月が満つるように 通常Ver

FUJIHIROSHI

1

 心に『モヤ』がかかっている——いつからなのか、それが何なのかはわからないんだけれど、

 何か足りない様な——

 何か欠けている様な——

 周りのみんなは僕の事を『みつるはさ、トーンが平らだからわかりずらいんだと思う』又は『仇川あだがわ君って、あまり感情を表に出さないよね』とか言う。

 17時半——12月ともなればもう外は真っ暗だ。部活を終えて教室で一人、今夜のイベントの事を考えながら帰り支度をしていると、廊下をバタバタと駆けて来る音がする。これは……雪臣ゆきおみ

「おー居た居た。おつかれい! そこまで帰ろうぜ」

 やっぱりだ。

「お疲れさま。剣道部にしては終わるの早くない?」

 そう言いながら、僕らは静まり返っている廊下に出る。遠くから、まだ活動しているらしく演劇部の発声練習が聞こえてくる。

「いやいや、俺ら休みだってのに7時からやってるんだぞ。ヘトヘトだよ。もうすぐ冬休みだけど、休み中も毎日のように部活あるみたいだし……中学の時とは違うな」

 言った矢先、思い出したように声を張り上げた。

「あーっっそれより光! 天文部! 冬休み初日から長野に合宿だって?」

 声は廊下に反響して、余計に大きく聞こえる。

 僕は逆に抑揚よくようのない声で言う。

「ああ、そうらしい。天文部って今まで四人しかいなかったみたいでさ、全員、今年卒業したから廃部になる予定だったんだよ。でも僕ら新一年が六人入ったろ。どうにか立て直して存続出来たんだけれど、部として活動しているという実績じっせきが必要みたいで、顧問のジャクソン先生が思いつきで決めた」

「おおお! さすがアメリカン。やる事が違うな」

「いや、オーストラリア人な」

「…ま、どちらにしろ羨ましい事に変わりはねえ。俺も天文部に入れば良かったな〜」

「雪臣は推薦入試だろ」

「ま、そりゃそうなんだけどな。合宿、24日から2泊3日だろ」

 よく知ってるな。

「もちろん乃万嶌のましまも行くんだろ。合宿、そしてクリスマス。こりゃあ学園アニメなら間違いなく告白だよな」

 何それ? 学園アニメって何? 雪臣はアニメに影響され易い。あきれて言う。

それか。何故そうなる?たまたま高校が一緒でたまたま部活も一緒になっただけだろ」

「いやいや、どんだけお前と一緒にいると思ってんだよ。光はトーンが平らだから他の奴らは気づかねえだろうけど、俺は中学の時からわかってたぜ。乃万嶌と話してる時の光は明らかに違うんだ。空気…って言うかさ、何だ? 雰囲気か?」

 わかってないだろ。しかもトーンが平らって何?

「笑わねえし、怒らねえし、ほぼ無表情だからいつもと同じに見えるけど、何か違うんだよ。とにかく高校まで偶然一緒なんて、そりゃあもう、『運命』だろ」

 雪臣は『運命』とか、恥ずかしい事を平気で言う。

「それを言ったら、雪臣とは保育園の時から一緒だけどな」

「いや、ちょっと待て……光……俺は、男だぞ」

 ……あのな……面倒なので無視しよう。

 ——そんなくだらない話しを終えて、僕らは昇降口を出た所で別れた。雪臣は自転車通学だ。本人は『愛車』通学だと言っていた。

 どっちでも良い。

 僕達の通う県立東秀延沢とうしゅうのべさわ高等学校はちょっとした山の上にあり、通っているだけで足腰が鍛えられる。

 校門を出た僕は少し早足で坂道を下る。今夜のイベントの事を考えると心がはやる。

 そんな僕を後ろから雪臣が抜き去り、少し過ぎてから止まった。こちらを振り返って言う。

「光、お前さ、自分自身の事をわかってないところあるからな、あんまり毎日考え込んでると疲れるぜ」

 言って、雪臣は軽く手をあげて、再び『愛車』を走らせた。

「え? あ、ああ。また明後日な!」

 何だって? 最後におかしな事を言われて、僕はそんな返事しか返せなかった。でも、何だ? 何かが引っかかった。

 ——胸の辺りが少し締めつけられているみたいだ。

 ——気を取り直して歩き出す。

 颯爽さっそうと坂道を下る自転車を見ると、自転車もなかなか良いもんだなと思ってしまう。雪臣の『愛車』が格好いいからかも知れないけれど。

 雪臣の『愛車』は10万円以上もするロードバイクだ。有名なメーカーらしく、11段変則でフレームはアルミ合金、どっかの一部にカーボン素材が使われていて、で……なんだっけ? とにかくアルバイトをして、生まれて初めて自分のお金で買ったのだとさんざん自慢されたので覚えてしまった。

 ……いや、あんまり覚えてなかった。

 僕にも自慢出来る物がある。子供の頃から手伝いをして貰ったお小遣いや、お年玉を貯めて買った(結局足りない分は親に借りてしまったが)愛機、自動追尾式赤道儀付天体望遠鏡だ。

 『愛望遠鏡』だ!

 対物レンズ120ミリ、焦点距離は600ミリ。集光力は肉眼の約300倍になる。静音自動高速導入、高精度の追尾が可能な上、ソフトウェアによって極軸合わせも簡単で——やめよう。話が止まらなくなる。

 今頃僕の部屋で『愛望遠鏡』も今夜のイベントを、首ならぬ、鏡筒きょうとうを長くして待っているだろう。

 また少し早足になる。最寄りの東延の沢ひがしのべのさわ駅までもうすぐだ。

 18時前——かなり寒くなってきた。吐く息が真っ白だ。確か天気予報で今夜は5度近くになると言ってたな。見上げた空は、雲が少し多めだけれど良く晴れていて、満月が明るく見えている。

 ——大丈夫だ。鼓動が速くなっていく。

 早足で歩いてるせいだけではない。間違いなくイベントのせい。

 壮大な天体ショー

 今夜は皆既月食だ!

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