第28話 部屋から脱出しましょう。▼
【魔王城】
暗く、その場所は光があまり射さない。
ボロボロの血まみれのカーテンから少し外の光が入ってくる程度だ。
クロザリルが魔王をしていた時はいつもカーテンが開いていたが、メギドが魔王になってからは殆どカーテンは閉められたままだった。
そして、ゴルゴタが魔王を名乗り出してからはゴルゴタとメギドが城内で暴れた際にボロボロになってしまった。
魔王の椅子が置かれている謁見の間から、奥にある廊下を進んだ先の部屋にセンジュの部屋があった。
「センジュ様、夕食でございます」
センジュの部屋には、定期的に食事が届けられる。
届けてくる者はいつも違う。出される食事の質もまちまちだ。美味しいときもあれば、一口食べた瞬間に顔をしかめるほどのときもある。
差し出された食事を受け取ると、センジュはテーブルにそれを置き、ナプキンを首にかけた。
運ばれてきた料理は魚と、少々の野菜……。
「また生焼けの魚と雑草ですか……まったく……」
魔王城に仕えていた給仕係をゴルゴタが何人も殺してしまった為、給仕係が大幅に変わってしまった。
ゴルゴタは昔から高級料理があまり口に合わないらしく、料理に対する注文が多かった。彼にとってマズイ食事を出すだけで殺されるのだから、給仕係も必死に機嫌を取りながら料理を模索する。
注文が多いのはメギドも同じだ。そういったことは兄弟として似ている部分なのかもしれない。
センジュは生焼けの臭みのとれていない魚の丸焼きを食べ始めた。
相変わらず味がどうとか、そういう次元のものではない。
「気が滅入りますね……兵糧攻めとはなかなかの策士……」
小言を言いながらナイフとフォークを魚に入れていくと、中から血が出てきた。内臓もそのまま入っており、酷く生臭い。
センジュは眉間にしわを寄せながらもそれを口に運んでいく。添えられた野菜も、おそらくその辺に生えていた雑草を茹でたものだった。
センジュは食事をしながら周囲の監視状況を確認していた。五感を研ぎ澄ませ、周囲の監視の魔族の様子を把握する。
監視の交代の大体の時間は把握していたものの、センジュはメギドと『現身の水晶』を使って会話をした際、つい久々に会話ができたことが嬉しく、話し過ぎてしまった為に見つかってしまった。
それからより一層監視が厳しくなり、なかなか隙がない。
――メギド坊ちゃま……無事でしょうか……
込み上げる吐き気を抑えながら、センジュは食事を済ませて皿を部屋の番に渡した。
悪魔族の2人の青年が武器を持って部屋の前にいて、私が扉を開けると頭を下げてきた。過激派の粗暴な見張り番ではない者だということはすぐに分かった。
何度か顔を合わせている。特記するべき特徴はない。当たり障りのない服を着て、当たり障りのない槍を持っている者たちだ。
――確か……名前は「アガレス」と「ガープ」だったような……
「少し、散歩をしてもいいですかな?」
センジュがそう言うと、アガレスとガープは血の気が引いたのか、元々青白い顔をしている顔が更に真っ青になる。
「駄目ですよ……そんなところをゴルゴタ様に見つかったら、我々が殺されてしまいます」
「そうは言っても、ずっと部屋に閉じ込められていると気が滅入ります。彼はまだお帰りにならないのですか? 直談判させていただきます」
「センジュ様、おやめ下さい。この前だって……危うく殺される寸前でしたよ」
「ほっほっほ……そう簡単には殺されませんよ。大袈裟ですね」
「ゴルゴタ様はまだお戻りになってはおりません。とにかく、直談判だなんて……自殺行為ですよ。機嫌が悪いときなんて……報告に来た者だってすぐに肉塊にされて……」
両名ともガタガタと身体を震わせ、心の底からゴルゴタを恐れているようだった。
「左様ですか……まったく、仕方ないですね」
センジュは無理やりにでも部屋から出る気になれば外に出ることはできた。
だが、センジュがそうして外に出ると、門番をしていた者が責任を問われて殺されてしまう。
何よりもメギドのことを案ずる気持ちと同等に、センジュはゴルゴタの身も案じているということが、センジュの行動を制限することになっていた。
他にもいくつも不安材料があり、センジュはここから離れることができない。
「困りましたね。毎日部屋に閉じこもっていると落ち着かないのですが」
いつも庭の草花の手入れやメギドの世話などをしていたセンジュは、部屋に押し込められて城内のことについて何もできない状況なのは落ち着かない。
「申し訳ございません、センジュ様」
「ところで……最近よく城内で叫び声を聞くのですが、何が起こっているのですか?」
「……それについては申し上げられません」
センジュの部屋まで叫び声が届くほど、大きな声量で叫んでいる者の声を何度もセンジュは聞いている。
1人や2人ではない、何人もの叫び声が聞こえてきていた。ここ3日程度でそれは急増しており、ゴルゴタが出かけ、その声は漸く止んだ。
どうやら「言えない」という口ぶりからしてただの悲鳴ではなく、何か意味のあることをしているのだろうとセンジュは察する。
「立ち話? あたしも混ぜてくれないかしら?」
部屋番とセンジュが話しているところ、魔族の女性が現れた。
悪魔族のダチュラだ。
豊満な胸を強調する服を着ており、肌の露出度が高い。髪は地は緑色だが、毛先に行くにつれて金色の長い髪をしていた。
その派手な装いは遠目からでもはっきりと分かる存在感を放っている。
「ダチュラ様、申し訳ございません」
