
そう言われてみれば確かに。
「また中心軸に少量ではありますが、ミスリルを埋め込んでおります。魔力効率を考えれば、エリザ様の腕前にピッタリであるかと」
スキルの一部には魔力の消費が必要なものがあったりする。特にわたしが使う弓術スキルにはそれが多い。
魔力を消費するのは不便なのだけれど、逆に言えば消費魔力の多寡によって威力を調整できるメリットもあったりする。
「試し打ちをしても?」
「もちろんです」
わたしの問いに、ロベルトさんは頷き、再びを指を鳴らす。その音に合わせて、今度は部屋の隅に射撃用標的が出現する。
「この部屋の中では誤射の危険はありません。遠慮せずにどうぞ」
弓に矢をつがえ、慎重に標的を狙う。今までの弓より軽くなっているから、矢を発射した時の衝撃で狙いが狂わないように注意する。
「ヘビーショット!」
弓術の基本、攻撃力上昇スキル。ほんの少し魔力を加えただけのそれはまっすぐ標的めがけて突き進み、命中した瞬間に標的を粉々に打ち砕く。
「……これは」
普段の半分ぐらいしか魔力を使わなかったのに、威力は今まで以上。これは、文句をつける余地なんかない。
「お気に召されましたかな?」
ロベルトさんがにこやかに話しかけてくる。
「えぇ、えぇ」
わたしはもう首をひたすら上下に振るしか無い。今まで使っていた弓に愛着がないわけじゃないけれど、これはもう次元が違う。
「本当にこれ、売ってもらっていいんですか!」
「勿論ですよ、エリザ様」
興奮さめやらぬわたしに、ロベルトさんが頷く。
「弦の調整や最終仕上げが必要ですので、お渡しは後日となりますが」
はい。この弓が自分の物になるのなら、数日ぐらい余裕で待てます! えぇ、待ちますとも!!
††† ††† †††
『エターナル・カッパー』の事はもちろん耳にしたことがある。
少なくとも探索者ならば、必ず知っているであろう名前――良くも悪くも。
なりたての探索者にとっては憧憬の対象であり、一人前の探索者にとっては侮蔑の対象。そして熟練探索者にとっては憐憫の対象。
私にとっては――有り余る高度な技量を持ちながら、それが正当に評価されることのない孤独な探索者。
彼女はレベルが殆ど上がらない。そのためレベルが低い探索者とはパーティが組めても、いずれは決裂することになる。
レベル万能主義であるこの世界において、それは当然の帰結だ。
そう。『エターナル・カッパー』ことエリザは、多種多様な技術を持ちながら、『レベルが上がらない』という唯一の欠点のために、それが一切評価されることのない稀有な存在だった。
努力は報われる――そんな幻想を簡単に打ち砕く生き見本。
傍から見ても彼女が努力と研鑽を積んでいることはよくわかる。
足りないレベルを補い、少しでも力を付けるために、血の滲むような努力を続けているであろうことも。
だけど、世の中は常に残酷で、現実は救い難い。
努力とは報われる物ではなく、報われたから努力と言う……その現実を雄弁に語る存在が彼女だ。
どれだけ技量を積み上げても、それは上がらないレベルの代替にはならない。殆どのスキルはレベルで強引に補うことが出来るし、彼女のスキルは有用ではあっても必須ではなかった。時代がそれを必要としなくなった為に。
魔族と激しい戦いを繰り広げていた頃、レンジャーとは探索者の代名詞とも言える存在だった。
未知の領域へと果敢に挑み、あらゆる危険や障害を発見し無力化する。
物語に歌われるのは強大な敵を打ち倒した戦士や魔術師といった戦闘職であることが多いが、その影には必ず優秀なレンジャーの姿がある。
それは勇者パーティーであっても例外ではない。
パーティーメンバーには優秀なレンジャーが加わっており、どれほど複雑なトラップでも適切に処理し、どれほど巧みな待ち伏せでも看破し、戦闘となれば弓や魔道具によるサポートを巧みに行い勇者達の勝利に大きく貢献したという。
未知の領域と脅威に挑んだ勇者パーティーに、レンジャーはもっとも貢献したメンバーだとさえ言える。
ただ、時代は変わってしまったのだ。
辺境が開拓されるにつれ新しい発見は減り、脅威は薄れてゆく。
長きに渡った魔族との戦いが、現状を持ってお互いの勢力圏とする形で決着した結果、探索されるべき『未知』は殆ど失われ、探索者そのものも他に仕事のない半端者が中心を占めるようになる。
当然の帰結として殆どの探索者は、既知のダンジョンや森等で資源を集めそれを売り払うことで稼ぐようになり、『良く知った』狩場を往復する生活を送るようになった。
こうなると『未知』に対して大きな力を発揮するレンジャーは、微妙な立場に追いやられてしまう。
不測の事態こそレンジャーの独壇場であるにも関わらず、その不測の事態がおき得ないのだから。
その結果レンジャーは、価値は認識されていても必要が認められない――そんな微妙な立場になってしまったのだ。
その上更にレベルまで上がらないとなれば、エリザが浮いてしまっているのも無理はない話だ。
探索者の多くが自堕落に近い生活を送っているのも、あるいはエリザの存在を目の当たりにしているせいなのかも知れない。
足掻き続けたところで何が変わる? 彼女を見て同じことを言えるのか? と問われれば、誰もが顔を背けるしかないのだから。
だから私もエリザに対し、それほど多くの興味を持たなかった。
私にとってそれは、ありふれた、よくある不幸の一つに過ぎなかったから。
