十二唱 あの頃の幼い僕らは、何を願い、何を祈り、何を信じていたのだろう
頭の内側を金属で殴られるような痛みで、トーリは目が覚めた。
目を開いた瞬間、ばっと身体を起こせば、すかさず聞き慣れた少女の声。
「トーリさん!?」
応えず、トーリは室内を見渡した。
乾いた空気。色あせた漆喰の壁。夏で燃えていない石組みの暖炉。天井に張り巡らされた太く立派な
少なくとも、牢屋ではない。そう判断を下し、息をつく。
すると、フリアに手を両手でぎゅっと握りしめられた。
「トーリさん、良かった……」
「フリア……?」
「本当に良かった……っ」
滲む涙と、手の平から伝わってくる暖かさ。
心にあたたかいものと、心配かけちゃったな、という申し訳なさのようなものが浮かぶのを感じながら、トーリは苦笑した。
「フリア、心配かけてごめ…っ、いた」
とっさに二日酔いの時のようにがんがんに痛む頭を押さえる。
「大丈夫ですか? すごい熱があったのですよ」
「熱……? なんで急に」
喉の痛みや、身体のだるさなど、風邪をひきそうな前兆はなかったはず。
旅の疲れが出たのだろうか、と疑問に思いながらトーリは改めて口にする。
「ところで、フリア。ここは一体……」
「海上都市に一番近い波止場町って言えばわかるか?」
どこ? と聞く前に答えは返ってきた。
声のした方向、フリアの向こう側、部屋の壁際を見やる。
エメラルドグリーンの刃。一房だけ束ねられた白銀の長い髪。黒いジャケット。
ブライヤーその人を見るなり、トーリの太陽色の瞳が見開かれる。
「なんであんたがここに!」
「また今回も随分と失礼な言い草だな。説明してやれ、お目付け役」
ブライヤーはくいと顎でフリアをしゃくった。
フリアは複雑な面持ちでトーリとブライヤーを交互に見比べた。
「……その、ブライヤーさんは、わたしたちを牢屋から出して助けてくれたんです」
「なんで……」
「だから、助けたわけじゃねぇっつってんだろ」
「くっきゅ?」
ブライヤーの隣、簡素な棚の上に座っていたクィーが、きょとんと首をかしげる。
「首傾げてんじゃね、そこ」
びしっ、とブライヤーがクィーの鼻先を指で弾く。
クィーが、きゅっ、と顔をのけぞらせた。
大声を上げたせいで更にずきずきと頭が痛むのを感じながら、トーリはなんとか尋ねる。
「町は、海上都市ヴェール・ド・マーレはどうなった……?」
「知りたいなら読みな」
ひゅ、とブライヤーが手元の折り紙を投げてよこす。
トーリの膝の上に飛んできたのは紙飛行機――の形に折られたタブロイド紙だった。
紙飛行機を広げ、トーリは言葉を失う。
「……なん…」
「昨日の夜、真夜中とはいえ、あれだけでかい騒ぎが起きりゃ、近隣の町がこぞって騒ぎ出すだろ」
紙面に大きく映し出された写真には、半壊した海上都市ヴェール・ド・マーレが映し出されていた。
タイトルは――海上都市ヴェール・ド・マーレ、襲撃。竜によるものか。
「おまけに守り神みたいな竜がそれをやらかしたとなれば、なおさら……って、おい?」
「トーリさん!?」
話は最後まで聞かない。
トーリはベッドから跳ね起きると部屋から飛び出した。大急ぎで階段を下り、建物の外に出る。
偶然にも、海上都市ヴェール・ド・マーレは、扉を開いて出た先、正面に見えた。
氷結した都市は、真夏の太陽に照らされ、氷の城のように輝いていた。
色とりどりのカラフルな壁とオレンジ色の屋根は分厚い氷に覆われ、夏にもかかわらず冷え冷えとした空気が伝わってくる。
「あ……」
変わり果てた海の都を前に、トーリは立ち尽くす。
背後から追ってきたらしいブライヤーが抑揚のない調子で説明してきた。
「現時点で七人の死亡者。行方不明者多数。周辺の島やここからも救出部隊や増援が来てるらしいが、復興には時間がかかるだろうな」
「なら、あの竜は!?」
ばっと振り返り、叫ぶ。
ブライヤーはにべもない。
「さてな。でも解放された竜はそう簡単には捕まらねぇよ。同じ竜の力か、反転したオルドヌング族か……って、おい! どこ行くんだよ!」
走り出した瞬間、腕を捕まえられる。
「だって、町がああなったのはおれが! おれのせいで!」
「それで?」
トーリの悲痛な叫びに対し、ブライヤーの調子はどこまでも淡泊だった。酷薄とも取れるほどに。