「いけませんね、センジュ様。ゴルゴタ様に怒られてしまいますよ」
「ほっほっほっほ……わたくしも部屋に閉じ込められていると気が滅入るのですよ。お庭の手入れや城の清掃もしたいですしね。彼はいつ頃お帰りになられるのかと尋ねていたところです。彼と直接お話をさせていただきたくて。あなたが彼に話を通していただけないですかね」
「……それを、ゴルゴタ様が良しと言うとは思えませんが」
「あるいは、ダチュラが同伴ならば外に出ても良いでしょう? 彼に信頼されているあなたと一緒であったなら、わたくしが出歩いていても問題はないかと存じますが?」
ダチュラは「うーん」と笑顔で考えるそぶりをした。
彼女は「ゴルゴタから信頼されている」というセンジュの言葉に気を良くし、自然と笑顔が漏れる。
「わたくしに何か怪しい動きがありましたら報告していただいて結構です。庭の手入れをしているこの老体をそれほど彼は気に留めないと思いますよ」
「……まぁ、あたしはゴルゴタ様の特別ですからね」
「そうでございましょう。わたくしは無力な執事でございますから、ダチュラの手にかかれば一ひねりでねじ伏せられますよ」
「…………」
愛想よくセンジュがそう言うと、ダチュラは少し考えた後にセンジュの申し出を承諾した。
「いいでしょう。あたしがついていれば問題ないと判断します」
「それはありがたいですね。ではまずお庭の植物の剪定をさせていただきます。鋏を取りに行ってもよろしいですかな?」
「はい。では参りましょうか」
センジュはアガレスとガープに対して笑顔を見せ、魔王城の中をダチュラと共に歩き出した。機嫌良く歩くダチュラの様子に、更にセンジュは頭を痛める。「こんな手に引っかかるなんて」と。
センジュが部屋から出るのは久しぶりだったが、魔王城の中は荒れ果てていた。
飾ってあった美術品の殆どは壊れているか、飛び散った血がついているのが当たり前。異臭がするかと思えば、打ち捨てられるように様々な種族の死体が転がっていた。よく考えるまでもなく、ゴルゴタが殺した者たちだろう。
「……死体の片づけは誰がやっているのですか?」
「従者がしております。あまり間に合っておりませんが」
「ふむ……これは庭の植物の心配よりも、死体の片づけをしなければならないような気がしますね」
剪定用の鋏がある部屋にたどり着く前に何体の死体を見たか分からない。
死体を運んでいたり、掃除をしているその城の従者のドワーフ、リザードマン、ゴーレムなどとすれ違った。全員センジュたちに頭を下げるものの、暗い表情をしていた。死体を運ばされているのだから明るい顔はできないだろう。
「剪定鋏があるのはこの部屋です。こちらの方はあまり血が飛び散っていなくて安心しました」
センジュは様々な道具が壁にかけられている部屋に入り、大小さまざまな剪定鋏のある箱を手に取った。
廊下に出て外を見ると、庭の方にも死体が何体も転がっているのを見て、センジュは頭を抱えた。
「遺体は……どうやって処理しているのですか?」
「燃やしてます」
「城の敷地内でですか?」
「そうですね。遺灰や骨は砕いて森に撒いている様です」
「……城内でするのは止めていただけませんか? せめて森の中で安らかに眠れるように弔って差し上げたいのですが」
色々と思うところはあるセンジュだが、一先ずは庭の剪定に向かった。
庭に出て行くと死体が無造作に並べられていたり、生垣に打ち捨てられたり、身体の部位が落ちていたり、あまりにも酷いありさまだった。
薔薇の木に引っかかっている遺体をどかし、センジュは手慣れた手つきで庭の整頓を進めた。白い薔薇が血で赤く染まっているのを見ると、センジュのため息は尽きない。
センジュが薔薇の剪定をしている中、ダチュラは退屈そうにそれを見ていた。伸び放題になっている薔薇の枝を丁寧に切り、枯れた花を切っていく。
「魔王城の薔薇は沢山ありますが、全て剪定されるのですか?」
「もちろんでございます。ここのところ全く手入れが出来ておりませんでしたので、枯れた花は切り取らなければなりませんし、折れてしまった枝も取り除かなければなりません。それに、水やりもしなければならないですし、やることが沢山あります」
「何時間もかかりますが……?」
「何時間でも行います。それがわたくしの仕事でございますので」
その返事にダチュラは露骨に嫌そうな顔をした。
薔薇の剪定をしているセンジュの見張りというのは、ダチュラにとっては非常に地味で退屈な内容だった。
「センジュ様、適度になさってください」
「そうはいきません。綺麗に咲かせる為には色々手入れが必要なのですよ」
「薔薇を見る者もいないのに、ですか?」
「メギドお坊ちゃまが戻られたときの為に綺麗にしておかなければなりません。この魔王城の薔薇はヨハネ様の代から続く大切な薔薇なのです。メギドお坊ちゃまもこの薔薇を大変お気に召されておりました」
センジュが剪定鋏で枯れた薔薇を切り取ろうとした瞬間、辺り一面が炎に包まれた。丁寧にセンジュが目の前の薔薇も燃えてしまった。
「何勝手に外出てんだよ、ジジイ」
燃え盛る炎の中、血まみれで服が穴だらけのゴルゴタが現れる。
それを見てダチュラは硬直したようにゴルゴタを見つめた。それは、血まみれであったこと、不機嫌そうにしている様子を見て恐怖を感じたからだ。
センジュは燃え盛る目の前の薔薇をただ見つめていた。
「テメェも何してんだぁ……?」
「センジュ様が庭の手入れをしたいとおっしゃるので……あたしが同伴ならいいかと思い……」
ゴッ……!
