第31話 第四章 大和の国から‘30

 吉備の国から素直に連れ浚われた弥生は、まるで人の力とは思えない俊足さで大和国(現、奈良県桜井市)まで誘われていき、この国の中枢である都の宮室の真ん中で、二人の男の姿と対峙させて座っていた。

 吉備からこの大和の地と言われている場所へと辿り着くまで思っていた程大層な刻がかからなかったと感じた事から、実はそんな遠い異国の地でもないのではと弥生は思わざるを得なかった。

 それよりも、一段高い場所にある玉座へと煌びやかな雰囲気を放たせながら、悠然とその身を預け座っているこの男が崇神であろう。そして片膝をつかせて頭を垂れながら座っている男…。

 崇神は口髭を片手で弄びながら、弥生に鋭い視線を向けた。

「汝、名は何と申すのじゃ…?」

「私の名は弥生と申します…。」

 崇神は一つだけ頷かせると、満足そうな表情を浮かばせて新たな言葉を発し始めた。

「よくぞ参った。して、儂が誰か分かっておるか?」

 まるで手繰り寄せるような言葉の意味を弥生はよく理解していが、そう言えば大国主様よりこれから先どうなるのか何も聞かされていない事に気がついた。

「天皇、崇神様でございますね…?」

「そうやっ!その通りやっ!!よう分かっとるやないかっ!きちんとおっちんしとるし、ホンマええ子が来たやないか。おっさんもびっくりやっ!!!」

 その声に傍らで跪く男が過敏に反応し崇神の方へと表情を向けた。

「す、すーさん、お…御国言葉が…。」

 崇神はその男に万弁の笑みを向けていた。

「ええんや、ええんやでっ!?もう、この際、堅苦しいのは抜きや。こんな可愛らしい子が、この国をあんじょうしてくれるんやぞ。ええ事やないかっ!なあ、娘っ子?」

「えっ…?」

 崇神の唐突な振りにどう応えていいか分からなかった。というよりも、時折飛び出してくる聞いた事のない言葉から、吉備とはやはり異なる国に来たのだと痛感せざるを得ない。

「崇神様、一つお伺いしてもよろしゅうございますでしょうか?」

 又もや嬉しそうな表情をこちらへ向ける崇神。

「何や?何でもおっさんが応えたるっ!!」

「あんじょうってどういう意味でしょうか?」

「あっ?それはもう、全部丸う治まるちゅうこっちゃっ!」

 弥生はこのお方なら、自分の知らない事を知っていると確信した。そして、内に抱える疑問を率直に投げかけた。

「崇神様、私はこの国で何を成すべきなのでしょうか…?私に何ができるというのでしょうか…?お教え下さいませ。」

 その問いを聞くや否や、崇神の顔がみるみるうちに青ざめていくのが分かった。

「ゑっ?えっと、えーーーっと。さっちゃん、俺…人選間違えちゃったかも…。」

 傍らの男はそれに対して冷静沈着だった。

「えっ…?いや、でも…。布都御魂に映ってたの、確実にこの子でしょ…?」

 崇神は半ば口を引き攣らせた。

「ですよねぇぇぇ。ちょ、俺…、三輪山行ってくるわ…。」

「いや、すーさんっ!!何現実逃避かまそうとしてんすかっ!!」

「いや、神との対話だし…。大王の務めだし…。」

 そう呟きながらこの場を立ち去ろうとする崇神の腰にしがみつき、まるで子供をあやすかのようにさっちゃんと呼ばれていた男が言った。

「すーさんっ!!天皇なんだから落ち着いてくださいっ!!これじゃ大人気ないっしょ!!」

「いや、これ違うしっ!!全然現実逃避とかじゃないしっ!!れっきとした務めだしっ!!じゃ、後はよろしく…。」

「すうさあああああああああああああああっっっんんんっ!!!」

 叫び声を上げるさっちゃんという男が、今にも宮室から出ようとする崇神に引き摺られながら、弥生に懇願するように言った。

「娘っ子おおおっ!!本当に何も知らぬというのかっっっ!!?」

 混沌せしめるその場の雰囲気に、弥生は戦々恐々と困惑の極みにいたが、真の実を語らなければいけないという責務感に駆られ、言葉を選ばせた。

「私は、大国主様から大和の国へ行くように命じられただけで、それ以上の事は何も知らないのです。」

「えっ?大国主命様っ!?」

 弥生の言葉に二人の男の動きが止まり、そして同時に呟く声が上がると、瞬く間に食いついてきたのは崇神の方であった。

「ホンマけっ!?その神さん、こんな感じやなかったか?」

 そう言うと、崇神は徐に背筋を伸ばし、両手を腰に当てて、凛とした表情を浮かばせた。

「決して、そのような事ではないのだ…。」

「嗚呼、そのような喋り方でございました。更に深く皺がられ、艶やかな声でございました。」

 崇神は里の方へ泳ぐような視線を浮かばせて、「ホンマもんやで…」と言った。

ホンマという言葉の意味も分からないし、何故にここまで焦った面持ちを浮かべているかさえ弥生は理解できずにいた。

 戦慄く崇神の姿をよそに、里は尖らせた視線で弥生を睨みつけた。

「おい、娘っ子っ!!やはり汝、何か知っているのではないか?申してみよ…。」

「いえ、私は何も存じ上げておりません。起こったままをお伝えしたまででございます。」

 この只の民である小娘に、我が主君が何故ここまで翻弄されなければならないのかと、懐刀とまで謳われた里には耐えがたいものがあったのだった。

 腕を薙ぎ払い、「嘘を申すなあっっっ!!」と叫ぶと、弥生の方へと歩を進ませ始めた。

「汝は何か隠しておる。私は知っておるのだ…。正直に申せば朝日を無事に拝む事ができるというのだ…。」

 一歩、又一歩とこちらへと近づく姿が物の怪のように思え、身体から血の気が引いていく感覚が走った。助けを求めるように、崇神の方へ視線を向けると、「ホンマや…、ホンマもんやで…。」と相変わらず放心状態の崇神を見受けるに至り、弥生は諦めに似た覚悟を決した。

