第13話
ブラスロックとスカのバンド「ロケットスター」のステージが終わると、持田は翔太をライブハウスの外へ連れ出した。
入口の脇に置かれたベンチには演奏を終えた出演者やその友達や、観客やらがたむろって煙草を吸っている。持田はポケットから煙草を取り出し、口に咥えると慣れた手つきで火をつけた。
そして深く吸い込み長々と煙を吐き出してから、おもむろに口火を切った。
「翔太、お前、大丈夫か」
「なにが」
「ちょっとテンションあがりすぎじゃねえの」
「なんで」
「だって、お前、ステージに向って田口さんって」
斉藤もうんうんと頷きながら、
「あれじゃただのイタいファンだ」
「だって気づいてもらわらないと来た意味ないじゃん」
「あんな猛アピールしなくても後で楽屋行くとかすればよかったじゃん」
「……」
「それこそ、待ってればいいわけだし」
「……それは思いつかなかった……」
「だからテンションあがりすぎなんだっつーの」
冷静に言われて翔太はしゅんとした。
「ごめん。興奮しすぎた」
持田は無言でそっぽを向いて煙草を吸っていた。
あんまり素直に謝るから斉藤は急に翔太がかわいそうになり、
「まあ、悪気はないんだからさ。な。もっちーもそんな怒らなくてもいいだろ」
と、とりなすように言った。
「もっちー言うな。別に怒ってねえよ」
咥え煙草で二人を一瞥しながら持田はさっきのステージで田口さんが使っていた楽器が自前の物だった場合、会長になんと言えばいいのだろうと内心不安を感じていた。そして、ブラバンが活動できないことになったら。そうしたらこいつはどれだけがっかりするだろう。
なんとかしないとな。持田は煙草を地面に捨てて靴の踵で踏みにじりながら、そういう風に考える自分がおかしかった。確かにさっきのステージは格好よかった。でも、自分はやったこともないのに楽器なんて本当にできるだろうか。そもそもブラバンに興味なんてないというのに。それなのになんでこんなに一緒になって懸命に奔走してるんだろう。いや、理由は分かってる。翔太だ。こいつの子供みたいに無垢で純粋な情熱に心動かされるのだ。たぶん斉藤もそうだろう。もともと優しくて気のいい奴だから放っておけないんだとしても、自分たちはブラバンではなく「ブラバンを好きな翔太」に惹きつけられているのだ。
「なあ、あれ、田口さんのバンドの人じゃね?」
斉藤がライブハウスの入口を指差した。見ると確かにそこにはさっきの男前ギターが他のバンドのメンバーと和やかに談笑しているところだった。
「ほんとだ。なあ、あの人に聞いてみようよ」
「翔太、お前の行動力は時々凄まじいな」
「なんで」
「あれ、話しかけれる雰囲気か?」
「だって、じゃあ、いつ聞くんだよ」
「それは……」
「俺、行ってくる」
ちょっと待てと言う暇など一秒もなかった。次の瞬間にはもう翔太はぱっと彼らに駆け寄っていた。
「翔太っ」
次に慌てて走り出したのは斉藤だった。これは翔太を心配するあまりの咄嗟の行動だった。出遅れたのは持田だけだった。持田はその場に立って二人の様子を見守っていた。
男前ギターは片手にビールを持ち、モヒカンの男と何事か話しているところで、駆け寄ってきた翔太を見るとすぐに「あっ、さっきの」と俄かに相好を崩した。
モヒカンも翔太を振り返ると「ああー、ぐっちゃんのファンじゃん」と笑った。
あ、よかった。なんか、好意的な感じ? 翔太は自分が変な奴だと思われただろうことは自覚していたので、彼らの好意的な態度に少しほっとした。
「あのう、さっきのライブ、すごいかっこよかったっす」
「ありがとー。なに、君らもしかして高校生?」
「あ、はい。そうです。あの、僕ら、田口さんの後輩で」
「え、なに、そうなの? ああ、それで田口さん?」
男前ギターはなるほどと頷きビールに口をつけた。
「後輩って、高校の?」
「はい」
「もしかして同じクラスとか?」
「いえ、僕ら一年なんで」
翔太が言うと男前ギターは驚いた顔で、
「あいつ一年と仲良いのか……」
と意外そうに呟いた。
「いや、仲良いとかそういうのでは……」
「あー、まあ、先輩だもんな? 君らの学校けっこー上下関係厳しいつーか、あれでしょ? ヤバい奴も多いんでしょ」
「はあ」
会ったことはないんですけど。斉藤は翔太が馬鹿正直にそう言いそうな気がして、咄嗟に一歩前へ進み出た。
