第30話『ポナ チイネエの場合』


ポナの季節・30

『ポナ チイネエの場合』        



ポナ:みそっかすの英訳 (Person Of No Account )の頭文字をとった新子が自分で付けたあだ名





 あれは四年前、春一番が荒れ狂う夜の事だった。


「火事だ!」という叫びが、通り二つほど向こうから聞こえてきた。その時寺沢家は女しかいなかった。

 父の達孝を始め、長男の達幸も次男の孝史も家にはいなかった。仕事だったり家を離れて寄宿していた。

 優里は火事騒ぎをトイレの中で耳にして、母や姉妹よりも出遅れた。


 中学を卒業して、乃木坂学院への入学も決まって少しだらけた生活をおくっていたので、食べ過ぎと運動不足で便秘気味になり、おいそれとはトイレから出てこられなかった。

 やっとトイレから出て、今や消防自動車や救急車の音がけたたましくなったとき、火事場に急ごうとして、ふと姉の優奈と共用にしている部屋があきっぱで、机の上の書類が散乱したままになっていることに気づいた。

 姉の優奈は、この四月から警察学校に入学する。それに関する大事な書類であることがすぐに分かった。

「もう、大事な書類を……」


 優里は、部屋に入って書類が散乱しないように、辞書でも乗っけてやろうとして、それが目についた。

 戸籍謄本が開かれたまま。


 で、ごく自然に自分に関する記述が目に入った。


――養女――


 という単語が目に入った。

「うそ……あたし養女?」

 よく読むと、実母・吉岡優子となっている。吉岡というのは母の旧姓だ、で、優子というのは母の亡くなった妹。たった今まで叔母だと思っていた人だ。頭が混乱した。今年は、この叔母の……十七回忌にあたり、生涯独身で、両親も死別しているので、寺沢の家で法事をすることになっている。それが自分の母……地面が消えたように不安になった。


「見てしまったのね……」


 いつの間にか、母が後ろに立っていた。

「これ……どういうこと?」

 母は優里の肩を掴むと、自分の方に向かせた。

「優子は、結婚しないまま優里を生んだの。仕事が報道カメラマンだったから、優里を置いたまま中東の取材に行った」

「そこで死んだんだよね」

「ええ、車ごとミサイルで吹き飛ばされてカケラも残らなかった。生まれた時から、ほとんどうちに預けっぱなしだったから、そのままあたしたちの養女にしたの」

「じゃ、他の兄妹は、あたしのイトコってこと?」

「この際だから知っておいて欲しいんだけど、新子も養女なの……」

「……新子も?」

「優里は小さかったから、はっきりと覚えてはいないでしょうけど、ある日突然来たでしょ?」


 まだ四つにもなっていなかった優里には、突然新子という赤ちゃんが来たことしか記憶が無かった。妹だと言われたので、たった今まで実の妹と思っていた。新子は発育が悪く、小さなときはずっと母がつきっきりであった。かわいい妹なので、いっしょに遊んでいたかったが、保育所の年長になったころは優里にも自分の世界ができてしまい、新子には、あまり構ってやれなかった。


 小学校に入ったころからようやく発育が追いつき、新子は優里とは相似形と言っていいほど体格が似てきた。小学校の通学服から普段着まで優里のお古で間に合った。そういう相似形なところからも実の妹とだとずっと思っていた。



「新子の実のお母さんは? この名前には見覚えがないけど」

「……お父さんの教え子」

「え、まさかお父さん!?」

「ばかね。相手は未成年の高校生。両方の親が認めないんで乳児院に入れられるところを引き取ってきたのよ」

「新子には、いつ伝えるの?」

「そろそろだとは思うんだけど、事情が優里とは違うから……」


 そこに新子がポチを連れて戻って来た。


「すごいんだよ、大ネエが火の中に飛び込んでお婆ちゃん救けたの!」

「うそ! で、優奈は!?」

 母の顔色が変わった。


「大丈夫、ちょっと煤吸い込んじゃって、顔が黒くなっちゃったけど……」


 優奈が、鼻の穴を中心に真っ黒な顔をして戻って来た。

「あなたも病院に行かなくちゃ!」

 救急隊員が追いかけてきて、優奈をそのまま救急車に乗せてしまった。


 それから、寺沢家の重大問題は、長いインターバルに入った。


――へへ、準ミス世田谷女学院になっちゃった!――


 能天気な写メ付のメールが新子から来た。どうやら吹っ切れたようだ。優里は、少し軽い足取りで大学の校門を出たところだった。




ポナの周辺の人たち


父     寺沢達孝(59歳)   定年間近の高校教師

母     寺沢豊子(49歳)   父の元教え子。五人の子どもを、しっかり育てた、しっかり母さん

長男    寺沢達幸(30歳)   海上自衛隊 一等海尉

次男    寺沢孝史(28歳)   元警察官、今は胡散臭い商社員だったが、乃木坂の講師になる。

長女    寺沢優奈(26歳)   横浜中央署の女性警官

次女    寺沢優里(19歳)   城南大学社会学部二年生。身長・3サイズがポナといっしょ

三女    寺沢新子(15歳)   世田谷女学院一年生。一人歳の離れたミソッカス。自称ポナ(Person Of No Account )

ポチ    寺沢家の飼い犬、ポナと同い年。死んでペンダントになった。


高畑みなみ ポナの小学校からの親友(乃木坂学院高校)

支倉奈菜  ポナが世田谷女学院に入ってからの友だち。良くも悪くも一人っ子

橋本由紀  ポナのクラスメート、元気な生徒会副会長

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