「貴方、狂ってるわ…。私はもうこの地におりとうございませんっ!吉備に帰らせて下さいっ!!」

 その言葉を弾き飛ばすように里は足を止める事もなく不敵な笑みを浮かばせていた。

「ふっふっふっ、そうもいかぬのだ、弥生よ…。」

 言い終わらぬ内に弥生の側へとたどり着いた里が、まるで押えつけようと腕を伸ばしてきたその刻…。


『ちりいいいいいいいいいいいいん…』


 鈴の音が鳴った。

 里は動きを止めて後ろを振り向かせていた。

 崇神も我に返ったようで、鈴の音の元へと視線を浮かばせ、「あの音はなんぞや…?」と何もない空間に言葉を浮かばせていた。すると…。


『どかああああああああああああああああんんんっっっ』


 叩きつけるかのような轟音が鳴り響き、辺りを呑み込んでいった。

 崇神が里に叫んだ。

「さっちゃんっっっつ!!!あれって、月読命のっっっ!!!!」

「すーさんっ!!間違いないっすっ!!何かが侵入してるって話になってきますよねっ!!!」

 そう叫び終えるや否や、崇神の元へと走っていく里。

 そうしている内に、轟音に地響きが加わり始めた。それは何者かが間違いなくこの場へと近づいてきている事を意味している。

 何もかもが大きくなっていく中、崇神も里もどうする事もできず、身体を右往左往と慌てふためかすしかなかった。

「すーさんっ!どうしましょうっっ!?」

「どうもこうもないだろうっ!月読命が作り出した結界を破る奴だぞっ!洒落になんねーって!」

「いや、逃げた方がいいんじゃないすかね!!?」

「このままどこに逃げるっつーんだよっ!!」

 見苦しく騒ぎ立てた後、二人は成す術もないと悟り、意を決して遂には腰にあった剣を剥いだ次の瞬間、一人の男の姿がその足元へと枯葉のように落ちてきた。

 それは宮を護る久米部であった。

「おいっ!何があったのじゃっっ!?」

 崇神の必死な問いかけに、久米部は虫の息を振り絞るように、決したる面持ちで応えていた。

「崇神様、物の怪でございます…。直ちにお逃げください。わた…し…は…。」

 言い切る間もなく息絶えた久米部の姿を崇神は抱きかかえながら、天を仰ぎ見て徐に叫んだ。

「なんとおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」

「すーさんっ!!こうなれば蛇の道は蛇。大和の民として誇らしく戦い散りましょうぞっっっ!!」

 里のその言葉に、崇神の姿から信じられない程の気高さが立ち込め始めた。柄を力強く握り、天に向かって剣を突き上げると、半身に構えを取った。

「何者ぞっ!!我を第十代天皇、崇神と知っての狼藉かっ!!」

 叫び声がこだまする中、眼に飛び込んできたものに崇神は思わずびっくりしてしまった。

 それは、入り口の柱の陰から身を隠すようにこちらの方へ窺う埴輪の姿であった。

「ワは、来ちまっただよ…。」

 そう言うと、埴輪はどこか嬉しそうに宮室へと飛び込んできた。