そんな認識が変化したのは、『エターナル・カッパー』と呼ばれていたエリザが『鉄』クラスへと昇格したということを知ってからだった。
『銅』から『鉄』への昇格。その条件はとてもエリザが満たせるとは思えない物だった。
だからこそ彼女は長い間『銅』ランクに甘んじていたのだし、『エターナル・カッパー』――永遠の銅――などという不名誉なあだ名で呼ばれていたのだから。
もっとも、それは蓋を空けてみれば、なんてことない簡単な話だったのだけど。
彼女は魔族の探索者と組むことで、条件を満たすことに成功したのだ。
考えてみれば、エリザが組む相手として、魔族というのは理想的な存在だ。
価値観がレベルという概念に完全に囚われている人族と違い、魔族はあくまでも技術を尊ぶ。
その価値観は徹底しており、過去に勇者が魔王と争っていた時代にはレベル二十程度で参謀役を務める四天王がいたという話もあるぐらいだ。
そんな魔族から見れば、エリザの卓越した技量は、充分評価に値するものだろう。
(ホント、馬鹿馬鹿しい)
強さの指針としてレベルそのものを否定する気はない。レベルが高ければ、それだけ強くなるのは事実だから。
それを盲信するのは馬鹿馬鹿しいと思うだけだ。
それが切っ掛けで、私は自分でもそう意識しないまま二人の姿を目で追うようになった。
最初は単なる好奇心、だったのだと思う。
あり得ない奇跡――彼女の置かれていた状況から見ればそう言って差し支えないだろう――を目の当たりにした私は、心の底で何かを期待してしまったのかもしれない。
もしかしたら――そう、もしかしたら何かが変わってくれるのではないかと。
その日も、私はぼんやりと二人の姿を眺めていた。
時間は夕刻。一仕事終えた探索者達が酒場エリアに集まり他愛もない話をしながら一杯傾けている。
私と言えば、端も端。そんなところに席があったのかと言われる柱の影で、果実酒をちびちびと傾けていた。
お酒はあまり好きな方ではなかったが、この手の仕事をしていれば自然と慣れてくる。
「今日の仕事は一段と疲れた故にな!」
魔族の女性――アイカ、という名前らしい――がエリザに大仰なジェスチャーで話しかけている。
「たまにはご褒美があっても良かろうと、余は思うのだ」
今日の二人の仕事は、凶暴化した魔獣『ゴリッラ・ゴリッラ』の討伐だったようだ。直接聞いたわけではないけれど、買い取りカウンターに並んだ『資源』を見る限り間違いない。
なんとも変な名前の魔物だけど、神々が直接命名したといわれるそれは極めて危険な魔獣だ。力も強く知恵もある。単体でも危険なのに、集団性も高く相手をするのは骨が折れる。幸いにして向こうから人里に近づくことはほぼないため、それほど脅威度は高くないのだが……珍しい仕事もあったもの。
「ご褒美ですか……お風呂で身体を洗ったり、夜中にベッドに忍び込んできたり、えーっとペアルックなんて言われたこともありましたけど、今日はなんですか?」
「余は一度やってみたかったのだ、あの『あ~ん』って奴をだ!」
アイカとかいう魔族の答えに、エリザが思いっきり吹き出している。
「は? え?」
「なんぞ知らぬが、こちらでは仲の良い者同士では良くやっている親愛の証だという話ではないか!」
「誰に聞いたんですか! そんな話!!」
そんな話、私も知らない。賢者たる私でも知らないことが、世の中にはまだあるのか(棒)。
「む? 誰であったかな? そんなことはどうでも良かろう! さぁ、余が『あ~ん』してやるから口を開くのだ!」
そう言いつつ強引にスプーンをエリザの口に押し込もうとしている。
「にゃー! 違います! それ絶対に違います!!」
「えぇい、良いではないか、良いではないか~」
エリザの方も必死に抵抗しているが、素の力が違いすぎるのだろう。完全に押されている。
当然その騒ぎは周りにも伝わっているのだが、何かあればすぐに罵声と喧嘩に発展する荒くれ者共が「やれやれ」とでも言いたげな表情を浮かべているだけだった。
それはつまり、こんな状況が慣れっこになっているということ。
「あ……」
それは多分、錯覚だったのだろう。私の理性はそう告げている。
だけど、その時、私には見えてしまったのだ。
夕方、地平線に落ちようとしている陽の最後の光がギルドの窓を通して室内を照らし出し、その先に居たじゃれ合う二人の姿を浮かび上がらせた一瞬を。
純粋な好感情をストレートに発露する背の高い魔族の女性。言葉では拒否しながらも、表情は満更でもなさそうな背の低いエリザ。それを遠回しながら微笑ましげに見守っている周囲。
まるで宗教画のように絡み合う二人の光景を――確かに見てしまった。
その瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。
「尊い……」
それは久しく忘れていた感情の発露。この感情がなんというものなのか、今の私にはわからない。
だけどこの瞬間、私の視界は全ての色を取り戻していた。
陰鬱なモノトーンに支配された私の世界に、あの二人は再び色を取り戻してくれたのだ。
「あぁ、そうか……」
気づいてしまえば簡単なことだ。私が本当に望んでいたこと、知らないふりをしていたこと。
王都に居た頃は、肩書に縛られて実行できなかったこと。
「私は――」
後は、それを実行するだけ。なにも難しいことはない。
賢者としての全力をもって、それを叶えよう。
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