鳥居耀蔵

 さて久しぶりのお目見えは妖怪のあだ名を冠するに相応しい、江戸後期を代表する悪徳奉行の登場である。


 桜吹雪の入れ墨の『遠山の金さん』でお馴染み遠山景元とおやまかげもとの宿敵として名高いこの男は、民衆弾圧と讒言ざんげん、さらには相手省みぬ裏切りによって幕政を泳ぎ渡ってきた、いかさま妖怪の名に相応しい権力の魔物に取り憑かれたような男だった。


 同類を求めるならば、ナポレオン政権下秘密警察を牛耳ったジョゼフ・フーシェや、アメリカFBIの創設者ジョン・エドガー・フーバーと言ったところに類型を見いだすことの出来る稀有の姦人である。


 このタイプの『悪人』は何より他人の弱点を握ることで、自らの地位の安泰をはかる手段を心得ている人間であり、実はそこに存在意義すら見出だしてしまう人間である。よく考えてみれば、他人が考えた正義に行動原理を仮託し、他人を弾圧しながら、不可思議なことに本質的には庇護者の上司や組織に対しての忠誠心は欠片もない。その意味でもこれまで取り上げた姦人たちとは明らかに毛色が違う人種と言える。


 鳥居耀蔵とりいようぞうもその悪名がとりわけ残ったのは、やはり天保8年(1837年)に起きたモリソン号事件に端を発した蘭学者弾圧事件、いわゆる蛮社の獄事件である。


 モリソン号事件については長くなるので詳述は避けるが、日本人漂流民を含むアメリカの商船の出現に、海岸警護を行う日本側が(対応したのは小田原藩と川越藩と言う)相手が非武装にも拘わらず、無分別に攻撃を加えた。


 これは異国船打払令と言う幕府の方針にのっとるものであった。この事件に渡辺崋山わたなべかざんをはじめとした親海外派の蘭学者たちは、警鐘を鳴らしたのである。当時幕政批判はそれだけで罪と成り得た。それがこの蛮社の獄の始まりであった。


 そもそも蛮社とは、蘭学を修めるものたちを『野蛮な南蛮人の学問を支持する』人々の集まり、とまとめて蔑視する言葉であった。


 この事件でも耀蔵は密偵を放ち、執拗とも言える捜査の下、最後は強引に証拠をでっち上げた挙げ句、渡辺崋山を破滅に追い込んでいる。囮捜査を含む執拗な内偵に拷問、最後は偽の証拠をでっち上げても有罪に持ち込むと言う悪辣な捜査手腕は、耀蔵の得意技であり、高島秋帆らが洋式軍備を採用しようと幕府に具申したときも密貿易の罪を着せて失脚させている。


 このあたり、真実を見極めようとする、と言うよりも、その執拗さは自らの仇敵をどんな手段を用いても葬ろうと言う暗い情熱に満ちている。幕政批判とされ渡辺崋山が著した『慎機論』は、世間に発表したわけでもなく、私蔵して発表を憚っていた草稿に過ぎなかった。しかし崋山は追い込まれ、田原の池ノ原屋敷にて自刃する。耀蔵の開明家への憎悪は並々ならぬものであった。


 さらに民衆にその悪行が名として残ったのは、老中、水野忠邦政権下における天保の改革の折のことである。徹底した風紀びん乱の粛清、倹約令を旨とした忠邦の政治方針に乗って、耀蔵の民衆取り締まりは、さきに述べた蛮社の獄事件のとき同様、過激で強引なものになっていった。


 特に弾圧が厳しかったのは、芝居小屋や寄席など当時の娯楽芸能の世界である。倹約令により民衆の娯楽芸能は極端に制限され、無駄な消費は固く戒められた。それにより都心の景気は冷え込み、雇用はなくなり街には浮浪者があぶれた。さらに『人返しの法』により、浮浪者と化した地方民たちを幕府は無理矢理、故郷へ帰したのである。田沼時代から農家の窮状はいぜん、変わることはなかったにも拘わらずだ。


 天保時代にも飢饉は起こり、失業者を溢れさせた水野の改革は、民衆を餓死に追い込んだ悲惨な結果に終わった。これに窮した水野は、幕府の税収を確保するためその負担を上知令により、諸国の大名に強いたのである。


 これにより水野忠邦は緒大名の不興を買い失脚したが、その陰にはこの鳥居耀蔵の暗躍があったと言われる。水野の後がまを狙う土井利位どいとしつらに耀蔵は水野の機密資料を横流しし、天保の改革失敗の糾弾の根拠を作ったと言われているのだ。


 結果、水野は失脚し、耀蔵はその中心人物だったにも拘わらず、失墜を免れた。この辺り、せっせと大物政治家を盗聴、脅迫してFBI長官の地位を守ったフーバーのやり方に似ている。


 耀蔵にとって、水野忠邦が信奉する改革の意義などにはなから、関心はなかったのだ。とにかく権力者を後ろ楯に他人の理非を糾弾すること立場にいることが出来ること、それがこの男の願いだったようにわたしには思えてならない。権力を行使する欲に憑かれた、と言うか、妖怪のあだ名に恥じぬ妄執の持ち主であったのだと言う他はない。


 しかしその権力の快楽も長くは続かなかった。徳川家慶の不興を買い、土井利位が失脚すると、改革を断行して一定の成果を出した水野が戻されたのだ。耀蔵は当然、報復人事に遭い、だけでなく、不正を追及され、全財産を没収の挙げ句、長きの幽閉生活に落とし込まれるのである。


 耀蔵の幽閉生活は、二十年に達した。その間は沢山の藩屋敷をたらい回しにされ、一年中誰も口をきいてもらえないなどの冷遇に処されたと言う。恩赦によって解放されたのは、奇しくも明治維新になってからであった。


 このとき、耀蔵は訪ねてきた旧幕臣に「自分の言う通り幕府は滅びた」と当時の幕政への批判と、相変わらずの西洋文明に対しての憎悪を隠さなかったと言われる。耀蔵の妖怪は死ななかったのだ。


 一般的に考えると、そこまで尽きせぬ耀蔵の洋学への憎悪はどこから来るのかといぶかりたくなるが、何のことはない、彼の『やりたいこと』を妨げ、彼の『存在したい世』を消滅せしめたのは当時の洋学者たちの末裔であり、この男にとってはただそれが堪えがたかったのだと考える以外に仕方ない。


 権力に狂った姦人が腹のうちに飼いこんだ怪物はその貪乱さのみが取り柄であったのだ。権力を持つことと言う意義を、この男の歩んだ道は言わば逆説的に問うている気がしてならない。


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