斉藤の巨体がずいと動くとなんだか空間がぎゅっと歪むようで、その圧迫感というか、体ごとの圧力みたいなのが図らずも奇妙な真剣みを醸し出していた。
翔太の素直さは素晴らしい長所だと思うが、時々その素直さは「天然」とでも言いたくなるほどで、斉藤はいつの間にか持田と同じように「自分がなんとかしてやらないと」と思わせられていた。
「あの、ちょっと挨拶とかしときたいんですけどもー」
「ああ、呼んできてやろうか」
そう言ったのはモヒカンだった。
「ぐっちゃんだろ。あんな声援送ってくれたらぐっちゃんも嬉しいんじゃね?」
「いいですか? すみません、ありがとうございます」
斉藤は実に愛想よく笑顔で、そして丁寧に頭を下げた。そして後方の持田を振り返り「おーい」と手まねきをした。
男前ギターは、いや、バンドの人々は知っているのだろうか。田口さんがブラバンに入っているということを。活動していない名前だけのクラブだから、知らないかもしれないな。翔太は田口さんにまず何を言えばいいのか、今になって頭の中がごたついて、ただ心臓だけがばくばくと早鐘を打っていて、顔が熱く火照ってくるのを感じていた。
モヒカンが田口さんを呼びに行って、三分もしないうちだった。
入口から姿を現した田口さんは翔太たちを見ると「あっ」と声をあげた。男前ギターが「ぐっちゃんのファン」と三人を指差してまたおかしそうに笑った。
最初に切り出したのは斉藤だった。
「あの、どうもお疲れ様でした。さっきのライブめっちゃかっこよかったです」
田口さんはちょっと面喰らったような顔をしたが、
「ありがとう。あんまりでかい声で呼ばれるからびっくりしたよ。お前ら、一年なんだって? 何科? 同じ学校のやつが見に来るなんて初めてだよ」
と、照れたように微笑んだ。
「化学科っす。なんかこいつが興奮しちゃって、すみません」
「いや、盛り上がったよ」
斉藤が冗談めかして翔太を小突いた。それには突発的な行動に出る翔太を牽制する意味合いもあった。
しかしそれは翔太ではなく、持田にすべきだった。
後に立っていた持田は一人だけ冷静な目でまっすぐに田口さんを見つめていて、どうやって本題に入ろうかと思案している二人を差し置き、いきなりずばっと切りこんできた。
「田口さん、俺ら、ブラバンに入ったんです」
「……え……」
「今日のライブも顧問の大島先生に聞いて来ました」
「……」
「ブラバンは俺ら三人と田口さんいれて四人になったんです」
斉藤と翔太は持田を振り返り、信じられないものを見るように大きく目を見開いていた。というより、実際持田の行動が信じられなかった。持田の言葉に田口さんの表情はみるみる険しくなり、それはあたかも風に押し流されて黒い雲が広がるようで、翔太には遠くに雷鳴が聞こえるような気さえした。
田口さんはかろうじて平静を保っているようだったが眉間には皺が寄り、低い声で、
「それが俺になんか関係あんの」
と吐き捨てた。
やばい。翔太はここで田口さんを怒らせるのはまずいと思い、持田を止めようと口を開きかけた。が、持田は咄嗟に翔太の顔の前にぱっと手のひらを広げてそれを制し、そのままの勢いで、
「今年はちゃんと活動してない部活は廃部になるって知ってますか」
「知らねえよ」
「田口さんにも部活に来て欲しいんです」
「……」
一瞬田口さんは押し黙って、何か考えているようでもあり、不愉快さを忍んでいるようでもあった。
傍に立っていた男前ギターが険悪になりつつある空気を察して、助け舟を出すように口を挟んだ。
「大島って、あの大島? 俺、大島と大学のサークルで一緒だったんだよ。あいつブラバンの顧問なの? 知らなかったなあ。そんなこと一言も言ってなかったけど」
場を和ませるつもりなのかにこやかに語りかけたが、田口さんはむっつりしてなんの反応も示さず、持田も何一つ言葉を返さなかった。
まるで二人は火花を散らすように睨みあう形になり、翔太と斉藤はすっかりうろたえてしまっておろおろするばかりだった。
なんとかしてこの場を丸く収めなければ。でも、どうやって? 翔太は田口さんと持田の間に再び割って入ろうとした。しかし、それより先に口を開いたのは田口さんだった。
「お前ら、馬鹿なの?」
「……」
「あの学校でブラバンなんて活動できると思ってんの?」