冷や水を浴びせられたような気分で、トーリは返答に窮する。
「それで……って……」
「お前が戻ってどうするんだっていう意味だ。お前一人戻ったところで、町の復興には役に立たねぇよ」
「だからってこのまま何もしないで立ち去れって言うのかよ!」
「ああ、わかった。単なる自己満足か」
トーリの瞳が最大にまで見開かれ、反射的に声が固まる。
「ごめんなさい。おれのせいでこうなりました。そう言えば、罵倒されて唾吐かれるなんてわかってんだろうが。それともまた牢屋に戻りてぇか?」
かっとはしなかった。
図星を指摘されて、逆に頭が冷えたぐらいだ。
遅れてやってきたフリアがはらはらと見守るのをよそに、トーリは物怖じせずにブライヤーを見返す。
「おれのことならいくらでも言えばいい。でも、誰かにごめんなさいって言ったり、やらかしたことに対して申し訳なく思うことを、そういう人たちまでバカにするような言い方はおれは好きじゃない」
「ここから東、魔境と呼ばれる島国には古来よりこんなことわざがある。謝罪で済んだら王立騎士団はいらねぇってな」
「でもそれは謝罪そのものを否定するものじゃないだろ。言葉だけじゃなくて、態度や行動で誠意を示すことも大事だっていうんならわかるけど」
むきになるでもなく冷静に返せば、ブライヤーが意外そうに目を見張る気配。
「動揺してるかと思ったら、案外、落ち着いてんのな」
「そりゃどーも」
わざと声を尖らせて皮肉を返してやる。
そこで、トーリの緊張の糸がふと緩んだ。
「ああもう、余裕あるくせに挑発してこないでよ」
はあ~、と肩から息を吐いて座り込む。
ブライヤーがトーリのつむじを見下ろしながらぼそりとつぶやく。
「なるほど、ただの馬鹿とは限らないってか」
「くぅきゅ」
「聞こえてるからな。あとクィーもそこでうなずくなよ!」
「ぴぃぴぃ、うっせーな。ひな鳥」
片耳を指でふさぎながら、ブライヤー。
「まっ、お前が気に病むことじゃねぇよ。お前がやっていなければ、俺がやっていたことだからな」
「え……?」
「だって、俺、あの島にいる竜を解放するために来たんだもん」
ブライヤーの言っていることを理解するのに五秒かかった。
フリアもこれには絶句している。
「もう少し様子を見てから、機会を待って忍び込もうとしてたらお前が動いちまうんだもん。まったくよー」
まるで、おもちゃを横取りされたような、その程度の気楽さ。
「だからお前がそこまで気に病むことじゃねぇよ。早いか遅いかの違いだ」
それは慰めのようで、それはトーリにとって慰めでもなんでもなかった。
自分がひどいショックを受けているのを自覚しながら、トーリは座り込んだままブライヤーを見上げた。
「……ブライヤーは…、竜を解放したら、こうなることがわかってて解放しようとした……?」
「もちろん」
ぎっとトーリはブライヤーを視線で射貫く。
「随分とおめでたい頭だな。自由を奪われていた竜が何もせず、立ち去ってくれるとでも本気で思ってたのかよ」
「だからって町の人たち巻き込んでまでやろうとすることかよ!」
「やった奴が何を言うかね」
「だっておれは!」
「こんなことになるなんて思わなかった。こんなことになるんだったら、最初から竜を解放なんてしなかった。とでも言うつもりか?」
「……!?」
嗜虐的にブライヤーが笑う。それがパフォーマンスだとしても、トーリの心を抉るには十分な効果だった。
「ああ、あるいは、どこかでその可能性に気づいていながら、目をそらして、そうならないであって欲しいと祈りながら行動を起こした、とか?」
やめろ。
「竜を解放した後に起こる騒動を予感しながら、それでも動かずにはいられなかった。何もしないでいるなんて、ましてや見て見ぬフリなんてできなかったから」
やめてくれ。
「ブライヤーさん! それ以上は――!」
「なぜなら、そうしないと、竜を助けたいと思う自分の気持ちが嘘になってしまうような気がしたから」
――トーリの声なき悲鳴が、断末魔のように空間を震わせた。
「行動を起こすことで何かをしたような気分になれるたぁ、お前のお気持ちとやらも随分と浅くて安っぽいもんだな。結果を受け止めるだけの覚悟もねぇくせに」
「ブライヤーさん!」
甲高い糾弾が、フリアから飛ぶ。
