第65話 着ぐるみ士、祝杯を挙げる

「それでは皆様、ご準備はよろしいでしょうか」

「「おぉーっ!!」」


 場所を変えて、ギュードリン自治区の魔王城。城の中で一番大きな大食堂にて、小さな盃を手にしたシグヴァルドが声を上げた。

 彼の言葉に、長テーブルの前についている自治区の魔物達が声とともに手を上げる。戦いに参加した冒険者だけではない、自治区に住む魔物達も一緒だ。もちろん、その中には俺とリーア、アンブロースとティルザもいる。

 魔物達の返事に満足そうにうなずいて、シグヴァルドが再び口を開いた。


「ありがとうございます。それでは、これより『血華』アルビダ・ヘーフェルス撃破記念の祝勝会を開始したいと思います。まず初めに、ファン・エーステレンよりお言葉をたまわりたいと存じます」


 式次第を説明してから、シルヴァルドは隣に立つギュードリンへと視線を向ける。やはり、こうした式典での最初の挨拶は彼女じゃないと務まらないようだ。

 シグヴァルドが拡声器の前をどいて、ギュードリンに声をかけた。


「お母様」

「ああ」


 声をかけられたギュードリンが、シグヴァルドに代わって拡声器の前に立った。小さく咳払いをしてから、彼女は話し始める。


「この場にいる皆。今日この日、私達の誇る勇者マルヨレインとその仲間、ギュードリン自治区の冒険者達、そして『着ぐるみの魔狼王』ジュリオ君の力で、アルビダを殺すに至った。これは歴史に残る素晴らしい偉業だ。きっと偽王イデオンの力を、大きく削ぐことが出来ただろう」


 ギュードリンの演説を、皆は静かに、しかしもうちょっとも我慢出来ないといったふうに、そわそわと聞いていた。

 確かに彼女の言葉の通り。後虎院ごこいんの一人を撃破する、ということは歴史書にもしっかり記載されるほどの事柄だ。後虎院は後からの補充もされないから、魔王軍の力は間違いなく、大きく削がれている。

 だが、そこでギュードリンは自分の胸を強く叩いて言った。


「だが、この勝利に浮かれていちゃならない。明日にまた偽王の軍勢が私達の仲間を、町を、攻撃してくるかもしれない。だから皆、ここからが本番だ」


 彼女の、気を引き締めるための発言に、反論する者は一人もいなかった。それはそうだろう、彼ら彼女らが敬愛して止まない、自分達の王の言葉なのだ。

 だがその王は、一気に破顔して拳を天へと突き上げて大声を上げた。


「そういうわけで、だ。明日からの本番に向けて、今日の勝利を祝おうじゃないか!! 今回は酔ったって誰も咎めない、目一杯飲むぞ!!」

「「おぉぉーっ!!」」


 ギュードリンの威勢のいい言葉に、待ってましたとばかりに魔物達が声を張り上げた。リーアやアンブロースも、負けじと声を上げる。

 もうここまで来たら誰も彼も我慢など出来そうにない、ギュードリンがさっさと、隣に立つシグヴァルドに声をかけた。


「シグヴァルド、このまま乾杯までやっちゃっていい?」

「あ、はい。どうぞお願いいたします」


 シグヴァルドの方もその言葉は予想していたようで、すぐにうなずきを返した。そこから城のメイド達によって運ばれてくる、麦茶やジュース、酒といった飲み物の数々。とは言え酒はギュードリンやシグヴァルドなど、酒が飲める人員だけに渡って、残りは全員麦茶かジュースのようだ。

 飲み物が各々のコップに渡ったところで、エールの入ったコップを手にギュードリンが再び拡声器の前に立つ。


「じゃあ、えーと。コホン……ギュードリン自治区の勇者と、冒険者、そしてジュリオ君に、かんぱーい!!」

「「乾杯!!」」


 ギュードリンからの乾杯の発声に、食堂内の全員が声を返してコップを掲げた。ぐいぐいとあちこちでコップの中の飲み物が干される中、俺も自分のコップに注がれたエールをぐいと飲み干す。

