彼女の存在 ①

 翌日、英梨さんが来て10分ほど経った頃にケーキを持ってやって来た吉野は、英梨さんを見て顔をしかめた。

 面倒なことになる前に、俺は英梨さんにお茶と一緒にケーキを出してくれと頼みながら吉野を彼女だと紹介し、吉野には英梨さんを家政婦だと紹介した。

 そしていつものようにリビングで勉強しようとすると、吉野は俺のシャツの裾を引っ張った。


「ねぇ三島くん、二人でゆっくり話したいこともあるから、三島くんの部屋に行きたいな」


 部屋の中で二人きりで何をしてるんだとか、英梨さんに勘ぐられたりはしないだろうか。

 吉野が二人きりで話したいことがなんなのかも気になったけど、英梨さんにどう思われるかの方が気になった。


「俺の部屋には二人で勉強できるようなテーブルがないから、ここで勉強したいんだけど……。それに話くらいはここでもできるよ」


 俺がそう言うと、吉野は不服そうな顔をした。

 吉野のその顔を見て、俺は太一に言われた『吉野にも優しくしてやれば』という言葉を思い出す。

 どうすれば吉野の期待に応えられるのかなんてわからないけど、ここは俺も少し譲歩した方が良さそうだ。


「じゃあ……とりあえずしばらく勉強して、昼食済ませて、俺の部屋に行くのはそれからにしよう」

「うん……わかった」


 俺と吉野がリビングのテーブルに勉強道具を広げ始めると、英梨さんは遠慮がちに掃除を始めた。


「英梨さん、しばらく勉強して昼飯済んだら自分の部屋に行くから、リビングの掃除はその間にしてもらっていい? あと、昼飯は二人分でよろしく」

「わかりました」


 英梨さんはいつもと違う事務的な受け答えをして、別の部屋を掃除するためにリビングを出ていった。

 吉野は少し顔を上げて、掃除道具を持った英梨さんの後ろ姿をチラッと見た。


「あの家政婦さん、いつも来てるの?」

「ああ……平日の昼間の3時間くらいかな」

「ふーん……。三島くん、きっと私といるよりあの人と一緒にいる方が長いね」


 英梨さんは仕事で来ているんだし、俺が英梨さんを選んだわけでもないのに、そんなことを言われても困る。

 吉野も太一と同じで、俺と英梨さんの仲を疑っているのではないかと思うと少しの苛立ちを覚えた。


「……疑ってるのか?俺と英梨さんの間に何かあるんじゃないかって」

「疑ってるわけじゃないけど……」

「言っとくけど、吉野が心配してるようなことは一切ないから」


 俺がキッパリと言い切ると、吉野はそれ以上何も言わなかった。

 彼女とそれ以外の女の子との線引きはお互いの認識だけだと思ってきたけれど、俺にとってはそれでじゅうぶんでも、吉野にとってはそれだけでは足りないのかも知れない。



 それからしばらくして英梨さんは昼食の準備を始めた。

 俺と吉野が勉強していると、英梨さんは俺のそばに来て肩を叩く。


「潤くん、勉強中に申し訳ないんだけど……脚立か踏み台があったら貸してもらえる?」

「そんなものどうするの?」

「棚の上の方にあるお皿を取りたいんだけど、手が届かなくて……」

「ああ……いいよ、俺が取るから」


 立ち上がって英梨さんと一緒にキッチンへ行き、どの皿かと尋ねると、英梨さんは棚の一番上の段に置いてある皿を指さした。

 英梨さんの背後から手を伸ばしたとき、ほのかにいい香りがした。

 それは吉野や他の同級生の女子がよくつけている、むせかえるような甘い香りではなく、柑橘系のような爽やかで心地よいものだった。

 甘い香りで女であることをあからさまにアピールしないところが、大人の女性という感じがする。

 そんなことを思いながらその皿を取って渡すと、英梨さんは「ありがとう」と言って笑った。


「もうすぐ用意できるから、きりのいいところで勉強切り上げてね」

「わかった、ありがとう」


 俺がリビングに戻ると、吉野は仏頂面で消しゴムを握り、ノートに書いた文字を消していた。


「三島くん、家政婦さんにも優しいんだね」

「そうか?普通だろ?」

「あんまり誰にでも優しすぎると、相手は自分に気があるんじゃないかって勘違いしちゃうかもよ」


 高いところにあった皿を取ってあげたくらいで、ずいぶん大袈裟じゃないか?

 吉野は英梨さんと俺が普通に話しているだけでも面白くないらしい。


「それはないよ。吉野は心配性なんだな」

「しょうがないじゃない……。三島くんのことが好きだから心配になるの」


 好きだと言われるとホッとする。

 なんとなく心が満たされるような気がして、もっと言って欲しくて、俺はその安心感を失わないように吉野の頭を優しく撫でた。

 そんなことをしたのは初めてだったので、吉野は少し驚いた顔をした。


「大丈夫だから、そんなに心配しなくていいよ」

「うん……あんまり仲が良さそうだから、ちょっと妬けちゃった。ごめんね」


 こんな些細なことでヤキモチを焼くということは、吉野はきっと俺のことが好きで好きでしょうがないんだ。

 そう思うと単純に嬉しかった。



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