第53話 ユカ「デートしようよ」

 エアコンが切れてすっかり暑くなった室内で額に汗を浮かべながら目を覚ましたた朝、俺はスマホを手に取ると時計は既に10時を過ぎていた。

 そしてよく見ればスマホには着信が一件来ていた。

 履歴を確認すると、着信相手はユカからだった。朝の7時に電話をかけてくるなんて余程の急用だったのだろうか。


 俺は顔を洗いながらユカに着信を返してみる。3時間も過ぎて返事を返す辺り俺もダメダメだなと思うが、寝ていたから仕方がないだろう。

 なにせ昨日は夕方までミカと寝ていたのだ。そのせいで夜は中々寝付けず、就寝できたのは結局明け方になってのことだった。


 いくら夏休みだからってこのままだと生活リズムが崩れていかんな。

 ここらできちんと朝方の生活に戻さないとな。……元々夜型だったからあまり替わっていない気もするが、そこは気にしないでおこう。

 翌日学校があるのに徹夜するのと、休日に徹夜するのとでは全然違う。休日の半分を寝て過ごしたら勿体なさを感じてしまうし。

 学校で寝ても別に誰も気にしないだろうさ。せいぜい試験勉強で俺が泣きを見る羽目になる程度のことだ。


 スマホの着信音が鳴る。しばらくするとユカが通話に応じてくれた。


「悪いユカ。朝電話くれてたみたいだけど、今起きたわ。俺に何か用事でもあったのか?」


「リョウ君、駅前のオブジェクトって分かる?」


「ん? ああ、謎の形をした像のことか? それなら分かるけど」


「じゃあさ……一時間後にそこに来てくれない?」


「え、いやいきなりだな。どっか行くのか?」


「デートしようよ」


「デっ!? ちょっと待て! それってからかってるのか?」


「ユカ、待ってるから。来てくれると、嬉しいな」


 いつもの明るい声色ではなく、今日のユカはどこか落ち着いた……いや、緊張しているのか? 電話では深くは読み取れないが、そんな感じの声に聞こえた。


 そのまま通話は切れてしまい、俺はスマホ画面を眺めながら首を傾げるしかなかった。


「何をするかも言わずにいきなりデートだなんて、ユカらしくないな……。一体何がどうしたんだろう」


 陰キャで疑り深い俺は、ユカの発した『デート』という言葉を鵜呑みにはしていない。

 ユカのような美少女が俺なんかをデートに誘ってくるなんて、絶対にありえないからな。

 もしマジでデートだったら全裸で夜の公園を徘徊する罰ゲームを受けてやってもいい。それくらいあり得ないことだから。


「つーか11時ってもう時間ないじゃん! 急いで身支度しないと!」


 とにかく今は駅前の待ち合わせ場所に約束の時間までにたどり着くことが優先事項だ。

 俺は大急ぎで着替えたり、財布の準備をして家を飛び出していった。




 ◆◆◆◆◆





「お、おまたせ……はぁ……はぁ……」


 待ち合わせ場所に着いたのは10時58分。ギリギリセーフと言ったところか。

 社会人マナー的にはアウトだが、俺達は学生だ。遅れてくるよりはマシだろう。


「遅いよリョウ君、罰金100万円ー!」


「払えるか、どないやねん! ってコントしてる場合じゃなくて。ユカ、いきなりこんなところに呼び出して一体どうしたんだよ」


「その前に女の子を待たせておいて、なにか言うことがあるんじゃないかなー」


 ユカはぷくぅと頬を膨らませてこちらを見ている。

 これはアレか。デートの待ち合わせでよく言うアレをやれというのか。


「ご、ごめん……待った?」


「うん。すっごく待った」


「そこは『全然、いま来たとこ』って言うんじゃないのか……?」


「でもユカ本当に長い時間ここにいたんだよ。それを考慮したらこれでも優しい対応じゃないかなー」


「ち、ちなみにどれくらい……?」


 ジト目でこっちを見てくるユカに恐る恐る聞いてみる。


「9時半からここにいたかなー」


「9時っ……何で!? だって約束の時間って11時じゃ……」


「リョウ君っ」


 ユカはスマホをトントンと指さした。俺は自分のスマホを取り出し、LIMEを起動すると、ユカとのトーク欄にメッセージが来ていたことに気付く。

 そこには『電話しても出なかったからメッセ送るねー。この後9時半に駅前のオブジェクトで待ち合わせしよ』と書かれていた。


 つまりユカは電話だけでなく、LIMEでもちゃんと俺に連絡をくれていたのだ。そして今の今までここで待ってくれていた。


「ご、ごめん! 俺全然気付かなくて……! 悪かった、この通り!」


 ユカに頭を下げて謝罪をすると、ようやくユカの顔から険しさが晴れた。

 そして少しだけ眉の角度を下げて、囁くように言うのだった。


「既読ついてないのに勝手に待ってたユカも悪いけどさー……結構寂しかったんだからね」


「あ、ああ」


「待ってる間、リョウ君まだかなー? まだかなー? って思って楽しみにしてたのに、知らない人からナンパされたりするし、怪しい人に変な事務所のスカウトされたりするしさー」