 やはり、勝ってから飲む酒はいいものだ。いつもより美味しく感じる。俺に乾杯されているのはこう、こそばゆいが。


「はぁーっ、やっぱり勝って飲む酒は美味いな」

「いいなー、あたしもお酒飲めたらよかったのに」

「仕方が無かろう、そもそも魔物は人間の造る酒には弱い。そうでなくてもリーアは、飲める年ではなかろうが」


 エールを飲み干す俺を見ながら、麦茶を飲みつつリーアが口を尖らせる。その隣で浅い器に麦茶を入れて、そこに口をつけて茶を飲んでいるアンブロースが鼻を鳴らした。ティルザはアンブロースよりも格段に小さな皿に、水を入れてもらってそこにくちばしを入れている。会話に加わる気は最初からないらしい。

 と、俺達のそばの席にいたライニールとシェルトが、こちらに寄ってきてリーアの肩を叩いた。


「そうそう。リーアちゃんはもうちょっとの我慢だな」

「お父上があれだけお飲みになるのですから、きっと10歳になる頃には問題なく飲めるようになりますよ」

「そうだといいんだけどなー」


 二人の優しい言葉にリーアは小さくため息をついた。まぁ、確かに彼女はまだ三歳、酒を飲める体質だったとして、まだ飲むのは早いだろう。

 そんな彼らの会話を聞きつつ、俺はライニールの手の中にあるコップに目を向けた。中には、黄金色をしたエールが泡を含んで揺れている。


「というか、普通の魔物の皆さんも、お酒を飲まれることがあるんですね……ルングマールさんだけが特別なのかと」


 自分もエールを飲んでおいて何を、と言われるかもしれないが、自分のエールを飲みながら俺はライニールの顔を見ながら言った。

 俺自身、魔物と酒席を囲んだこと自体多くはないが、ゼロではない。何度か依頼で一緒になったことのある自治区の魔物の冒険者と打ち上げをした時、彼らは決まって麦茶で乾杯していた。

 だから、ルングマールやサーラが平気な顔をしてワインやらエールやらを飲んでいるのを見て、俺は内心びっくりしていたのである。ライニールも苦笑しながら、自分のエールを傾けて言った。


「ごくたまに、人間の造る酒に抵抗力があって、普通に飲める連中はいるんだ。俺の他だと、うちのバールーフとかな」

「ファン・フェーネンの皆様方はファン・エーステレンに連なる神獣です故、その中でも特別ですがね。人間の皆様の酒場にお入りになってエールなどお飲みになられる方は、一定数いらっしゃいます」


 ライニールやシェルトが視線を向ける先では、件のバールーフがサーラと一緒に、ガハハと笑いながらエールを呷っていた。随分と酒が進んでいるようで、一度呪いに犯された自分の腕を掲げている。その近くではマルヨレイン達「砂色の兎コニーリョサビア」の面々が魔物達に取り囲まれて祝福の言葉を受けている。なかなか、あちらには近寄れそうにない。

