第18話 真庭市社の式内八社神社の謎を解く、和気清麻呂とたたら製鉄、湯原温泉と吉備王国の歴史
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社地域の概要
社地域は、岡山県北の真庭市湯原地域にある、中山間地域です。
名湯「湯原温泉」が近くにあり、山々に囲まれ、涼やかな水が湧き、四季折々の豊かな自然に抱かれています。日本の原風景を思わせる集落、社地域のなかには、いまだ謎の多い中世の歴史が残る神社やお堂、石造物や城跡などの遺産がいくつも点在しています。
なかでも、社地域にある佐波良神社・形部神社(合祀)、長田神社、兎上神社、壱粟神社・大笹神社(合祀)、久刀神社、横見神社の8つの神社は「式内社」(通称:中世式内八社)であり、中世からの遺産は、地域住民の生活に溶け込んでいます。
https://i-maniwa.com/area/yashiro/
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式内八社案内ガイドツアーを実施しました。
https://i-maniwa.com/area/yashiro/info/info_detail/index/2041.html
2月24日 中世式内八社案内ガイドツアー
https://www.facebook.com/events/316266895650942/
昨日は岡山県の北部、湯原温泉で有名な真庭市
真庭市
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概要
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%96%9C%E5%BC%8F%E7%A5%9E%E5%90%8D%E5%B8%B3
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地元のガイドさんは謎なんだというのですが、昨日は生憎の雪で参加者は八名→三名に減ってしまったのですが、僕も含めて神社マニア過ぎるメンバーが残ったのか、参加者のひとり、岡山県の近隣の美咲町のK氏が謎を大体、解いてしまいました。
この方、理論物理学を学び、日立のプラントで電気関連の仕事をしていて、今は地元の美咲町で7店舗ぐらいのファッションショップを経営されてる社長さんらしいのですが、歴史に詳し過ぎました。
僕も神社はタイムカプセルという説を唱えてるので、神社の祭神などを調べれば大体、この神社がどんな神社だったかが分かると思ってます。
ざっくりいうと、この地域は美作国に属するんですが、備前国と二国を統治していた和気清麻呂公のたたら製鉄に関連してるようです。
つまり、リアル「もののけ姫」の世界が展開していて、弥生から奈良時代700年代には、この地域にたたら製鉄の作業員が千人ぐらいはいたのではないのかと推測されます。
それでその作業員の病気ケガ療養に湯原温泉が利用されはじめ、このあたりは冬には雪が降りますので、越冬の暖房として温泉が利用されたようです。
後の時代に有馬温泉を良く利用した秀吉の妻ねねが、この温泉を湯治場にしていたようです。
昨日の有馬温泉にも関連してたんですね。雪が降ると温泉に入りたくなります。
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またの名を
「
イザナミノミコトが
(中略)
神社と山
ここの神社は後ろに山を望む場所にあります。
山が崇拝の対象だったのでしょう。
横見神社⇒櫃ヶ山
二宮神社⇒五市山
佐波良・形部神社⇒霰ヶ山
(中略)
大御堂から見えます。
すぐ近くです。
祭神は「
「山の神様」です。
オオヤマツミはコノハナサクヤヒメのお父さんです。
「大山祇神」「大山津見神」などとも書かれます。
コノハナサクヤヒメについてはこちらにちょこっと書いてます↓
古事記~イワナガヒメ (磐長姫)とコノハナサクヤヒメ (木花咲耶姫)
https://higeojisan-lab.com/kojiki-iwanaga-hime-gassuiseki/
(中略)
「
古神道における信仰の対象と思われます。
むかしは石、岩、木などが信仰の対象となっていました。
木造の社殿が建てられるようになり、次第にその目的や存在が忘れられてきましたが、その痕跡が今でも残っています。
https://higeojisan-lab.com/yasiro-sikinai-hassha-shrine/
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湯原温泉の開湯は?
弥生時代?縄文時代?神代から?
