第101話 西の森(3)

 魔法で飛ばされた自覚もないまま、ユリキュースと秋守の目の前から敵兵が消えた。


「え!?」


 夜が過ぎて明るくなっていた空をさざ波が撫でていく。


「皆は?」

「あっ・・・・・・!」


 慌てて周囲を確認したふたりは、背後で燃え盛る炎に目が釘付けになった。


「こ、これは」


 森の中。

 木々を越えて高々と煙を上げているそれは、今まさに亜結を焼いている炎。黄色い火炎は激しい熱を発し近づくどころかその中に人の影すら見つけられなかった。

 空を夜明け間近に塗り替えたさざ波がふたりの体も撫でて地面に降り立つ。

 激しく燃えていた炎は途端に消えて、くすぶり始めた火が積み上げられた薪の間から見え隠れしていた。


「時が、戻っている」


 呟くユリキュースを置いて秋守は火に近づいていく。ふいに声がして秋守は足を止めた。


『1刻経つと元の時刻へ帰ります』


 シュナウトの声がふたりの心の中に響いた。


(20分か、短いな)


 秋守はアリューシュトの知識を自分の馴染んだ時間に置き換えてそう思った。上着のポケットからスマホを取り出してタイマーをセットする。


「アユさんの姿がありません」


 ユリキュースの声に顔を上げると、秋守がスマホをいじっている間に彼を追い越したユリキュースが組まれた薪の側に立っていた。

 組まれた薪は人ひとりを横たえられる広さ。その上に彼女の姿はなかった。


「まさか、彼女の遺体は元々ここにはなかったのか?」

「そんな・・・・・・!」


 おとりだったかとふたりの顔がこわばった。

 我々はまんまとおびき寄せられたのか。光に引き寄せられる虫のようにゲオルグの予想通りに動いてここまで。では、彼女は?


(遺体はどこへ?)


 ガルディンは命令を下した。仮にも王の命令が果たされないはずはない。ここでなければいったいどこに。ふいにパチリと枝を踏む音を耳にした。


「誰だ!」


 組み上げられた薪の向こうからそろりと出てきた兵士を見て、ふたりは剣の柄に手を掛ける。


「待ってください!」


 兵士は剣を腰にぶら下げたまま両手を前に付き出してふたりを止めた。ふたりが剣を抜かないのを見て、彼は両手を肩の高さに上げたまま疑問を口にした。


「王子、いったいどうやってここに?」


 驚いて見開かれた兵士の瞳が炎の光を受けてちらつく。

 この場に来るはずがないユリキュースが、牢の中にいるはずの彼がここにいることが信じられない。彼の顔にそう書いてある。

 兵士の目が恐る恐る辺りをうかがう。ユリキュースと青年のふたり以外誰もい近くにいないと感じて表情がほんの少し和らいだ。


「お嬢さんはここにはいません」

「いない?」

「私が別の場所へ移動しました」


 兵士はまだ周りを気にして世話しなく目を走らせている。

 ここは急場凌ぎに作られた空間。斬り倒された木が数本横倒しになっているだけで、人が隠れられる木々が鬱蒼うっそうと取り囲んでいた。


「私に着いてきてください」


 彼の言葉がにわかには信じられず、ふたりが躊躇する。それはもっともなこと。


「ピュレルの戦いで王子様に命を救われました」


 男はそう言ってヘルメットを脱ぐと胸に当ててユリキュースへ頭を下げた。


「ジェラルド王子にもよくしていただきました」


 ユリキュースと秋守が目を見合わせる。


「表立っての手助けはできませんが、焼いたと嘘をついて隠すくらいのことなら私でも」


 そう言って「こちらへ」と彼が歩き始める。彼が周りに目を走らせながら足早に森の中へ入っていく、その後ろをふたりは注意深く着いていった。

 ふたりを案内する道すがら彼はぽつぽつと話を続けた。

 ユリキュースがここへ来ることはないだろうと思っていたこと、異国の娘を焼くことが忍びなく思えたこと。そして同じ年頃の娘がいることを。


 先程の所から少しはなれた場所で兵士が足を止めた。


「ここです」


 彼が指差したのは2メートル弱の段差の下。低木と草が影を落とす場所へ彼が先に飛び降りる。続いて降りようとするユリキュースを引き留めて秋守が次に続いた。


「大丈夫だ」


 軽く確認して秋守が声をかけるとユリキュースはすぐに降りてきた。


「私の方が剣がたつのに・・・・・・」

「剣の腕があっても不意打ちじゃ危ないだろ」

「しかし」

「戦力としては弱くてもカナリヤ役ならちょどいい」

「カナ・・・・・・」


 説明を避けて「もういいから」と秋守が手を振る。

 降りてみると今まで歩いてきた場所がちょうど目線の高さにくるくらいの窪地。腰丈の草木が覆うその下を兵士が指差した。

 草木を分けてしゃがむ彼にならってふたりも屈みこむ。段差のせいで塀のように続く土の一部に濃い闇があった。


 地表を這う草や蔓が垂れ下がる向こうに、仄かに白い衣が見えてる。注意深く目を凝らさないと気づかないほどに闇に溶けこんで。


「埋葬用の服は用意できませんでしたが、白い布をかけてあります」


 カーテンを引き開けるように兵士が垂れ下がる蔓を横に除ける。その向こう、くり貫いたように空いた場所に亜結が横たわっていた。






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