「……」
「四人でなにができると思ってんの? つーか、活動の場があそこにあると思ってんの? だとしたら、お前らマジで頭おかしいだろ」
田口さんは明らかに怒っていた。さっきとは打って変わって、口調には苛立ちと不快感と、突然こんな形で現れた翔太たちに対する攻撃的な空気とが入り混じっていた。
翔太はこれでは到底田口さんに部活に来て貰うなんてことはできないと思った。会長は次の備品監査には田口さんにも来てもらうように言っていたというのに。確かに田口さんが言っていることも無理ないと思う。あの学校に活動の場がないことも、四人でなにをどうすればいいのかも翔太にだって見当もつかない。でも、しかし。
活動しなければ。何かしなければ、ブラバンは潰されてしまう。今はそれを避ける為にはなんだってやらなければいけないのだ。
翔太は田口さんに向き直ると真顔で詰め寄った。
「俺らは確かに頭悪いかもしれないけど、真面目に言ってます」
「……」
「それに」
「……」
「なんで決めつけるんすか」
「……」
「何もできないって、なんで決めつけるんすか。なんでやってみもしないで分かるんすか。あんなクソ高校の馬鹿ははじめっからなにやってもダメってことなんですか」
「……」
「俺らが馬鹿なら、田口さんだってそうじゃないんですか」
「翔太!」
斉藤が慌てて翔太の腕を引っ張った。田口さんが殴りかかってくるのではないかと思ったのだ。持田も緊張のあまり拳を固く握りしめていた。
気がつくと三人は一つのかたまりとなって田口さんと対峙していた。
さっきからこの緊迫した事態を見守っていた男前ギターは田口さんの肩に手を置いた。
「まー、そうカリカリすんな。せっかく後輩が誘いに来てくれてんだからさ」
「……」
「ぐっちゃんもちょっとは真面目に学校行かないとまずいだろ」
「……」
けれど、田口さんはその手を振り払うと無言でくるっと踵を返し、さっさとライブハウスの入口へと歩きだしてしまった。
決裂だ。翔太は斉藤に掴まれた腕から一気に力が抜け落ちて、その場に崩れてしまいそうな気がした。こんなはずでは。こんなつもりでは。
困ったような苦笑いを浮かべて男前ギターが「まあ、気にすんなよ」と翔太たちを慰めるように言った。翔太は去っていく田口さんの背中を見ながら、なんとかしてもう一度話をしなければと焦り、でも、なんの言葉も浮かんでこないで冷や汗ばかりが額に滲んでいた。
「田口さん!」
大声を出したのは、持田だった。あんまり大きな声だから、入口付近にいた誰もがこちらを振り向き、同時に、田口さんを見た。
田口さんの足が逃げるように早足になる。しかし持田はそれを阻止するようにまた大きな声で叫んだ。
「田口さんのアルトサックス、あれ、自前なんですか!」
田口さんの背中がぎくりと反応する。
「ブラバンの部室、なんか、倉庫みたいになってんですけど! 運動部の奴らは田口さんに金払ってるって言ってますけど! 俺らはどうしたらいいんですか!」
田口さんの姿がライブハウスの中へと完全に吸い込まれてしまうと、持田はふんと荒い鼻息を吐き出し「ふざけんなよ……」とぼそっと呟いた。
「もっちー、そんな言い方したら……」
「もっちー言うな。そんなもこんなもねえよ。話しになんないだろうが」
「でも、今の、ヤバいだろ」
「俺らがヤバいんじゃなくて、田口さんがヤバいんだろ」
「……」
斉藤も溜息をついた。その横で翔太は打ちのめされたように、
「田口さん、もう来てくれないよな……」
と言った。
「田口さんはもういいよ。それより今は楽器。あれがないと来週の監査は逃れられん」
「……」
「こうなったらもう田口さんの事チクルしかない」
「でも運動部の奴らがなんて言うか……」
「馬鹿、あいつらも同罪だろうが。留年でも退学でもなんでもなればいいんだよ」
三人の溜息が完全にシンクロした。これは一体、高校入学以来何度目の「絶望」だろうか。
「あのさ」
落ち込む三人に声をかけたのは、男前ギターだった。
「ちょっと話せるかな」
「……」
「ぐっちゃんのこと」
そう言うと彼はライブハウスとは逆方向に足を向け、ついて来いと手まねきをした。
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