疾風怒濤の格好つけ

柳野 守利

序幕

 小さかった頃の母の言葉を、未だに忘れられずにいる。ちゃんと産んであげられなくてごめんね、という……聞くに耐えない言葉だった。いや、母は優しい方だろう。産まれてきた子どもに、当たり散らしたりしないだけ。聞けば、多くの自分のような人は酷い仕打ちを受ける場合が多いらしい。


 ……日常的に、そうではないと自分は言いきれないけど。でもきっと、逆なら自分もそうなるんだ。こんなのがいても、なんとなく不快になるだろう。一緒にいたくはないだろう。意味もなく気持ち悪がるだろう。


 皆が当たりくじを引く中で、自分はハズレくじを引いた……いや、逆かもしれない。確率的に、当たりはこっちなんだ。施術の成功率は、今の時代じゃ九割とんで九分九厘。学校に一人、いるかいないか。そんな程度の人数だ。


 『できそこない』が何を言おうが、真っ当な扱いはして貰えない。こんな自分は嫌だ。こんな顔は嫌だ。こんな存在は嫌だ。


 何をやっても上手くいかない。何をしても、誰にも勝てない。皆が着てる服も似合わない。将来の夢なんてものは持ち合わせていない。


 何も、高尚なことは望まないから。ただせめて……好きになってしまった女の子の前でくらい、格好つけたい。『ダスク』だろうと、それくらい望んでもバチは当たらないだろう。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 日本という国には、二種類の人間がいる。優秀な人間と、そうでない人間。かつて労働社会と腐った政治家による廃退を思わせていたこの国は、ある時を境に目まぐるしい変化を遂げていくことになった。


 技術の革新。イデオロギーの変位。凝り固まった世代は老いていき、やがて新たな世代が国を動かしていく。そこにかつてあった日本人の心はなく、徐々に侵食していった新しい精神が形作られていった。


 種の繁栄だけでなく、質を高めようとしたのだ。遺伝子操作による赤子の平均能力の向上化。足が遅い、勉強が苦手、などといったものは既に個性ではなくなった。均一した性能と、突出した才能。苦手な部分を排除し、社会への適応としてストレスへの耐性もつくようになっている。それを技術が可能とした。


 だが、何事も失敗というものはある。遺伝子操作の成功率は極めて高かったが、失敗して全てが反転してしまう赤子も出てきた。才能に恵まれず、ストレスへの耐性もなく、平均能力も低い。彼らは『ダスク』と呼ばれるようになった。ほとんど蔑称のようなものだ。


 前の日本と同じように、イジメの対象になりやすく、社会に貢献することも難しい。出来損ないのダスク、と呼称されることも珍しいことじゃなかった。


 ならそんな施術しなくていいのでは? ピーキーだろうと、欠陥があろうと、施術をせずに産めばいいじゃないか。そう答える親もいるにはいた……が、答えなんて決まってるだろう。皆がやってる。そんな中で自分の子だけそうじゃない。それはなんか嫌だ。だってそれが当たり前の世の中だ。


 それに……自分の子には、いい未来を歩ませてやりたいものだろう。それが親の気持ちというものだった。


 そして今日もまた、街のどこかでダスクにとって苦痛の日々が始まる。路地裏で、スーツ姿の男性が蹲っていた。傍らには三人ほど男が立っている。着崩したスーツの彼らは、同僚なのだろう。蹲る男の頬をペチペチと叩いては笑っていた。


「ほんっとお前さぁ……仕事はできねぇ、気配りもできねぇ。挙句の果てには嘘ついて誤魔化そうだぁ? 自分がどれだけ迷惑かけてんのか、考えたらどうなんだよ、あぁ?」


「ダスクの尻拭いばっかさせられて、こっちも困るんだよなぁ……。代わりなんていくらでもいるんだし、とっとと辞めてくれた方が楽になれるんだけどよ」


 蹲る男の目に、生気はない。そもそも昔からこんな扱いだった。そんな諦めのような気持ちが体の中で渦巻いているのだろう。すみません、と言葉を零す。だが彼らの燻る嫌悪感というのはなくなりはしない。