だがブライヤーはエメラルドグリーンの刃でフリアを斬りつけるように一瞥するだけだ。
「お目付け役、お前もお前もだ。すっかり毒されてるんじゃねぇぞ」
「な……!?」
「なんのためにお前がひな鳥のお目付け役になったのか忘れたのか?」
フリアの瞳が忌々しく歪み、それでも言い返してきた。
「立場をわきまえず、トーリさんに過度に肩入れしたために、この惨事を招いたというのなら、それはあなたの言う通りでしょう。今回のことはわたしの責任でもあります」
静かに、だが決然とした響きを持って、フリアが言い切る。
「でも、あなたが言うところの自分がしたことの結果を受け止める覚悟は、その人の行動を正当化もしなければ、免罪符にもなりはしません。単に開き直ってるだけじゃないですか! もしくは、結果を前にしたとき、自分の心がつぶれないための自己防衛! 何が覚悟ですかそんなもの!」
「おー、ノってきたじゃん」
ひゅう、とブライヤーが口を尖らせて口笛の真似をする。
「そーだ、物は言いようだ。おまけに、被害者側からすれば、覚悟だろーがなんだろうが、そんなものあったところで、なーんの納得材料にもなりゃしねぇんだぜ?」
「だったら、なおさらあなたに何かを言われる筋合いはありません!」
「筋合いがあるかないかと、見ていてイライラするかしないかは別モンなんだよなあ。お前も正論ぶってんが、こうしてオレに噛みついてんのも俺のと大差ねぇからな?」
にやり、とブライヤーが笑えば、フリアがかあっと頬を染めた。ひどい辱めを受けたように。が、まさしく開き直る。
「そーですね! 今わたし、あなたに対してとってもイライラしてます!」
「いい兆候だな、お目付け役」
くつくつと楽しげに笑うブライヤー。
「クィー、燃やしてください」
「くーきゅー」
フリアの頭の上にいるクィーがかぱっと口を開いた。
口の奥から電撃を伴った白い光があふれだし、ブライヤーめがけて解き放たれる。
一瞬にして、ブライヤーが炎上。景気よく燃えて焦げついた後、目を閉じたまま無表情で一言。
「てめぇ三枚おろしにして鍋にするぞ」
「ぐぎゅ!」
「クィーに手を出したら、容赦しませんよ……?」
「怖い怖い。なら、今日のところは退散するとしようかね。お前に本気出されると敵わねぇし」
幕引きだ、と言わんばかりにブライヤーが歩き出す。
トーリはまだ、愕然と瞳を見開きながら自失から立ち直れていなかった。
――その先は?
確かにあの瞬間、トーリはぽっかりと浮かんだ冷静な問いに蓋をした。
「おれ……は……、だって大丈夫だって……」
そう、大丈夫だと言い聞かせて。
聞こえたらしい。立ち去ろうとするブライヤーが足を止めてつぶやく。
「後のことは、領主サマに任せて?」
そう。
だって、今それを考えたら動けなくなると思ったから。
「自分のしたことのケツを人に拭かせて? 自分満足のまま突っ走って? 結果を受け止め切れるだけの
こつこつ、とブライヤーのブーツの足音が遠ざかる。
「空も飛べないひな鳥が」
明らかな揶揄だった。
言い返すこともできず、トーリは地についた手をぐっと固めた。
――と。
「……一つ、聞きたいことがあります。ブライヤーさん」
唐突にフリアの声。
正面に見える海上都市ヴェール・ド・マーレを見つめたフリアが、右手に立ち去ろうとするブライヤーを見もせず言ってくる。
「答えるとは限らねぇが、言ってみろ」
ブライヤーも振り返らない。
「さっきの口ぶり、どうしてわたしがトーリさんのお目付け役になったのか、その理由まで知ってそうですが、まさかと思いますが、あなたの妨害はセト様に頼まれて?」
どくり、とトーリの心臓が嫌な音を立てる。
固唾すら飲めず、ブライヤーの背を見やる。表情は見えない。
ややあって、ふっと、背を向けたブライヤーが苦笑する気配。
「むしろ、あっちの方から交渉を切ってきたから、俺がこういう手段に出てんだけどねぇ」
「セトさんの方から……?」
「それを聞いて安心しました」
心底ほっとしたように、フリアが目を閉じる。
「我らが契りを違えるとどうなるか。〈イドの解錠〉をお忘れなきよう」
その言葉は、脅しというにはあまりにも精彩を欠いていた。
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