第2話 照れ隠し



 今日は社交界デビュー。

 御付き筆頭メイドのポーラがとても張り切っている。

 彼女ならきっとこちらが悲鳴を上げようが、ギリギリまでコルセットでセシリアのウエストを絞ってくるだろう。


 つまり近未来の自分の身の危険を回避する為には、多少の空腹は我慢するしかない。


(衣装のせいでお昼ご飯をお腹いっぱい食べられないなんて……)


 何だかとっても気分が下がる。


「今日一日忙しいし、ご飯は食べられないし、初めての社交は頑張らないといけないし。ちょっと大変……」


 口を尖らせながら言えば、ゼルゼンが苦笑した。


「他はどうにもならないけど……ご飯に関しては夜のパーティーで軽食が出るぞ?」

「でも、流石にガッツリ夕食っていう訳にはいかないでしょ?」


 パーティーへはご飯を食べに行くのではない。

 社交をしに行くのだ。

 一体どれだけ食事に時間を取れるのかなんて、分かった物じゃない。



 しかし彼の忠告はセシリアを思えばこその物でもある。

 聞いておいた方が良い事も、十分に分かっている。


「ねぇゼルゼン、忘れてたらいけないから昼食の直前にもう一度念押ししてね?」


 少し愚痴を言ったお陰でスッキリした。

 だから軽口はこの辺にして、ゼルゼンにそんなお願いをしておく。


 昼食と言えば、おそらく両親との話の直後だ。

 話によってはそちらで頭が一杯で、こちらを忘れてしまっている可能性だって十分にあり得る。



 ティーカップから口を離して言いながら、彼の方へと振り返った。

 すると、ゼルゼンは。


「了解」


 まるで「言うと思った」とでも言いたげに笑いながら答えてくれた。


 そんな彼に、セシリアは言葉を続ける。


「ゼルゼンの淹れてくれる紅茶は、今日もとっても美味しいよ?」

「んなっ、何だよそんな急に褒めたりして!」


 「褒めても何も出ないぞ!」と主張してくるその声には、彼の動揺が混ざっている。



 確かに彼が動揺するのも当然だ。

 彼の淹れる紅茶が、いつも美味しい。

 だからこそ普段は褒めたりしない。


 今日褒めたのには、理由がある。


「ねぇゼルゼン、昼食後はコルセットの事もあるから社交界まで食べ物は禁止でしょ?紅茶はどうなのかしら」


 これは、おねだりだ。


 もし時間が空けば出発するまでの間、少しの間だけでも良い。

 紅茶を飲んでゆっくりとした時間を過ごしたい。


 そんな意思表示だった。


 それは、少し遠回しなおねだりの仕方だったかもしれない。

 しかし寸分の狂いもなく、ゼルゼンにはその意図が通じる。


「……一応マルクさんに確認はするけど、多分少しくらいなら問題ないと思う。まぁ、お前が着替えた衣装を汚さない為の『防御策』は、予め立てておかないといけないだろうけどな」


 人前なら未だしも、リラックスタイムのお前は汚しちゃいけない服を着ている時に限っては十中八九服に零すから。

 そう、ゼルゼンは少し難しい顔をしながら付け足す。


 おそらく彼は、今正にセシリアからのおねだりを実現する為の策を練っているのだろう。

 何やら考え込み始めたゼルゼンの、淀みなく動く紅茶のおかわりを淹れる手つきを眺めながら、セシリアはスッとティーカップを口元で傾ける。




 彼は元来、世話焼きで誰かの困り事やお願いを放置しておけない様な性格をしている。

 だから執事という仕事に対して、性格的な適正があったのは確かだろう。


 紅茶をこんなに美味しく淹れられるようになったのだって、セシリアが以前に「ゼルゼンの淹れる紅茶、飲んでみたいなぁ」と口走ったのが事の発端だ。


 紅茶好きのセシリアが「美味しい」と思える様な紅茶が淹れられる様に。

 そんな目標を立て、『伯爵家の筆頭執事』兼『紅茶入れの名人』であるマルクに師事を頼み、修業した。


 流石にまだ師匠の域にまでは達していないものの、そのお陰でゼルゼンは十分に『セシリア好み』のお茶を淹れることが出来る様になっている。



 ゼルゼンは特別仕事の飲み込みが速いわけでも、器用に熟す訳でもない。

 しかしその分、彼はこの4年弱の間に並々ならぬ努力と厳しい研鑽を積んできた。


「ゼルゼンは執事としての基礎スキルは勿論だが、主人であるセシリアの行動予測とフォローが上手いからなぁ」


 とは、とある同僚のセリフだ。

 同僚も認める程の頑張りをし、そしてそこに技術が追いついてきた。

 それが今の彼である。


 お陰で彼の使用人達からの好感度も高い。



 先日、ゼルゼンはマルクに呼び出されてこう言われた。


「まだ若いしスキルも一流とまでは行かないが『セシリアお嬢様の専属執事』という立ち位置において、ゼルゼンは問題なくその機能を果たすでしょう」


 それは普段厳しいマルクにしては珍しく、非常に良い評価だった。


 そしてそれは、社交界デビューをするセシリア付きの執事として王城へと追従する為の切符でもあった。


「――ありがとう、ゼルゼン」


 王都まで付いてきてくれて。

 そして王城まで付いてこれるだけの努力をしてくれて。

 お陰で私はこんなにも、心強い。


 ゼルゼンが居れば、何とかなる。

 それはセシリアが長年抱いてきた、根拠のない自信だ。

 しかし確実に、その根拠がセシリアの根幹を支えている。



 彼女の謝意を、ゼルゼンはおそらく『おねだり』に対する物だと思ったのだろう。


「……まぁ、それが俺の仕事だからな」


 まるで言い訳でもするかの様に告げられたその言葉に、『らしさ』を感じて思わず口元に笑みが零れる。


 彼の様子を観察しているとその視線に気付いたのか、顔がフイッと背けられた。

 しかし頬に射した仄かな赤が、嬉しさや照れの感情を上手く隠しきれていない。


 そこがまた彼らしくて、セシリアは今度は大きく破顔した。

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