「謝ったところでどうにもならねぇだろ、えぇ?」


「やめとけやめとけ、所詮はダスクだ。一般人にできることすらできないって、産まれた時から決まってんだよ」


 詰め寄りもせず遠巻きに見ていた三人目が、煙草に火をつけながら言う。『そういうものだ』と。


「だからって、俺たちがこんな野郎の尻拭いなんざごめんなんだよ! お前もそうだろ!?」


「今に始まったことじゃないしな。まぁ……押し付けた人事部には多少怒りたくもあるけど」


「……ご、ごめんな、さ……」


「あぁもううっせぇな! 謝るくらいなら何もすんなっつの!」


 側にいた二人のうち、ピアスをつけた男がダスクと呼ばれた男を蹴り飛ばす。蹲っていたところに、更に腹を蹴られ。男は路地裏で横たわったまま微振動を繰り返すだけとなる。


「けっ、ストレスの発散にもなりゃしねぇ」


「数回蹴っ飛ばしゃ、明日は来られなくなるんじゃねぇのか?」


「おいおい……何かあった時に文句が飛んでくるのは俺だぞ。派手なことするのはやめてくれよ」


 タバコをふかしながら、程度はわきまえろと静観する。「腕を折れば仕事はできねぇだろう」なんて言って、二人組は足で腕と手を踏みつけた。痛いという声も、彼ら以外に届くことはない。


 あぁ、なんてことはない。ずっと昔の光景と、そう変わらない。自殺者だって減った。ただ『獣』が増えただけだ。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





 夕暮れになる前に、人は皆帰路に着く。夜が危険だというのは幼い頃から教えられてきた常識的なものだ。買い物も切りあげ、遊びも終わりにし、会社から退社し。安全な自宅へと帰っていく。


 駅前の広場は人でごったがえし、前後不覚に陥りそうになるほど。そんな人々の耳に届くのは、高層ビルにつけられた大型ディスプレイの音声。時刻を告げる放送が流れていた。


『間もなく、時刻は大禍時おおまがときとなります。速やかに帰宅し、自分や家族の身を守りましょう』


 大禍時。黄昏時を超えた先の時間。世に蔓延る『獣』の時間だ。日本の発展と共に出現した、化物。『シェイド』と呼ばれるもの。夜間にどこからともなく現れては、近くにいる人に襲いかかると言われている。それが出現する時間よりも前に帰ることが義務付けられていた。そして夜間の外出は禁じられる。破った者の末路は……言うまでもない。


 基本的に日中には現れないとされている。基本的には、だが。


「だ、誰か助けてくれぇっ!!」


 路地裏から悲鳴とともに走り出てきたスーツの男。大通りまで走って、転ぶ。地面にタバコの箱から出た中身がぶちまけられた。一部が血で染まっている彼の姿を見て、近くにいた人々はどよめき始める。何が起こったのかと聞く前に、彼は声を荒らげて周りの人間に言い放つ。


「シェイドだ! シェイドが出たんだ! 早くここから離れろ!」


 シェイド。その名前を聞いたただけで、我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した人々。男が来た方とは別の場所へと逃げていく。ただ、時間帯が悪かった。大禍時になる少し前の時間。人が一番混雑する時間だ。逃げようにも人の多さに足を取られ、体はぶつかり、上手く逃げようにも逃げられない。


 血塗れたスーツ姿の男は叫ぶ。


「シェイドだ! シェイドが出たぞ!」


 危険だと叫ぶ。逃げ惑う傍らで、どこにシェイドがいるのかと何人か振り返った……が、彼らの視界にシェイドの姿は確認できない。


 血塗れたスーツの男の近くにいた男性が、男に問いかける。どんな姿をしていたのか。どこで見かけたのか。それらをAntiシェイドShade戦闘部隊Force──ASFへと通報するために。


「シェイドだ! シェイドがそこから来るぞ!」


 しかし男は慌てた顔つきのまま、その言葉を繰り返す。それを見て怪訝に思った。本当にシェイドがいるのか、と。時折いるのだ、不謹慎な輩が。シェイドがいるなどと嘘をつく奴が。


 だが血濡れている姿から察するに、嘘とは思えない。逃げながら詳細を聞こうとするが、男は路地裏を指さして言う。


「シェイドがそこから来るぞ!」


「……来るようには、見えないけど」


 そもそもまだ大禍時じゃない。なのにシェイドが出た。本人は錯乱しているのか、同じような言葉しか繰り返さない。焦燥感と正義感に駆られ、男は血塗れたスーツに掴みかかると、強く揺すった。


「ハッキリしろ! 一体どんな奴なんだ!」


「シェイドが……そこ、から……」


 じんわりと汗をかいていたスーツの男の顔が、歪む。顔の中央に横一文字の線が浮き出てきた。


「……えっ」


 開く。唾液にまみれた顔の断面が、彼の見た最後の光景だった。中心から大きく開いた別の口。それが男の頭を丸かじりにしていた。


 近くにいた人々は、そのあまりに異様な光景に思わず足を止める。シェイドだと叫んでいた男は、肉塊に喰らいつきながら姿勢を低くしていった。四足の状態にまでなると、やがてスーツが刺々しい毛のようなものへと変わっていく。顔は全て黒く染まり、同様の毛皮に包まれる。細くなった目、尖った耳、大きく開かれた口と牙。棍棒のような大きさの尻尾。血と唾液が滴り落ち、口の中身を飲み込んだあとで空に向かって吼えた。