最初に湯原温泉の温泉を利用し始めた人々は、たたら製鉄に従事する山人だったというのが定説です。湯原温泉は、現在も温泉薬師周辺の河原一帯から温泉が自噴しており、古くは、その自噴する温泉をそのまま利用した露天風呂が多数ありました。またその一帯は河原の地熱そのものが高く冬季は、水量も減る為、その河原に小屋を建て天然の床暖房として、たたら製鉄に従事する特に高齢者達が越冬地として利用していたそうです。
「たたら製鉄」は、弥生時代から始まっており、湯原温泉一帯にはその時代からすでに多くの人達が分け入りたたら場と同時に温泉も利用されていたようです。出雲の八岐大蛇、山陽の桃太郎伝説のウラジャ(鬼)、これらは古代たたら製鉄を行っていた人達のことで湯原の場所は中国山地の真ん中で盛んにたたら製鉄が行われていました。この事から湯原温泉の開湯は、鉄の伝来とほぼ同時の約2000年前という説が有力です。
奈良時代には中央政権で重くもちいられた和気清麻呂は、湯原周辺でたたら製鉄を行い勢力を持っていた佐波良一族から出たと伝えられています。その和気清麻呂が中央政権から退いた後、この地の豪族の力を恐れた朝廷が、
戦国時代の湯原温泉
湯原温泉が歴史的に登場するのは、豊臣秀吉の五大家臣である宇喜多秀家が母である「おふくの方」の湯治場を開設したと言う記述からです。「おふくの方」は、妖艶な美貌だったと伝えられています。 生まれはこの地方で戦国の数奇な人生の中、羽柴時代に秀吉の側室となった方です。秀吉は、おふくを寵愛しその結果、秀家が秀吉の五大老まで上り詰めたと言われます。「おふくの方」が病になった際、秀家は、療養の地として湯原に湯屋を調えました。この時、秀家は20歳余りの若者、親孝行だったのですね。
湯原温泉の歴史
http://www.net626.co.jp/sp/rekisi.html
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神社というのは元々、泉とか(一昨日行った京都府亀岡市の「大井神社」は渇水の時に涸れなかった湧き水を祀ってる)、イワクラ、山などが信仰の対象になっていて、農業に必要な暦などを知る天体観測所(冬至、夏至のレイラインを形成している)でもあるのですが、式内八社の場合は背後の山と神社の後ろに存在するストーンサークルのようなものがご本尊、祭祀場だったようです。
これは
この辺りはもう亡くなられたのですが、岡山市の吉備津(吉備津神社の近く)に住まれていた薬師寺 慎一氏(古代祭祀研究家。1924年生まれ。第六高等学校卒業後、京都大学中途退学。中高校社会科教員を経て退職。岡山市吉備津在住)が詳しいです。この方の師匠の黒住秀雄氏も合わせて読むと、古代吉備国が渡来人の合衆国、隼人など海人族(上海あたりまでい航海して交易していた薩摩隼人)との連合王国だったことが分かります。
黒住 秀雄氏は東大寺の瓦を発掘した民間研究者ですが(備前焼を生んだ技術があって吉備で焼いていた)、吉備王国(広島市福山市、岡山県、兵庫県西部)全盛の頃は、吉備=米国、大和朝廷=日本という感じだと思ってくれていいです。
この関係がぴったりくる。防衛を吉備に任せて経済発展していくようなイメージで、次第に吉備の力を分国で制限して取り込んでいきます。
吉備は軍船40隻以上の連合艦隊を擁し(天皇家の乱の時にそういう記述がある)、製鉄技術は凄くて大量の武器を作っていて(軍事氏族物部氏、秦氏の拠点でもある。日本刀の半分が備前刀)、渡来人と隼人の連合王国として栄えていたようです。
たたら製鉄には大量の木材が必要で朝鮮半島はあっというまに禿山になりましたが、中国山脈は巨大な再生力があり、場所を変えながらやれば数十年で山は再生するので、出雲吉備がたたら製鉄の拠点となったようです。
何故、呉に連合艦隊司令部があるのかの理由ですが、岡山県の塩飽水軍がが神戸の海軍操練所の中核技術を担っていたからです。瀬戸内海の海賊がそのまま海軍になった。
朝鮮半島などに出兵する時は吉備の船が欠かせなくて、遣唐使なども吉備の船だし。
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塩飽水軍は、天領として織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と治世が変わるごとに朱印状と言う所領の安堵や許認可の書状を得て、船方衆650人(船主、乗組員)を人名といい全員が千二百五十石を共同領有した。
塩飽水軍の統治は、「
塩飽水軍の船方衆は、武士ではありませんが、大名旗本のように秀吉や徳川幕府に直属で仕え、年貢を納める義務もなく、実質的に封建制度下では珍しい自治権を与えられた「人名」という特別集団であったわけです。
島の政務は、人名から選挙で選ばれた4名の年寄が、最高指導機関として全島を管理し、訴えや裁判をした。
塩飽水軍は、「主家に仕える」と言う武士的な武門意識に薄かった。
その薄かった武門意識が幸いして、常に時の最高権力者である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主君を替えて生き抜いたようです。
江戸幕府の御用船方も務め、
https://kfujiken2.exblog.jp/23299238/
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ただ、大和朝廷が大きくなっていくにつれて、吉備は力が強すぎるので備前、備中、備後、美作の四国に分割されて、製鉄技術を担う山部を大和朝廷に取り上げられて力を失っていきます。