 初めは上半身しか見えてなかったから分からなかったのだが、今こう見ると、顔は小さく長身で、細く華奢な出で立ちが先程の轟音の主であるとは到底思えなかった。まるでころころと笑うように首をおかしく傾かせながら言葉を発し始めた。

「ワはぁ、大和の神に言われてぇ、遠路遥々ここへやって来ただぁ。おめぇが呼んだのが?かっちけねっ。」

 天真爛漫なその姿をよそに、崇神と里は徐に顔を見合わせた。

「すーさん…、呼んだの?」

「いや俺、呼んだ覚えないけど…。」

 弥生は、そんな今まで体感した事のない訳の分からなさに気持ち悪くなり、ふと天を仰ぐとそこには既に屋根はなく青空が広がっている事に驚愕し、思わず胃液が上がってくる感覚に苛まれた。

 そんな弥生の姿に気を留める余裕もない二人は、暫くの間話し合っていた。そして、崇神がその者へと諭すように話しかけた。

「いや、汝は大和の神に呼ばれこの地へと参ったと申し上げたが、どの者に言伝てられたのじゃ?」

 埴輪はもじもじと?否、ぎしぎしと身体を唸らせて?否、軋ませながら恥ずかしそうに可愛く言った。

「顔は暗くでぇ、よくわからながったがぁ、しったけ大和の神だとだけ言っだよぉ。ワは昔からぁ、すたぁになりだくでぇ、ずと頑張ってぎだんだけどもぉ、どうにもこうにもぉ、何ともならん。そするとぉ、その神様がぁ、大和に行ったらすたぁになれると言うもんだからぁ、ワは遠路遥々今ぎたんだべっ。」

 そんな事を言われてもと崇神は思った。

まずは呼んでもないし、よく分からない事を理解する事もできない訳で、又もや里との作戦時間が始まった。

「さっちゃん、なんか大和を芸能プロダクションか何かだと思ってるぜ、こいつ…。」

「芸能と言えば、天鈿女命様に何か言われたんすかねぇ…。」

「いやいやいや、鈿女姉さんがこんな奴スカウトする訳ないじゃんっ!というか、登場が確実に任侠映画じゃん。その筋はまずねぇって…。」

「任侠だけに筋って、またすーさん上手い事言うてからにっ!!!!」

「んな馬鹿な事言ってる場合かよっ!!つか、どうしようか…。」

 そっと二人は埴輪の姿に視線を向けると、どこか暗澹とさせた面持ちを浮かばせながら、身体を小刻みに震わせていた。

「んあ、そんなウマい話ある訳ねえってワも気づいちょっただぁ…。いづもぉ、いい話があるって聞いでぇ、そこまで行くんじょけんどぉ、そこの人間はぁ、皆色んな物差し出してぇ、ワから逃げるだけなんだべさぁ…。その事その神様にぃ説明したらぁ、大和じゃワを待ちよる人間がいっぱいいるって言ってくれたがらさぁ?ワは嬉しくっでぇ、頑張ってここまで来たんだべ…。」

 埴輪は一度言葉を止めてきつく目を瞑り悔しそうな表情を浮かべた。そして、改めて目を見開かせて荒々しく言葉を続かせた。

「ならどうだべさっ!!いづもより酷いっっっ!!あんまりだべぇぇえええっ!!!」

 埴輪は嘆くようにそう叫ぶと、横の壁へともたれ掛かるように手をつかせた次の瞬間っ!!!


