26,お邪魔します
「えっと……」
「遠慮しないで、今は私しかいない時間だから」
言うが早いか、商店街の汐莉の家へ案内された俺達はそのまま家の中へあげてもらう事になった。
おしゃれな小物が置かれた玄関先はヴィランが出入りするような無骨な俺の家とは大違いで、それだけでなんだか別世界へきてしまった気分だ。俺の家なら、武器が置かれているとこだよ。
「ご家族は……」
「お父さんはいつも帰り遅いし、弟は学校行事の実行委員なんだって」
だから一人なの、なんて言いながら俺達をリビングに置き台所へ向かった汐莉は、カチャカチャとなにかを準備しているようだった。本当は弟とかいないよななんて、そんな無神経な事は聞ける状況ではない。けれどもせっかく家にあげてもらった以上わかる事はないかと、俺は目線を部屋の中へやっていた。
「三人とも、麦茶飲める?」
「そんなお構いな」
「飲めるっス!」
「僕はけっこう、紅茶が好きなんだ」
「おい図々しいぞ」
そこは遠慮しろ、ばか。
「大丈夫だよ、ペットボトルのでよければ紅茶もあるし」
「ごめんな汐莉……」
「気にしないで、私が好きにやっている事だから」
そっと前に置かれた麦茶が揺れる様子を見ていると、今度はなにかを探すようにトコトコとどこかへ行ってしまう。なんだか、動かしている気分で申し訳ない。
「……ところで、太一」
「ん?」
汐莉がいなくなったのを見計らってか、蒼は出された紅茶へ口をつけずにそのまま俺に声をかけてくる。その表情はどこか固くて、自然とそちらに視線を動かす。
「早川汐莉、本当に信じて大丈夫なのか?」
「信じてって、そんな家にきていまさら」
「いまさらでもだ、正直僕はまだ信じていない部分もあるからな」
いかにも真剣な顔で言う蒼に返す言葉が見つからなくて視線を落としていると、トコトコとさっきと同じ足音が聞こえてくる。
「ごめん、お待たせ」
ひょっこりと顔を出した汐莉は手に持っていた箱を俺達の前に置くと、これなの、と言いながらテーブルを挟んだお向かいに腰をおろした。
「これは……」
「これが、パンドラの欠片」
「っ……」
ずいぶん簡単に目の前に姿を現したそいつに、思わず言葉を失った。
その木製の箱は古いのかかなり薄ぼけていて、個人的な感想はパンドラの欠片とは思えなかった。だってそんな、レコードを支配できて世界のバランスも壊しかねないものなのに、こんなボロボロな箱に入っているなんて考えられないじゃないか。
「なぁ汐莉、どうして汐莉の家にパンドラの欠片があるんスか?」
あまりの展開に言葉を選んでいるとそれよりも先に悠人が口を開き、不思議そうに箱を指さしていた。よかった、その様子だと怪しんでいるのは俺だけじゃないみたい。
「どうして……どうしてだろう、気づいた時にはもうあった箱だし、そこまで深く考えた事なかったな」
そうやって話す汐莉からウソをついているようには思えなくて、静かに箱を見つめる事しかできなかった。こんな小さな箱が、世界のバランスを崩すかもしれない。そう考えると、なんだかゾッとする。
「けど、そんな大事なのをただのクラスメイトである僕達に見せてよかったのかい? 早川汐莉の家にあるという事は、それなりに家の中でも大切にしている物って認識になるが……」
「うん、それはそうなんだけど……最近なんだか、これを見るお母さんの様子もおかしいから」
「……その話、詳しく聞かせてくれないか?」
汐莉の話は、どうやら蒼にとって気になる部分があったらしい。
真剣な顔で話を続けた蒼に汐莉はいつも通りやわらかな表情を崩さず、実はね、とゆっくり口を開いた。
「だいたい一か月前だったかな、お母さんの遠縁の人が訪ねてきて二人でこの箱を挟んで真剣に話をしていたの。内容は詳しく聞こえなかったけど、それ以来お母さんはこの箱を取りつかれたように大切にするようになったの。実は入院しているのも、それが原因でお父さんがお母さんを病院に」
触れてはいけない話を聞いた気がしてごめん、とこぼすと気にしていないよと笑っていた。強がったその言葉とは裏腹に、肩を小さく揺らしているのがわかる。
「それにしても一か月前……ラグナロクが万事屋になった頃と同じではないか?」
「確かに、言われてみれば……」
なんだか、関連しているようにも思える。
確証がないからそれ以上はなにも言えないけど、同時にそれを否定する材料もない。けどやっぱり、この街でなにかが起こっている。
「……じゃあ、長くお邪魔しても申し訳ないし俺達はこの辺で帰るよ」
「そんな、気にしなくても」
「いや、気にしているというか……」
本人は気づいていないのだろうけど、お母さんの話をしてからずっと涙があふれそうな目をしている。きっと汐莉にとって悲しい事だったんだ、これ以上俺達がいたらまた傷つけるかもしれない。
「俺達この後また行く場所があって、なぁ悠人」
「え、いや特には」
「あるよな?」
「……そうだったっス、忘れてた!」
有無を言わせない言葉で、悠人もさすがに察したようだ。
少しだけ呆れたように首を振ると、手に持っていた麦茶を飲み干してごちそうさま、と笑った。
「そう、なら仕方ないね。今度はパンドラの欠片関係なく、遊びにきてね」
「あぁ、もちろん」
悠人と蒼へ目を配らせて、流れるように立ち上がる。
そんな俺に続くように悠人と蒼の順番で立ち上がって――
「…………」
「……蒼?」
ふと、蒼が汐莉の前で立ち止まっているのが横目に見えた。
なにかを言うでもなく、感情を表に出すでもなく。ただ無機質な表情をした蒼は、ただただ汐莉を見つめているだけだ。
「えっと……蒼、くん?」
あまり関わりがないからか、ぎこちなく汐莉が名前を呼んでも反応がない。さすがに間に入った方がいいかなと考えていると、それよりも早く蒼の手がゆっくりと動いて――汐莉の頭を、そっとなでていた。
「って、え?」
「蒼?」
「えっと、蒼くん……?」
「……」
わしゃわしゃと、少し力強く。
かき回すように無言でなで続けると、しばらくして満足したのかうん、と小さく首を縦に動かした。
「早川汐莉……おそらくだが太一は君が笑っている方が好きだと思うぞ」
「おい、突拍子もなく俺を出すな」
今の流れで俺はいらないだろ、おい悠人横で声を押し殺しながら笑うな。
申しわけなさでいっぱいになりながら蒼の首根っこを掴んで、強引に引っ張る。カエルがつぶれたような声が聞こえた気がしたけど知らぬふりをしてごめんなと汐莉に謝った。
「いきなり頭なんかなでられて、いやだったよな?」
「うんん、全然……むしろね」
さっきとは違い安心しきった表情を見せた汐莉は、蒼に目線を合わせるように立ち上がり言葉を続ける。
「なんだかとてもあたたかかったの――ありがとう、蒼くん」
彼女の肩の揺れは、もう止まっていた。
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