ダチュラはゴルゴタに殴られた衝撃で吹き飛び、何回転もしながら転がり、最終的には魔王城の外壁に身体を打ち付け、痛みに身もだえている。
「いつからそんなに偉くなったんだ……?」
燃え盛る薔薇の前でセンジュはゆっくりと立ち上がり、ゴルゴタの方を見た。
「おいたがすぎるのではないですか? ゴルゴタお坊ちゃま」
「その呼び方で呼ぶんじゃねぇって言ってんだろうが!」
ゴルゴタはセンジュに対して鋭い爪を振りぬいた。しかし、センジュはそれをひらりと避ける。ゴルゴタは一振りだけで、それ以上センジュに対して攻撃することはなかった。
「俺様をその気色悪い呼び方で呼ぶなっつってんだろ。何度も言わせんな。それとも……薔薇燃やされて流石のてめぇも怒ってんのかぁ……? ヒャハハハ……」
「……その血は、ご自身の血でございますか?」
「キヒヒ……どうだと思う?」
楽しそうにゴルゴタは笑った。その表情を見てセンジュは目を細める。
「何もお持ちでないところを見ますと、その血はご自身の血なのでしょう」
「あぁ? それとこれと、何の関係があんだよ」
「貴方様は、手に入れたとしたら戦利品としてメギドお坊ちゃまの身体の一部を持って帰ってくるでしょうから。それほどの血液付着がしているのに何も持っていないともすれば、自身の血と考えます。返り血にしては血の付き方も不自然ですしね。さしずめ、苛立った際に自傷行為癖で首辺りを搔き毟ったのでしょう」
センジュの言ったことはゴルゴタの行動のひとつひとつを的確に言い当てていた。
それに対してゴルゴタは面白くなさそうに舌打ちする。
「ちっ……ホントつまんねぇ……」
「……随分上機嫌のようですが、何か嬉しい事でもありましたか?」
ダチュラから見て不機嫌そうに見えたゴルゴタに、センジュは「上機嫌」と言った。それはセンジュがゴルゴタのことを良く知っているからこそ分かることなのだろう。
センジュは燃えている庭の薔薇の木だったものを水魔法で消火した。辺り一面から焦げ臭い匂いが辺りに充満する。
「ジジイと話してると調子が狂うぜ……さっさと部屋に戻りやがれ。あんまりおいたがすぎると、地下牢で拘束されることになるぜぇ……? キヒヒヒ……」
「そうはおっしゃいますが、死体の処理も追い付いておりませんし、城内の飛び散った血の清掃も、庭の手入れもできておりません。不衛生にしておりますと、疫病が発生しかねませんよ」
「はぁ? そんなに雑用がしてぇのか? まったく理解できねぇな……死体なんざその辺に転がしときゃいいのによ……」
面倒くさそうにゴルゴタが言うと、センジュは焼けて炭になってしまった薔薇の元へと足を運び、その薔薇だったものに触れて悲し気な表情をした。
「いつまでわたくしを部屋に閉じ込めておくおつもりですか?」
「てめぇは黙って閉じ込められてればいいんだよ。生活も別に不自由なくさせてんだろうが。戻れ。そこのくたばりかけの女連れてこい」
「……不自由なく……ですか。兵糧攻めには苦心しておりますが……」
センジュは顔の骨が折れて顔が変形してしまっているダチュラの腕を取り、肩を貸した。身体中が痛むのか、うめき声をあげている。
「それよりもまず消耗しておられるゴルゴタ様が食事をお召し上がりになり、入浴し服を着替え、お休みを取られるのが――――」
「あぁあああうるせぇえええ! それ以上言ったらぶち殺すぞジジイ! 黙ってろ!」
「…………」
鬱陶しそうに言うゴルゴタに対して、それ以上センジュは何も言わなかった。
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