『どかああああああああああああああああんんんっっっ』


 既に屋根は無かったのだが、宮室を塞ぐ全ての壁が、轟音と共に四方八方へと瞬時に吹き飛んでいった。

 今まで部屋の中に居た筈が、辺りは既に外と化していた。

所々で火が上がり、他は瓦礫と人の倒れた姿で埋め尽くされていて、残された床が、まるで自分達を囃したてるように他よりも一段高い処へと押し上げている感覚が崇神と里を恐怖のどん底に追いやった。

 埴輪は何故か照れくさそうに笑い声を上げていた。

「あ、いげねっ!!まだやっちまっただ…。いづもはぁ、気にしてんだけどぉ、心が盛り上がっちまうとぉ、ついつい忘れちまうんだなぁ。ははははっ。」

「何を…忘れてしまうのだ…?」

 声を震わせながら問う崇神の姿などまるで気にも留めない様子で、無残な景色とは相反した埴輪の明るい声が辺り一面に響いた。

「よくぞ聞いてくれただぁっ!ワが触れた所ぉ、何でか消えて無くなるだよぉ。ここまで来るまでぇ、色々触って壊しちまただっ!ホント、申す訳ねぇ…。んだばな、皆はワの事ぉ、いつの間にかぁ荒覇吐って呼ぶようになっただぁ。どういう意味なのかはぁ分かんねけんどなぁ…。」

「何っ!!!荒覇吐だとっ!!!」

 里がいきなり粗々しい声を上げた。

「さっちゃん、知っておるのか?」

 崇神の素っ頓狂な声へと被せるように、里は身体を戦慄かせながら呟くように言った。

「嘗て神武先生によって倒され、蝦夷の地へと追いやられた長髄彦が作り出したと伝わる創造神。つまり、大和にとっては…邪神です。しかも嘗てないくらいの強力なっ!!。」

「えっっっ!!まじでっ!!?つか、そんな厄介な輩に誰が声かけたんだよっ!!!」

 ふと目の前から声が上がった。

「邪神…。厄介…。しったけぇ、ワはどこへ行っでもぉ、そう呼ばれちまうのだべがぁ…?」

 先程とは打って変わった暗を上げた荒覇吐の姿をそっと見てみると、眼から邪悪を意味する黄色の光が放ち始め、身体が心なしか一回り大きくなっているような気がした。というよりも、辺りへと放つ波動が鋭い刃のへと変わっていた。そして、口調も。そして埴輪の姿がいつの間にか土偶の姿へと変わっていた。

「千歳の刻が流れた今となっても、俺の存在を知っている奴がいるとは計算外だったな…。」

 一度声を止めると、先程まで放たせていた殺伐とした波動が止んだ。しかし目は爛々とした光を浮かばせて、こちらを冷たく眺めながら言葉を続かせた。

「そう…。この大和を、そして全世界を混沌の渦へと貶める理で俺は存在するのだ。和御霊に騙されておればよかったものの…。」

 荒覇吐は又もや言葉を止め、まるで郷愁せしめるように遠くの空へと視線を浮かばせた。すると、辺り一面へとどす黒い光が降り注ぐや否や、いきなり轟音が鳴り響くと同時に、地から烈火の炎が立ち込み、それは瞬く間に壁と化した。

 高温さがもたらす陽炎に揺れる視界で、荒覇吐はまるでゆっくり踊るような仕草を見せながら笑っていた。

「はははははっ、遂に想いが現実のものになろうとしておるぞっ長髄彦よ。はははははっ!!!」

 正真正銘只の民である里と弥生、生き神とは民の間で持て囃されてはいるものの、所詮人の子である崇神しかこの場所におらず、この見た事もない強靭な邪神を相手に成す術などある筈もなかった。

 正しく万事休すだった。

 里は何を思ったのか、息を激しく吸っては吐くを繰り返すと、崇神へと視線を向けた。その表情には全てを諦めたような、はたまた何かを築き上げるような、まるで死を決意した漢の覚悟があった。

「すーさん…。俺に何ができるのか分からないけど、このまま嬲り殺されるより華々しく散る選択を選びます。また貴方と、どこかで出逢える事を夢見て…。崇神様、どうか御武運を…。」

