第56話 雨音とともに彼の地へ

 ユリキュースはベッドに横になっていた。

 疲れている。とはいえ、眠いわけではなかった。


(何故わざわざ私の部屋で・・・・・・)


 うんざりした顔でユリキュースは天井を見つめる。

 頭の中でジルコーニュ姫とジェラルド王子の会話が自動再生されてうるさかった。


 姫をからかうようなジェラルドの言葉に姫が過剰反応して応戦する。


(彼は姫と仲良くなる気があるんだろうか)


 喧嘩するほど仲が良い。そんな言葉を聞きはするが、あれで仲良くなるのかとユリキュースは首をひねった。

 明日も来れば3日連続となる。


 普段、静かに過ごすユリキュースにとって、ふたりのいざこざの間に挟まれることは苦痛だった。


 午後のほとんどの時間をジェラルドに奪われた。それよりもユリキュースを疲れさせたのは、生き返りの力を使わされたことだ。


(ここにいる赤の者たちと違って、良い考えを持っているように見えたんだが。やはり赤の者は死へのハードルが低いのだろうか)


 大切にしていると言いながら、ジェラルドは飼っている鳥の首を無造作に折って見せた。


「生き返っても死の記憶は残ります。痛みや苦しみが無かったことにはなりません」


 2度としないよう諭したユリキュースに彼は納得したようだった。


(彼らにとって、人を殺すこともさほど気に止めることではないのかもしれない)


 リュースの持っていた小瓶が頭に浮かんだ。

 赤の者にしては穏やかな殺しの方法に思える。


(主犯が誰なのか知りたいところだが・・・・・・)


 ユリキュースの体調が思ったほど悪くならず苛ついているだろうかと推測する。

 液が無くなるころとみて、そろそろリュースにコンタクトを取ってくるだろうとユリキュースは考えていた。

 しかし・・・・・・。


(手札が少な過ぎるな)


 接触してきた者の後を着けるにしてもシュナウトやユリキュースでは目立ちすぎる。

 かといって、召し使い達は行動範囲の制限がある。なかったとしても青い髪が目について足止めを食らうことになるだろう。


 目を閉じて頭の中の霧をはらってみる。しかし、なかなか静かにならなかった。


(・・・・・・ん? 雨?)


 雨音を耳にした。

 それは窓の外からではなく、やけに近くで聞こえるようだった。

 不思議に思って目を開けると、空中に膜のように揺らめくものがあった。


「これは・・・・・・」


 それはまるで揺れる水面みなも

 向こうに見える天井が揺らいで見えていた。

 ユリキュースは身を起こしてゆっくりとそれに手を伸ばしてみる。

 ユリキュースの指先が触れそうになったその時、それは変化した。


 沢山の光の粒がふわりと現れて、光が人の形に集まっていく。


しるべ・・・」


 ユリキュースにはすぐにわかった。

 光が急速に失われて亜結が空中に浮いている。鳥の羽のようにふわふわと浮いていた亜結が、唐突に落ちた。


「標!」


 落ちてきた亜結をユリキュースが受け止める。

 ぐったりと力無く身を預ける亜結を胸に抱いて、ユリキュースは驚き彼女を見つめた。


「標・・・・・・。大丈夫か?」


 ユリキュースは囁くようにそう言って亜結の頬に触れる。


「・・・・・・んん」


 微かに眉が動いて亜結が小さく声をたてた。


「良かった。私の声が聞こえるか?」

「から・・・が、動か・・・い」


 亜結の口がおぼつかなく動く。


「ああ、凄く体が重くてだるいな」


 亜結の額に口づけをして、ユリキュースは彼女をベッドに横たえた。


「私に会いに来てくれたのか?」


 自然と頬がゆるんで涙がひとつ零れた。

 零れた涙が亜結の頬に落ちて彼女のまぶたが開いた。


「・・・泣いてるの?」


 彼女の瞳が不思議そうに見上げている。


「泣いてなどいない」


 頭の中のうるさい出来事が全て消えて、部屋に静けさがもどった。


「来てくれて嬉しい。だが・・・・・・ここは危険だ」


 そう言いながら、すぐに戻れとは言えなかった。

 亜結の髪を撫でて、そっともう一度額に口づけをする。


「標、なぜ泣いているのだ?」


 亜結は首をふった。

 止めようにも止まらない。心の奥が震えている。


 切なくて嬉しくて悲しい。胸が痛くて涙があふれた。

 ユリキュースの顔がよく見えない。


(これはハリューシャのせいよ。彼女が嬉しくて彼女が切なくて涙が出てるんだよ)


 ユリキュースはキュリアスじゃない・・・と、亜結は何度も自分の中の彼女に言い聞かせた。


(たぶん、あれも・・・・・・)


 ユリキュースの傷を治したあの日。

 彼にキスをされたあの時に湧いた感情も、きっとハリューシャだ。

 記憶の底に眠っていた彼女の愛する人への思い。


 そう思うと納得できた。

 何かに突き動かされたようなあの感覚を。


「ユリキュース・・・・・・」

「ん?」

「あなたも見たの?」

「・・・・・・何を?」


「私の所に来た時に、前世をあなたも見た?」


 しばらく亜結を見つめていたユリキュースが、小さく頷く。


(あぁ、だからね)


 それで彼はキスをしたのだと亜結は思った。


「でも・・・・・・口づけをしたのは、それだけではない」


 心を読んだような返答と、その意外さに亜結は戸惑った。


「ずっとそなたが気になっていた。ずっと会いたかった」


「ずっと?」


 ユリキュースの手に頬を包まれて亜結が口ごもる。


「そなたを守ると約束したのに果たせなかった」


「守る? 私を?」


「そなたの姿が見えなくなって、無事でいるかずっと心配だった」


 ユリキュースに「守る」と言われたことがあったかと記憶をたどってみる。でも、約束した覚えはなかった。


「私の妹のような目に会っていないかと夢にまで見た」


 ユリキュースの妹。確か切られて死んでしまったはずだ。

 テレビで見た彼の記憶を亜結は思い出していた。


「そなたは離れ離れになった時の妹と同じくらいの年だった」


 そこまで言われて、子供の頃にユリキュースと出会った時のことだとわかった。


「あの時に? 約束をしたのね?」


 ユリキュースは笑った。


「忘れてしまったのか。小さかったから仕方ない」


(私の側にずっといると約束してくれたことも、忘れてしまったのだろうな・・・・・・)


 少し切ない思いでユリキュースは亜結を見つめていた。



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