第54話 心の隔たりと空間の距離

 細い細い糸の先が亜結の足を絡め取ろう伸びている。それは紡がれる最初の一糸いっし

 あまりに細く軽く空気のようで、その存在に亜結は気づいていなかった。


 関わるほど糸の数は増し太くなっていくのに、亜結は関わりを深くしようとしている。




 亜結はキャンパスのベンチで姫花を待っていた。まだ肌寒い風に髪をゆらし鼻の頭を赤くして。

 そんな亜結の姿を見つけて秋守は笑顔になる。


「亜結!」


 まだ距離があるからか、秋守の声かけに亜結は気づかなかった。


「亜結」


 少し近づいてからもう一度声をかける。それでも彼女は気づかない。


(考え中か)


 一見ぼーっとしているように見えて心は一点集中している。これまでに何度か見た表情だ。


(今は目の前で手を振っても気づかないな)


 そう思った秋守がふと足を止める。


 すぐ近くのベンチに腰かけているのに亜結が遠くに感じられた。

 彼女はここにいるのに心はいない。ふたりの間に透明なスクリーンがあるように思える。

 同じ世界にいるように見えて、スクリーンの向こうは別世界のような、そんな気がする・・・・・・。


 秋守が近づく間も気づかずに、隣に座っても亜結が気づく様子はなかった。


「亜結」


 驚かせないようにそっと声をかけてみる。でも、難しい顔をしたまま亜結は一点を見つめていた。


「鼻が真っ赤だよ」


 秋守はそう言って小さく笑った。

 こんな時の亜結は興味のある事に夢中になっている子供みたいだ。


(可愛いなぁ・・・)


 秋守は彼女の横顔をしばらく眺めていた。


 亜結が楽しい空想をしているんじゃないことは表情を見ればわかる。

 眉を少し寄せていて、どこか苦しげに心配している顔だ。


(また王子様のことを考えてるの?)


 秋守の顔から微笑みが消えて、彼の口から小さく息が漏れた。

 背もたれに肘を置き、こめかみに手を当てて亜結を見つめる。その瞳が揺れていた。


(頭の傷がすっかり治ってるって言いたいのに。医者もびっくりしてたって話したいのにな・・・)


 一緒に笑いたい。彼女の笑顔が見たかった。

 でも、亜結の心はここにない・・・・・・。





 キャンパスを行き交う学生たちを亜結は見るとはなしに見ていた。


(あの時、何も気づかなかった)


 階段から突き落とされた時のことを思い出していた。背を押される間際まで誰かの悪意など感じなかった。

 ユリキュースの日常に危険が潜んでいることも最初は気づかず見ていた。

 囚われていても王子様は気楽だとのんきにそう思っていた。


(部屋に引き込もっていたら安全だと思っていたのに)


 身内と思う人から悪意なく命を脅かされる。そんな事があるなんて・・・と唇を噛む。


(お祖父ちゃんはずっと見てたんだよね)


 助けに行きたくても行けない、帰りたくても帰れない場所を。

 その場所を見ていて辛くはなかったのか・・・? そう思うと少し切なく感じる。

 敵に感づかれないように、ささやかな魔法くらいは使ったりしたのだろうかと祖父の顔を思い浮かべた。


(お祖父ちゃんはあっちの世界に帰れなかった。でも、私は行けた・・・・・・)


 その違いは何だろうかと首をかしげる。


(ユリキュースはこちらに来れた。私と彼だけが行き来できるっていうこと?)


 頭の中に「必ず出会う」という言葉と「運命」という単語が浮かんだ。


(私がしるべっていう者だから? 出会う運命だから空間を越えられるの?)


 王子と自分“だけ”が空間を往復できる。

 考えを巡らすうちに亜結の思考が間違った方向へスライドしていった。


(ユリキュースに危険が及ばないように、気をつけて魔法を使えば大丈夫よね。まずはどう伝えるか)


 秋守の提案した王子を逃がす方法を実行する前に、彼に伝える必要があると亜結は思っていた。

 亜結の部屋を経由して他の場所へ逃がすことが出来るなら、ユリキュースも乗ってくれる気がする。


(直接向こうに行くより声だけの方が使う魔力が弱そうだけど・・・。リュースを怖がらせちゃったからなぁ・・・・・・)


 ユリキュースが声に驚かなかったとしても、声だけで接触してくる者の話を信じるだろうかと問答する。


(私の声、覚えてるかな? 声を覚えてもらえるほど話もしてないか)


 やはり向こうに行った方が誤解なく話を進められそうな気がする。


(うん、行こう。お祖父ちゃんにできなかった事が私にはできるんだから。行って話をつけよう)


 ユリキュースが心配する王宮の外での生活は、シュナウトがどうにかしてくれるだろう。


(お祖父ちゃんの代わりに私が助ける)


 亜結はスカートをきゅっと握った。


「ユリキュースは私が守る」


 祖父に誓う思いが口をついてでていた。


「王子を亜結が守るの?」

「うん」


 問いに答えて、はたと意識が現実に戻った。


「・・・秋守先輩!」


 隣に秋守が座っている。

 彼が来たことに全く気づかなかった。そのことに驚いて亜結の目が丸くなる。


「え? いつからいたんですか?」

「けっこう前から」

「うそっ!」


 更に驚いて亜結は両手で口を押さえた。秋守はそんな亜結に残念そうな顔を返す。


「本当、嘘みたいな話だよ。何度も声をかけたのに全然気づいてくれないなんて」


 そう言ってため息をつく。


「ごめんなさいッ、あの・・・私・・・」

「王子様に夢中なんだね」


 秋守が悲しい顔をする。


「そんな事は」

「亜結の心の中に僕の事はどれくらいあるかなぁ」


 目を落とす秋守に亜結は焦った。


「いっぱい、いっぱいあります」

「嘘つき」


 秋守が腕を組んでそっぽを向いた。


「いや、その・・・。勉強するときは勉強のことを、料理をするときには料理。常に全集中で空いた時間に・・・・・・」


 秋守に頬をつままれて亜結の口が止まった。


「僕の場所は空き時間にしかないんだね」


 真顔で見つめられて亜結は言葉につまる。


(空き時間だなんて、そんな・・・)


 亜結は泣きそうな顔で秋守を見つめた。


(どうしよう。怒った? 怒らせちゃった?)


 もう片方の頬もつままれて、睨む秋守にすまなそうな目を送る。


「ぷっ」


 唐突に秋守が笑いだした。

 笑いながら秋守は亜結を抱きしめて頭を撫でる。


「先輩?」


「ああ、もう。そんな顔をされたらこれ以上怒れないよ」


 秋守の笑う声が耳元から聞こえて、彼の声が胸を伝って亜結に届いた。


「くふっ」


 心がくすぐったい。

 亜結は小さく笑って秋守の背にてを回す。


(嫉妬されちゃった)


 嬉しい。嬉しいのにユリキュースの顔が浮かぶ。


(関連項目だからよ。別にユリキュースが気になってるわけじゃないんだから)


 そう言って亜結は彼の顔をかき消した。



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