 踵を返した姿へと怒鳴るように声を上げた。

「里よっ!!それこそ犬死というものだっ!!おいっ!!里っ!!!」 

 崇神の言葉は既に里には届かなかった。

 まるで民と思えぬ程、全身から神々しい波動が放たされていて、死を決めた民がそこまでの力を発揮できるものなのかと思わざるを得なかった。

 里は腰に当てていた剣を高らかに剥わすと、雄叫びを上げて荒覇吐の方へと突っ込もうとしたその刻、どこからともなく一閃の光が里の腹部へと突っ込んできた。その衝撃で後方へと激しく吹き飛ばされ、その決死叶わず気を失わせた。

 そしてゆっくりとゆら揺れながら崇神の手元へと落ちてきて、光が消え失せると同時に、長細い物へと姿が変わった。

 崇神はそれをまるで何であるかを確認すべく、両手で握りしめた。

 光の正体は、月読命から授かった後、神棚へと入念に奉っていた布都御魂であった。

 少し熱を帯びさせながら崇神の手の中に存在する布都御魂から『今こそ我を抜くのだ…。』という密かな声が聞こえてきて、崇神は驚愕しながらも即座に思った。

『生き神である自分がこの霊剣を剥ぐ刻に何かが起こる』、と…。

 この霊剣を手に入れた者の伝説を崇神が知らない筈もない。更にこう思ったのだった。


『激戦の末、荒覇吐を制した後、名誉会長伊弉諾様から様々な賞与がもたらされ、大和を救った英雄と後世まで語り継がれる存在になる。天孫社員内で憧れ中の憧れになっていく中で、いつも見惚れているあの方からのまさかの求婚劇があり、大和上げて祝福されつつ我が人生は意気揚々、順風満帆でウハウハ…』


 そう思う事、約一秒半。

 そうなる事請け合いと何故か確信した崇神に何の躊躇いもなかった。

 力強く柄を握り、徐に鞘から刃を抜いた瞬間、まるで雷が迸り落ちた刻のような激しい轟音が辺り一面に鳴り響いたと思うと、いきなり刃から目を潰すような眩い光が、全てを掻き消すよう瞬時に広がっていった。

 激しい烈風。吹き飛ばされる瓦礫。激しく迸る音の中の無音。白い光に薙ぎ倒される烈火の壁。

 身構えた荒覇吐が堪らず弾き飛ばされた姿と、その他三名然り…。

 乾いた夏の風が、全てを消え失せさせた殺風景に吹き抜けたその中で、背を丸めさせて佇む漢の姿が存在していた。

 黒々とした髪を鋭く美豆良に結わせ、鋭く尖らせた三角眼に、鋭く伸びる鼻。鋭く一文字に引かす口に、鋭い顎。鋭くノリに固められた白い衣を纏わせ、首元には雷を形づけた勾っていない鋭い玉をぶら下げていた。

 だらりと垂らせた腕の先には鋭利な刃の剣を持たせ、過去に必ず人を殺めた事のあるような鋭く暗い表情を浮かべた漢…。

 何も無くなったこの場所へと、鋭く冷たい声が響いた。

「芦原中国以来か、こんな血生臭い空気を嗅いだのは…。大和の地へと降臨した筈が、このような混沌とした雰囲気は何故だ…。」

 遠くの方で何かを掻き分けるような音が上がると、瓦礫を吹き飛ばすような音と共に荒覇吐が、その漢の元へと力強く降ってきた。

「この俺を弾き飛ばす力を持ち合わせた神がいるとは驚きだな。名だけは聞いておこう。殺めた後では聞けぬからな。」

「ふっ…。この私を殺める自信があると…?暫く降臨しない内に私も舐められたものだ。まあよい…。お前の黄泉の土産に教えてやろうか…。」

 漢は一度言葉を止めると、剥いでいた剣の先を荒覇吐へと向けて、雷鳴のような激しい声で言葉を発した。

「嘗て、最高神の命により出雲国平定の礎となり、更には初代天皇、神日本磐余彦が東征を果たす際、大きな力添えを施したっ!雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として奉っている民は、我が名を建御雷と呼ぶっ!!!」