「そ、そりゃ大変だったな」


「うん、ちょっぴり怖かったかも」


 だがそれも仕方ないだろう。ユカのような子が一人でいれば、男ならつい声をかけたくなるだろう。いや俺は声をかける勇気なんて無いけどさ。

 それこそ変な男に絡まれたりしたら厄介なことになる。俺が遅れたせいでユカが危険な目にあっていたかも知れないと思うと、申し訳ない思いでいっぱいだ。


 ユカは不満を漏らしながらも、あくまで笑い話をするかのように話してくれた。

 俺に気を使ってくれていることが伝わってきて、余計に惨めな気持ちになる。


「でもね。一番ユカが怖かったのはリョウ君に無視されたのかなって思ったことなんだ」


「え……」


「ユカが電話しても出ないし、メッセ送っても既読つかないしさー。約束の時間になっても来ないし、リョウ君がユカのこと避けてるのかなって。ほら、ミカちゃんとお泊りしたみたいだし……双子のユカ相手に気まずいのもあるかなって」


 ユカは不安そうに語る。もしかしたら俺がユカを避けているのではないかと。

 俺みたいな陰キャがするような考え方を、リア充で陽キャでみんなの高嶺の花のユカが思っていたんだと。

 しかもその相手が、学年でも底辺に近い俺みたいな陰キャを相手にだ。


「でも電話かけてきてくれてホッとしたよー。お寝坊さんなんだね、リョウ君」


「…………るわけ、ないだろ」


「んー? なにか言った?」


「俺が! 俺がユカのこと無視するわけないだろ!!」


 気付けば大声で叫んでいた。

 怒りで叫んだわけじゃない。ただ必死だった。俺にとってユカは太陽みたいな存在で、根暗な俺にも分け隔てなく接してくれるような女子だ。

 ユカの存在が俺にとってどれだけ救いになったことだろう。ミカと、そしてユカに知り合わなかったら俺は今でも陰キャボッチで灰色の青春を送っていただろう。

 そのユカを俺が避ける? あり得ない。そんなことは絶対にしない。神に誓ってもいい。


「ユカは凄く、俺にとってはとにかく凄い憧れなんだよ! 一緒にいるだけで嬉しくなって、話しているだけで自分が陰キャだっていうのを忘れちゃうくらい楽しいんだ! 顔を見るだけでドキドキするし、体に触れるだけでその日は夢に出てくるくらいだ!」


「リョ、リョウ君?」


「だいたいミカとお泊りして気不味い? んなわけあるか! アニメ見ただけだぞ! 二人とも俺にとって本当に大事な友だちで、俺の方こそいつか二人から避けられないかビクビクしてるくらいだ!」


「あ、あの分かったから……。周りの人も聞いてるし、ね?」


「いいや、この際だから言っておく。俺からユカのことを嫌いになることなんて、絶対ない! それだけは覚えておいてくれ!」


 ユカに言いたいことを全部言って一呼吸ついた後、唖然とした表情をしているユカにもう一度頭を下げる。


「それと、遅れて本当にごめん。待たせて悪かった。次からはユカとの約束は絶対守るから」


 しばらくの沈黙の後、ユカは表情を崩して笑い始めた。

 その顔はさっきまでのユカとは違い、いつも通りの明るいユカの顔に戻っていた。


「ぷっ……ふふふ……。あれだけ大声で叫んでおいて、結局謝ってるってリョウ君面白すぎだよー!」


「それはその……ユカが変な勘違いしてるから訂正したはいいけど、いざ我に返ってみると俺がLIME見てないのが悪いじゃんって結論になって……謝っとくかって……」


「あはははっ! しょうがない、遅れたことは許してあげる。でもユカはまだミカちゃんとのことは疑ってるからねー?」


「本当に何もなかったんだって!」


 多少トラブルはあったけど、あれは巻き込まれ事故的なやつだしノーカンだ。

 俺からは手を出してないし、仮に事実を知られたとしてもギリギリ健全なラインだと思う。


「で、結局今日呼んだ理由って何?」


「だから言ったじゃん、電話でさー」


「え? オブジェクト前に集まるのが目的なのか」


「違うよー! はぁ……だから、そのね……」


 ユカは頬を朱に染めて少し目線を俺から逸らす。

 そして両手の指をもじもじと絡ませて、小さな声で言った。



「デート、しよ」

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