 と、こちらもエールで満たされたコップを手に、ギュードリンがこちらに歩み寄ってきた。そのまま俺の肩を抱き、ニコニコしながら口を開く。


「ま、要するに酒精アルコールってのは毒だからね。魔物は大抵それに弱い……ただ、耐性の問題だから飲めるやつはいる、ってことさ」

「あ、ギュードリンさん」

「おばあちゃん、もう飲んでるの?」


 リーアが目を見開きながらギュードリンに声をかける。見れば彼女の頬はわずかに赤らんでいた。酔っているとまでは言えないにしても、結構飲んでいるのは間違いなさそうだ。

 そうあっても、コップの中のエールをぐいと飲み干してからギュードリンが笑う。


「飲むともさ! こんないい日に飲まないなんて、もったいないってもんだろう? いやぁ本当にジュリオ君がここにいる時でよかった! 呼んだ甲斐があったってもんだ!」

「いや、まぁ、確かにそれはありますけれど」


 勢いよく俺の肩をばしばし叩きながら話す彼女に、若干俺は言葉に詰まっていた。こうも思いっきりすごい人物に絡んでこられると、ある意味ビビる。

 自分のコップに口を付けつつ、俺は小さく息を吐いた。


「にしても……こんな形で『後虎院撃破者バックブレイカー』の称号を得られるとは、思っていませんでした」


 魔王軍の最高幹部、後虎院を倒した者に与えられる称号『後虎院撃破者バックブレイカー』は、魔王を倒した者に与えられる『魔王撃破者キングブレイカー』と同等か、あるいはそれ以上に価値のある称号だ。

 魔王討伐の機会はA級以上の冒険者のみが所属するAランク以上のパーティーならば等しく機会が与えられ、組織される討伐隊に所属して魔王と対峙して生き残ることさえできれば手に出来る。しかし各国のどこに現れるか分からない後虎院と対峙すること、対峙してなお生き残ることは、意外と機会がないものだ。

 そんなレアな称号を、俺達は手にしてしまったわけである。恐縮する俺にシェルトが苦笑しながら首を振る。


「いやいや、誰も命を落とすことなく、参加した17名全員がこの称号を賜れたのは、間違いなくビアジーニ殿のお力です」

「リーアちゃんも、アンブロース殿も、ティルザ殿だってそうだ。俺達の中で一番いい働きをしてくれたよ」


 ライニールもにこやかに言いながら、俺の肩をぽんと叩いてくる。ギュードリン自治区でも屈指の冒険者に褒められて、俺は頭をかきながら口角を持ち上げた。


「ありがとうございます……なんか、照れますね」

「照れていいよ、この時ばかりはね。運が良ければいろんな奴が持てるが、勇者でも得られるか分からない称号だ」


 照れる俺を、もう一度ギュードリンが肩を叩きつつ褒めてくる。すると彼女は首をぐいと後方に回し、裏方作業にあたっていたシグヴァルドに声を飛ばした。


「よし、シグヴァルド! 私の部屋からローレ産のワイン持っといで! 前に王家からプレゼントされたやつ! ジュリオ君に奢りだ!」

「かしこまりました。グラスもお持ちいたします」

「えっ、えっ」


 彼女の口から発せられた言葉と、平然と応対して引っ込んでいったシグヴァルドに、俺は過去一番に狼狽した。

 大陸南部に位置するローレ王国はぶどうの栽培が盛んで、ワインの産地として知られる。ローレ王国王家が各国王家や皇帝家との会合を行う際、自国のワインを手土産に持ち込むことは有名だ。ギュードリン自治区もこの大陸に存在する立派な独立領域、在位時からただでさえ人間に友好的だったギュードリン・ファン・エーステレンに、同国王家が正式に・・・ワインを贈っていないはずはない。

 つまり、今から俺に奢られようとしているのは、各国の王族やら貴族やらが口にするような高級酒・・・だ。ライニールがニヤニヤしながら俺に視線を投げてくる。 


「流石だなジュリオ殿、ローレのワインで魔王殿が贈られたものとなれば、一本20,000ソルディは下らない品だぞ」

「ですよね……うわ、そんな高級ワイン、俺見たことすらないです」

「堪能しろ、堪能しろ。貴様だけの特権だぞ、盟友ともよ」


 俺が明らかにビビっていると、カラカラと笑うギュードリンの横でアンブロースも喉を鳴らしていた。

 結果として、俺は運ばれてきたワインでギュードリンと一緒に乾杯し、ライニールとシェルトにもおすそ分けして、まだ酒を飲めないマルヨレインが「ずるーい!」と寄ってきたのをいいことに、彼女とも話に花を咲かせるのだった。

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