 言い終えながら刃を天に翳すと、激しい雷が建御雷神へと降り注いだ。それを即座に刃で受け止めると、布都御魂から無数の青や黄色の光線がバジバジと激しく放たれていた。

 柄を両手で力強く握りしめさせると、足を踏ん張るように広げ、脇を締め、霊剣を握る腕を腹の前辺りで構えさせた姿勢へと変えて荒覇吐を激しく睨みつけた。

「ほう、名だけは聞いた事がある…。それよりもいい演出を見させてもらった。面白かったぞ、建御雷よ…。」

 まるで見世物に拍手をするように悠然な態度で眺めている荒覇吐の態度に建御雷はある意味驚愕してしまった。これまで幾度になく繰り返されていた戦の中で、自分の  姿にここまで余裕な態度を浮かべた者はいなかったからだ。

「大和を荒らし、それよりもこの俺を愚弄した罪。既にお前の首だけでは治まらぬ…。」

 そう呟くと、暫く姿を沈黙させていた。そして…。

「優な態度を見せていられるのも今の内だけだぞっ!荒覇吐っ、覚悟!!」

 怒号のような叫び声を上げながら力強く大地を蹴った。

 砂埃が辺り一面に激しく散布した頃には、建御雷神の姿は日輪を背に、天高い処へと飛翔させていた。

 天照大神の神々しい光で相手の眼を眩ませながら、大地を割るような雷で敵に致命的な痛みを与えるというこの技は、長年戦を繰り広げてきた末、自らが編み出した究極の必殺技『芦原、天下り』であった。

 建御雷神は更に天高く姿を昇らせて、頃合いを図るように地上へと視線を向けた。そしてまるで祈りを捧げるように少しだけ瞳を閉じた。

『この技で幾度になくこの国を救ってきたのだ…。これでまた大神様の力添えができた事に感謝致しますぞ…。かしこみかしこみ…。』

 建御雷神が置かれている天孫内の役柄というと、大体はこのような武力行使の際に呼ばれる事が多い為、様々な神々や民に慄かれる訳なのだが、どんな邪な者であっても一つの命を奪ってしまう事には変わらない。

 いつも命を殺める刻、我が国最高神でもある天照大神へと念の矛先を向けて行動を正当化しているのであった。

 様々な想いを馳せ、祈り終えると、すぐ様地上へと視線を向けて、標的を定めて行動を変えていく。

 ここまではいつもと一緒であった。

 今回も空高く舞い上がりながら様々な想いを馳せ、そして祈り終えて地上へと視線を下ろした。いつもならその標的をすぐに確認する事ができるのだが、幾ら凝視しても標的が、と言うより荒覇吐の姿が地上から忽然と消えているのである。

『はて、面妖な…。』

 首を傾げながらそう思った瞬間、自分がいる更に上の方角から邪悪な声音が囁くように聞こえてきた。

「お前の力はこれが限界か?なんて非力な…。」

「えっ…?」

 建御雷は一瞬何が起こったのか分からなかった。

 というよりも、自分より更に上に行ける存在など、記憶の中を手繰りよせても指折り数える程である事と、それよりもその数少ない大神様がまさか自分を罵倒するような言葉を発するなど考えられない。

 そう、いつも大和の国に一生懸命な自分に対して…。

 しかしながら声の主を確認しなければ話は始まらない。

建御雷神は恐々ながら声が聞こえてきた上の方角を確認すると、大きく広がる日輪を背で受け止めながら失笑した面持ちの土偶の凶悪な姿があった。

「ま…まさかっ…。」

 荒覇吐は身体を建御雷神へと近づかせ、背中には土のヤケに冷たい感触が当たった。そして心を蝕むよう、直接頭の中へと声が鳴り響き始めた。

「建御雷君…。俺は空間や時空は愚か、その気になれば次元さえ操る事ができるのだ。君とは格が違うのだよ、格が…。」

 そう言い放つと荒覇吐は、建御雷神の背に当てた手に少しだけ力を咥えた。

「うわあああああああああああああああああっっっ!!!」

 すると、まるで大神の気まぐれな力のような蒼白い一閃が大地へと落ちた。

 爆裂たる光と共に激しい轟音が又もや辺り一面に広がり、そして灰色の世界が空間を制していた。

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