第10話 夜道のキス

 ふわふわと時間が過ぎていく。

 皆で笑って謝られて笑顔になって、優しくて穏やかで楽しい一時。お酒を飲んでもいないのに酔ってるみたいに。



 会がお開きになって駅に行き、乗る電車も秋守と一緒。駅に着くたびに仲間が減って、電車を降りる頃には姫花と3人になった。

 途中で姫花とも別れてとうとう秋守とふたりで歩く夜の道。


(夜道が楽しいなんて、どれくらいぶりだろう)


 文化祭の準備で遅くなったあの日くらいかもしれない。そんな事を考えながら歩く。


「方角同じだね」

「そうですね」


 肩を並べて歩く楽しさと、秋守の顔を眺められない少しの残念さを思う。


「どこまで一緒に行けるかなぁ」


 笑顔の秋守がそっと亜結を見下ろして、亜結も笑顔を向ける。


「どこまででしょうね」


 本当は「ずっとこうしていたいな」と言いたかった。


「この先の書店、入ったことある?」


 秋守の指差す先に書店があることを亜結も知っていた。


「はい、あります」


 共通点が増えていくことが嬉しい。


「ぽっぽ書房。もともとは児童書専門だったって知ってる?」

「そうなんですか? どうりで絵本が充実してると思った」


 亜結の今までとは違う明るい笑顔に秋守が楽しそうに笑った。


「凄いよね」


 絵本に埋もれる秋守を想像して、亜結がくすりと笑った。


「なに? あ、僕が絵本読んでるの想像したでしょ」

「あは、わかりました?」


 亜結の鼻先に指を向けた秋守が、眉間に小さくしわを寄せて見せる。


「意外に似合うんだよ。読み聞かせ会では一番人気なんだからね」


 ああそうだ、と思う。

 読書サークルはそういう活動もしていると秋守に聞いていた。


「イケメンのお兄ちゃんは人気あるでしょうね」


「そこ?」


 心外と言いたげな顔を作った秋守が苦笑いする。


「顔じゃなくて語りが人気なんだよ」

「あはは、そっか」


 そんな話をしているうちに、ぽっぽ書房の前まで来ていた。


(・・・?)


 秋守が本屋の前でふと足を止める。


「3月の・・・下旬にね」


 本屋の入口を見つめる秋守の目は、ひとりの女性の姿を思い浮かべていた。


「文庫本の棚の前で女の人が立ち読みしてたのを見かけたんだ」


(引っ越しも一段落した頃だな)


 亜結は自分の時間軸と重ねる。


「とても楽しそうで、目を輝かせて文字を追っている姿に惹き付けられた」


 亜結はその話の続きを聞きたくない気がして黙っていた。


(私もその頃に何度か来たことがある)


 同じ場所を共有していても秋守に出会えなかった自分と、彼の目に止まった誰かを思う。

 少し胸が痛んだ。


「なぜだか凄く惹き付けられて、中に入れずにここから見てた」


 秋守の目に、彼の声に恋心を感じて亜結はうつむく。


(これは・・・恋物語だよ、ね)


 涙がこぼれそうだった。


 スクリーンに写るその人を見る様に、秋守は暗いガラスの向こうに目を向けている。


「泣いたんだ、彼女」

「え?」


 脈絡みゃくらくのなさに顔を上げた亜結の口から声が漏れた。


「楽しそうに読んでたのに、嬉しそうに微笑みながら・・・。ぽろっと一粒、涙をこぼした」


 そこまで話した秋守が、ついと亜結へ目を向ける。


「何を読んでいたのか、その人がどんな人なのか気になって忘れられなかった」


 秋守の真っ直ぐな瞳に見つめられて、亜結はどうしたらいいかとまどう。


「だから、キャンパスで君を見つけた時はとても驚いて、凄く嬉しかった」


 頭の中がぐるりと回転した。そう感じた。


「えっと・・・それって・・・・・・」


 思考が追い付かなくて頭がくらくらする。秋守が亜結の右腕にそっと手を添えた。


「客寄せパンダは嫌だけど、チラシ配りして良かったと思ってる」


 亜結の頭の中に桜が舞っていた。


 楽しかった歓迎会、キャンパスで秋守の手が触れた頬。チラシを渡されたあの時。

 くるくると記憶がさかのぼっていく。


「君のことをもっと知りたい」


 秋守の顔が輝いて見える。

 やわらかな淡い花に包まれているみたいに、ふわふわと見つめる亜結へ彼が一歩近づく。


「付き合ってる人はいる?」


 亜結はただ、黙って小さく首を振った。

 彼の右手が亜結の頬にかかる髪をそっと直す。そのまま顎のラインを優しくたどった。

 顎の先にたどり着いた手がそっと亜結の顔をあげて、ゆっくりと彼が顔を近づける。


 無意識に亜結の右手が彼の胸に触れた。拒絶ではない。それは、嬉さと戸惑いのせい。

 秋守の胸に置いた亜結の手を、彼の手がそっと握って胸に押し当てる。手のひらから彼の鼓動が伝わって、唇が重なって・・・・・・。


 魔法使いがいるなら永遠に時間を止めて欲しい。そう願った。

 優しくついばむ様なキス。

 幸せを濃縮したみたいな甘味を感じてとろけそうだった。



 部屋で一人になっても亜結はふわふわと夢見心地だった。

 ずっと繋いでいた右手が愛しくて、彼に触れた唇が熱くて。思い出しては顔を真っ赤にする。


「いやぁ・・・・・・! 恥ずかしい!」


 お気に入りのぬいぐるみに突っ伏して、バタバタとしばし悶える。


「だめだ、お風呂に入ろう」


 身に付けていたペンダントをジュエリーケースの上に置く。


「お祖父ちゃん見守っていてくれてありあがとう。ちょっと目をつぶってくれてたかな?」


 そんな事を思うと気恥ずかしくてまた頬を染める。

 編んだ髪をほどいてふと気づいた。


「あれ? ピンが無い」


 小さな桜が付いたピンが無くなっていた。


「お気に入りだったのにぃ・・・」


 どこかに引っ掛かってはいないかとあちこち探したが見当たらなかった。


「仕方ないあきらめよう。きっと神様が持っていったんだ」


 こんな幸運の波を起こしてくれた神様になら持っていかれてもかまわない。そう考えて亜結は笑った。


「ぜんぜん等価交換じゃないけどね」


 アパートまで送ってくれた秋守が坂を下って帰る、その後ろ姿を思い出す。

 途中で左へ曲がった。曲がる前に立ち止まって振り返ってくれた。手を振る彼に手を振り返す。


「ふふふ」


 幸せな1日の終わり。

 ほんの少しの不思議さがありながら、全てが丸くふんわりと終わる幸せを噛み締める。




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