 耳をつんざくような遠吠え。鼓膜が破れそうになり、身をすくめてしまう。


「ひっ……人に化けてた……!?」


 シェイドの生態は明らかになっていない。先程まで人の姿をしていたシェイド……その姿は狼に酷似していた。大きさは並のものではない。軽自動車と遜色ないほどの巨躯。それが忽然と彼らの前に現れたのだ。


「A、ASFを呼べ! 早くっ!」


 逃げる。しかし人の体の大きさと逃げ足で、ソレに適うわけがなかった。近くにいた人の集まりに向かって跳び上る。ソレが体に乗れば、骨は容易く折れるだろう。そして無惨に喰われるのは想像に難くない。


 ソレが視界の上部を覆い隠そうとした時、死ぬのだとわかった。反射的に腕で顔を隠そうとする。


『変身ッ!!』


 しかし……いくら待てども、重さは感じない。のしかかってくるはずだったあの化物は、自分の身に落ちてくることはなかった。代わりに聞こえてきたのは、男の声。


 遠目から見ていた人々が、その巨躯が弾き飛ばされたことを確認する。人並みの大きさの、黒い物体のようなものに。スカーフのように首元に巻き付けられた黒のマント。全身黒一色のコートのような服。そして被せられたフードの下にある、仮面。嘲笑するピエロのような、真っ白な仮面だ。涙の跡がついているように、水色の斑点がある。


「昼間から堂々と人喰いか……度し難いな」


 全身黒服で仮面の男。それがあの化物を容易く蹴り飛ばしたのだ。どこからともなく颯爽と現れ、人々を救わんとするその姿。今まさに世間を賑わせる、時の人。


 遠巻きに見ていた人々は歓喜した。ASFの到着よりも早く、彼が来てくれたのだと。


「ここから離れろ。この獣は、俺が引き受ける」


 仮面の男は恐怖に怯える人々を守るように立ちはだかる。獣は姿勢を低くし、いつ噛み殺そうかと、虎視眈々と狙いを定め始めていた。


「『舞台の幕が上がる。物語の終わりは、締切という死神によってもたらされるものだ』」


 黒服が右手を振るうと、その手の中に背丈よりも大きな鎌が現れた。緩い黒服に、鎌。まるでおとぎ話の死神のような姿。けれども彼はヒーローだ。


 デパートで行われるヒーローショーのように、大仰な仕草で服をはためかせる。獣を挑発し、恐怖に脅えていた人々を勇気づけるような魅せる動きを繰り返す。


 鋭い爪による攻撃も、ひらりひらりと躱しては「止まってみえるぞ」と言い放つ。時には宙返りで攻撃を避け、空中で回転するように鎌を振るう。その一挙手一投足が演技のように思わせる。しかしこれが彼だった。


 無駄に洗練された無駄のない無駄な動き。ただの格好つけだ。


「躾のなっていない犬だ。飼い主からまともな扱いをされなかったんだろう」


 飛びかかってくる狼の攻撃を鎌で受け流す。その重さを感じさせない軽快な動きに、人々の心は徐々に掴まれていく。自動車ほどもあるあの大きな体躯を蹴り飛ばせるだけの力がどこにあるのか。それを観衆に魅せつけるだけの胆力。人並外れた技だ。


「『その身に宿した赤ずきん。肉塊は石へと変質した』」


 俊敏な動きを見せていた獣が、急に勢いをなくす。跳び上る高さも低くなり、尻尾は地面を引きずり回される。彼の紡いだ言葉が、呪いとなって獣を押さえつけていた。


 鈍くなった獣の爪撃を鎌でいなし、懐に潜り込んで蹴り飛ばす。獣は街頭に衝突してようやく動きを止める。


「化けた狼は、通りがかった猟師に殺される……まぁ、さほど変わらないだろうさ」


 ゆっくりと歩み寄り、そう告げる。その鎌が獣の命を刈り取るまで、彼のパフォーマンスのような動きは続いた。首が転がり、地面に黒の液体が染み込んでいく。それらはやがて黒い煙となり、跡形もなく消え去った。絶命した獣が消えていくのを確認すると、大きな鎌を手元でクルクルと回してから消滅させる。


「これにて……此度の舞台は幕引き。大禍時となる前に、ご帰宅を」


 まだ残っていた人々に向け、仰々しくお辞儀をする。そして拍手と声援を背中に受けながら、彼は颯爽とその場から跳び上がり、ビルの合間へと消えていった。


 いつからか人々を影から救い始めたヒーロー。それが『ダスク』の少年だとは、誰も思いはしなかった。

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