吉備王国(岡山県)というのは未だに日本ではないというか、天皇家の王妃(黒媛など仁徳、応神天皇の妃に吉備の媛がいる)、王子(吉備津彦、
秀吉の正室のねねの木下家の足守藩というのもありますし、天皇家の近衛兵が吉備から選ばれたり、
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仲哀の死後、妻の皇后は神の教えのままに、新羅を討とうと決意し渡海する前に「吉備の臣・
http://kamodoku.dee.cc/kumaso-hayato-1.html
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聖なる山とイワクラ・泉 単行本 2002/1/19 薬師寺 慎一 (著)
考えながら歩く吉備路〈上〉 単行本 2008/12/21 薬師寺 慎一 (著)
ふるさとを歩く―黒住秀雄の見た吉備 単行本 1997 黒住 秀雄 (著)
古代日本と海人―長江・隼人・吉備ルート1989/12 黒住 秀雄、 藤岡 章 (著)
美咲町のK氏のたたら製鉄の解説ですが、このあたりには無数のたたら製鉄の跡が残っていて、出雲の系統の製鉄技術が入ってきていて(スサノオなど出雲神話関係の祭神が大い)、山の形が変わるほど鉄が採掘されていたようです。
それが和気清麻呂一族である
それを踏まえて式内八社の御祭神を見ていきますと謎がすっきり解けて来ます。
御祭神は佐波良神(佐波良命)、和気清麻呂の高祖父〔祖父の祖父、
形部神社
御祭神は
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『古事記』では
(中略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1
境内社に、荒魂神社(須佐之男命)、大山祇神社(大山祇命)、剣上神社(武甕槌命)、宮茂神社、祖霊神社がある。
形部神社・佐波良神社 岡山県真庭市社
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1065588597.htm
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佐波良神社(上の写真は建て替えられた神社です)、形部神社は
愛宕神社も末社(付属の神社、小さな神社)としてあるんですが、火伏せ・防火に霊験のある神社で防災の神ですね。
この神社に境内には樹齢900年といわれる佐波良の大杉(千年杉)がありますが、大河ドラマ「武蔵」(市川海老蔵主演)の主人公武蔵が吊るされた杉の樹があります。
次に
美作 二宮神社(ふたみやじんじゃ)
http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/futamiyajinja/futamiyajinja.htm
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八重言代主神とも表記し、大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB
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岐の神(クナド、くなど、くなと -のかみ)、とは、古より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。 日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。また、久那土はくなぐ、即ち交合・婚姻を意味するものという説もある。「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味[1]。もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神である。
道祖神の原型の1つとされる[1][注釈 1]。読みをふなと、ふなど -のかみともされるのは、「フ」の音が「ク」の音と互いに転じやすいためとする説がある[2]。以下のように、意味から転じた読みが多い。岐(ちまた、巷、衢とも書く)または
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E
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◆和気氏由緒
第11代垂仁天皇の皇子 鐸石別命の曾孫である弟彦王は、
神功皇后に反逆した
その弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。
弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄えた金属 銅 鉄に古代より関わる石凝姥を以て冶
https://blog.goo.ne.jp/tohnai99/e/f11441e13af1fd79aed6117cebc8038d
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長田神社は和気(別)氏の祖先の弟彦王命と道祖神の岐の神(クナド、くなど、くなと -のかみ)を祀っています。弟彦王命は武人で神功皇后に仕え、ヤマトタケルの全国遠征の副大将だったようです。
