第53話

 揺蕩いながら、夢を見ていた。

 昔の、×××に初めて出会った時の夢だ。

 あれは小学校へと上がる前、だったと思う。

 そう……その年の春から小学校に入学する事が決まっていた時だ。



 私は何となく一人で出歩いた。

 曾祖母からは力は人前では使ってはいけない。

 一人の時も使わない様にと厳命され、それを理解はしていたが……自分が他の人とは違う化け物なのだと思い知ったのは純粋に辛かった。

 だからちょっと近くの広い公園まで行ってみようと思ったのだ。



 自然に触れると不思議と癒された。

 化け物だという事実に打ちのめされていた私は、頻繁に自然の木々や川等に接して少しでも心の回復に努めるようにしていた。

 そうして幼稚園を卒業し、入学までの間の期間中、たまたま瑞貴と一緒ではない日があったものだから、一人冒険の様な心持で出歩いたのだ。



 怖い思いをしたのにもかかわらずチャレンジ精神はそれなりにある私は、また一人ででかけてしまったのだ。

 この前は瑞貴と一緒にいたから大丈夫だったというのに、一人でも平気なのだと思いたくて一人で出歩いてしまったのである。

 どう言葉を繕ったところで有り体に言えば……単純にこれ以上瑞貴に迷惑をかけたくはなかったのだ。



 どこをどう歩いたのかはもう覚えてはいない。

 ただ歩いている時に気になる人を見かけたのだ。

 暖かな気持ちの良い春の風を濁らせ凍らせる、汚染の様なモノを纏う人だった。



 その人はどうして生きているのだと思わせる位、沢山の人や動物の霊に憑りつかれていた。

 黒い靄もびっしりと周りに張り付いている様は、どう見ても常軌を逸している様な印象を抱く。



 だから私は心配したのだ。

 こんな酷い状態の人とはこの時初めて出会った。

 現在はそれより重かった人と言ったらジェラルドが思い浮かぶが、少なくとも普通の状態では無かったから。



 その人のあまりに悪い状態に、彼の命の危機を感じた私は何とか出来ないかと跡をつけていたのだったが、どうして良いかも分からず、声を掛けたとしてどうしたら等、色々考えてみても良案は浮かばないので途方に暮れだした時、唐突にその憑りつかれている人が私を振り返ったのだ。



 その人は、美しい、のだと思う。

 とても美しい人だったろう。

 だが、その臈長けた美貌の虚ろさに……ただただ寒気がした。



 これはとても危険な人だと遅まきながら気が付いたのだが、その時には手遅れだったのだ。



 振り返った事に驚いて目を瞬かせるしか出来ない私に、その人は、哂った。

 美しい虚ろな美貌をとても綺麗に、それは嬉しそうに歪め、この世のものとは思えない奈落の穴の様な瞳を輝かせたのだ。


「ああ、ようやく出会えた! 私の光、私の花嫁!!」


 そう言って突然私の腕を握り、自分の方に近づけようとする。

 慌てた私にお構いなしに、その人は不気味な目を蕩けさせながら語りかけ続けた。


「何も心配はいらないよ。大丈夫だとも。君はようやく出会えた私だけの花嫁なんだから」


 私には意味が分からず硬直するしか出来ない。

 そうして手を握られて分かった事は、彼に憑りついている動物や人を――――彼が殺した事。

 しかも楽には殺しておらず、憎悪と怨念、怨嗟を高めるだけ高めて殺したらしい事が分かってしまう。



 それが不思議で仕様がないとまずは思った。

 あれだけの霊がいるというのにどうして無事なのか?

 その事がまず分からず混乱した。

 加えてどうして残酷に殺す事が出来てしまうのかと、それが謎であり私には理解不能で、何も考えられず頭は真っ白だったのだ。



 そのおかげで彼に対する恐怖が薄れてしまったのは、果たして良かったのか悪かったのか……



 手を握られた瞬間、怖気が走ったのに、私はその事よりも憑りついている人達を心配してしまったのだ。

 そう、混乱しながら気が付いたのは、その霊達がその男に囚われているのではないかという事だったのだから。



 どうにかその人達を解放できないか……?



 自分の感じている恐怖や嫌悪感をおざなりにして、私はそんな事を考えていたのだ。

 怖かった。

 とてもとても怖かったのに、なのに私はその事から思考を逸らしてしまったのだ。

 苦しんでいて、いまだに囚われている人達を案じずにはいられず、目の前の男に微塵も注意が行かなかった。

 だから、危険からも逃げられなかった――――


「ああ、彼女達を気にしているのかい? 心配はいらないよ。浮気はしないとも。彼女達は君に出会うまでの無聊を慰めてもらっていただけからね。直ぐに解放しよう。そうだとも! 君さえいたら私は満足なのだから、他は一切必要ない。ああ、直ぐに捨ててしまうから安心して欲しい」


 ギラギラと、蕩けていながら暗く強い光を放つ瞳と言動に、ようやく恐怖が立ち戻った瞬間、私の腕を握っているところから何かが侵入して私を搦めとろうとしているのに気が付いた。

 それはジワジワと、だが確実に私を侵食していく。



 その事に遅まきながら気が付いた私だったが、恐怖から何も出来ずに呆然と立ち尽くしていた。

 侵食はまるで私を嬲る様にひたすらゆっくりと進み、恐怖はいや増すばかり。



 全身の体温が急激に下がっていくのが分かるのに、身体は全く動かなくて、どうしたら良いのかも分からず、心は恐怖で竦み、涙さえ出ない絶望的な状況。

 もう私は終わりなのだと悟るのにそう時間はいらず、恍惚としたその虚ろな臈長けた美貌の男の顔に絶望し、完全に飲み込まれると幻視した時、突然その男が吹き飛んだのだ。

 訳が分からず目を瞬かせる私の前に颯爽と現れたのは、漆黒の髪と紫の瞳に一瞬見えた、黒髪黒目でとてもとても綺麗な年上だろう少年だった。


「恐かったろう、もう大丈夫だ。どこか痛い所はないか?」


 吹き飛ばされた男が動かないのを確認してから、心配そうに私の頬に触れながら訊いてきた、私を助けてくれた人。

 その手の温もりを感じたら、冷え切っていた心が活動しだす感覚がしてきたのを覚えている。

 ああ助かったのだと、もう大丈夫なのだと不思議と思えて、その助けてくれた少年にただ抱き付いていた。

 少年は抱き付いて泣きだした私にオロオロと最初はしていたが、優しく背中を撫でながら抱きしめ返してくれたのだ。



 あの温かさを、私は生涯忘れない。

 そう強く思ったのだ。

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