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日本神話では、『古事記』の須佐之男命の系図に登場する。大山祇神の子で、櫛名田比売の次に須佐之男命の妻となり、大年神と宇迦之御魂神(稲荷神)を産んだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E5%B8%82%E6%AF%94%E5%A3%B2
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スサノオ系の神様です。
大佐々神がちょっと分からないですが、佐々木氏とかは製鉄に関係する氏族だし、製鉄の神なんでしょうねとK氏も言ってました。
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この「大佐々命」について記載されているのは、「神道五部書」のうちの一冊、「倭姫命世記」なのですね。
この書物は持ってないのですが、「神社新報社 日本神名辞典」で、「大佐々命」をひくと、
「阿波羅波命の子。倭姫命世記に雄略天皇二十二年七月七日、倭姫命の夢のお告げにより大佐佐命が丹波国余佐郡真井原より現在の鎮座地である度会の山田原へ止由気大神を迎えたことが記されている。さらに倭姫命世記には大神を奉遷の後、大佐佐命を以って二所大神宮の大神主として任命し、神宮に奉仕させたとみえている。また、豊受皇大神御鎮座本紀にも同様の事が記されている」
と説明されています。
https://www.norichan.jp/jinja/renai/izanagisuita.htm
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イザナギ神社とか、元伊勢の話が出てきて、丹波国とも関係があるかもしれず、古い神かもしれないですね。
ここは保留でまた調べてみます。
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語源からは「来な処 (来てはならないところ) 」で「来名戸」と書かれます。
日本書紀で、イザナギがイザナミに「これ以上来るな! 」と杖を投げつけたことから。
「久那土」「久那止」などとも書かれます。
とにかく漢字はあとから入ってきたのでいろんな字が当てられます。
あくまで「はじめに、やまとことばありき」です。
外から悪霊や疫病がはいるのを防ぐために
それが「塞の神〔さいのかみ、さえのかみ〕」、やがては本来の意味が薄れて、
久那止神は、これから行く二宮の久刀神社の祭神です。
(ウィキペディアより抜粋、加筆)
https://higeojisan-lab.com/yasiro-sikinai-hassha-shrine/#kunato
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神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。
横見神社は背後に櫃ヶ山があり、二宮神社は五市山で、佐波良、形部神社は霰ヶ山と背後の山がそれぞれ信仰の対象で、神社の背後にイワクラがそれぞれ存在します。
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『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 美作国 大庭郡「横見神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
二宮神社の南、川を隔てて100メートルの位置に鎮座する。創祀・創建年代は不詳。御祭神は大山津見命。例祭は10月9日。
横見神社 岡山県真庭市社
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1065586659.html
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ここまでの話をまとめると、神功皇后の生きていた300年代から和気氏のたたら製鉄の領地として栄えていたのが、この式内八社のあった真庭市
仏教が伝来してからは、京都の仁和寺の所領になったり、戦国時代は戦乱に巻き込まれて大変だったようですが、秀吉の時代に正妻のねねの湯治場として使われたり、その後は温泉地として栄えていきました。
実は神社の後ろに埴輪が出てきたり、石棺があるとか、古墳があったりもするので、その辺りの発掘も楽しみです。
岡山県古代吉備文化財センターなどで真庭市の古墳の発掘も進んでいるようなので、今後の展開が楽しみです。
岡山県古代吉備文化財センター
http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/kodaik.htm
帰りに車で数分の所にある、「下湯原温泉 ひまわり館」(入浴料500円)によって温泉に入りました。
雪が降ったのもあって、空いてて良かったです。
湯原温泉郷 日帰り入浴
http://www.yubara.com/higaeri/
2019/02/12 14:49 「小説家になろう」より
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