大仕事

「タケシです。入ります」


 ここはアカネ先生の部屋。プロとして専属契約を結ぶと専用の部屋が与えらます。何回もこの部屋には来てますが、それにしてもの物の山。


「どうもアカネは整理整頓が苦手でね」


 アカネ先生にも欠点はあって、とにかく写真以外については本当に無頓着。服もTシャツとジーパンと短パンとスタジャンしか持ってないかと思うぐらいです。化粧だってほぼスッピン。


「タケシにちょっと大きな仕事をやってもらう」


 おっ、そこまで認められたかと喜んだのもつかの間、聞いてみると掌に汗が滲んで来るほどのものです。


「アカネ先生、いくらなんでも甲陵倶楽部の仕事をボクがするのは・・・」

「それがツバサ先生流だよ」


 これも聞いたことがあります。わざと現在の力量以上の仕事をさせて、死に物狂いで取り組ませ、これをモノにすることによって一挙に才能を開花させるとか。それでも、それでもです。


「あれは別枠の仕事じゃありませんか」

「だから? 別枠であっても弟子がやることはあるんだ」


 そりゃ、そうですが、


「アカネもやったよ」


 これはもうオフィスの伝説と言うより神話みたいなもので、まだ商品広告や動物を撮っている段階だったアカネ先生が、その仕事一つで個展も飛び越えていきなり専属契約になったというものです。


 ボクも見たことがありますが、あれこそ息を呑む作品です。絢爛豪華でありながら少しも浮ついたところがなく、そこから愛が奔流のように流れ出す傑作です。しかも、これを撮られたのは二十二歳の時なのです。


 アカネ先生は数々の伝説に彩られていますが、一つにその異常なほどの成長の早さがあります。まず入門時の技量は高校の写真部程度だったとされています。


「そうだよ。今だってツバサ先生に、あの頃はどれだけ下手くそだったかって、イビられるぐらい下手だった」


 ツバサ先生だけでなくサトル先生や、当時を知るスタッフにもよく聞かされます。高校の写真部レベルと言っても、並以下、もっと低かったと。それがたったの二年余りで、このレベルに達しているのです。このレベルと言うより、この頃のアカネ先生のレベルに達しているプロなんて両手に足りないと思います。


「この仕事についてはツバサ先生とも相談の上で決めてる。タケシならやれるとアカネも了解してる。それと準備もいるだろうから、この仕事に専念してイイよ」


 ここまで期待をかけられて断るわけにもいきません。それと今回の仕事はタマタマだそうですが、アカネ先生と一緒です。


「エレギオンHDからも依頼があって、アカネも撮ることになってるんだ。タケシに負けないように頑張るからね」


 げっ、これはなんというプレッシャー。同じ題材の撮り較べをアカネ先生とやらされるとは。


「ところで障害馬術って見たことある」

「テレビでは何度か」

「じゃあ・・・」


 競技は甲陵倶楽部で行われますが、あそこは会員以外に立ち入りが出来ません。もちろん取材当日には許可は下りますが、事前の下見は出来ないようです。その代りということで、北六甲乗馬クラブを手配してくれました。


「あそこにも招待されてる選手がいて練習してるから、参考にしたらイイと思う」


 これは助かります。さっそく出かけたのですが、とにかく広いところで驚いたのと、クラブハウスが貧相、もといあまりに庶民的なのに驚かされました。広大な屋外馬場の一角に障害飛越のコースが作られているのですが、これがまた手作り感に溢れていて、テレビで見たのとはだいぶ感じが違います。


 今日はアカネ先生も障害馬術を見ておきたいとの事で一緒です。クラブハウスで社長の小林さんに挨拶して、取材許可をもらいます。なかなか親切そうな人で、


「プロのカメラマンに撮ってもらえるとは光栄です。今日はシノブさんが来られますから、それまで馬場を見られたらどうですか」


 アカネさんと一緒に馬場に設けられたコースを歩いたのですが、


「これ飛び越すのですか」

「みたいだね」


 そばに行ってビックリしました。アカネ先生の背丈より高く、それが十個以上あります。アカネ先生は歩きながらしきりに周囲を見渡し、


「タケシ、こういう時は撮影ポイントを考えるんだ。撮るのは馬場の外だから、よ~く考えるんだ」

「たとえばね、ここは幅もある障害じゃない。飛ぶ時に迫力あるだろうけど、こっちの障害が撮ろうとすると邪魔になるだろう、だから・・・」


 場内の障害の一個一個について、撮影ポイントをレクチャーしてくれているようでした。そうやって一回りして馬場から出ると、なにかギャラリーが、


「お兄ちゃんも見に来たんか」

「ええ、初めてなのですが」

「そうか、今から凄いもん見れるで」


 そんな話をしているうちに、隣の馬場から入って来ました。馬のことはよくわかりませんが、見るからに立派そうな馬です。やがて走り出すと、あの高い障害を鮮やかに飛び越えて行きます。


「ホントに飛べるんだ・・・」


 飛越する時の姿は力強く、美しく、実に迫力があります。なんかうっとり見てたら、


「タケシ、見とれてるだけじゃ、ダメだよ。あれをどうやって写真の中に取り込むかを考えるんだ。あの迫力ある動きを、美しさとともに、どうやったら取り込めるか考え抜くんだよ」


 そうなんです。見に来たんじゃないのです。どう撮るかを考えに来ているのです。アカネ先生は馬場の周囲をグルグル回りながら、


「帰ったら、どこでどう撮るつもりだったか話してね」


 やがて練習も終り馬も引き揚げかけた時に、


「アカネさんではないですか。そちらは彼氏ですか」

「違います。アカネの弟子のタケシです」


 騎手は女性ですが、なんて綺麗な人なんだろう。歳は二十過ぎぐらいかな。ボクも挨拶して、


「後で食事でも御一緒しません。ここのレストランはお勧めよ」

「じゃあ、そうします」


 しっかし、どこにレストランなんてあるかと思っていたら、クラブハウスの中の大衆食堂。看板にはレストランって書いてますけど、


「アカネ先生、あの方はお知り合いなんですか」

「そうだよ」


 着替えが終わったさっきの騎手の人も来て、


「ここのお勧めはね・・・」


 まあ食べる、食べる。でも美味しい。これは下手な高級レストランより美味しい。それに安い。


「・・・それでタケシさんが甲陵倶楽部の写真、アカネさんがシノブの写真を撮られるのですね。アカネさんに撮ってもらえるとは光栄です」

「光栄だなんて、しょっちゅう撮ってるじゃないですか。三十階の写真係みたいなものだし」


 三十階って、どこかのマンションの事かな。


「・・・それでね、障害馬術の写真の撮り方のヒントをつかむために、しばらくタケシが通うからヨロシク。もし時間があったら、障害馬術のことを教えてくれたら助かります」

「イイですよ」


 帰り道に、


「綺麗な人でしたね。どこかのお嬢さんですか」

「それぐらいに思ってたらイイよ」


 あれだけ乗れるのですから、子どもの時からやってただろうし、馬術はとにかくおカネがかかるって聞ききます。馬まで持ってますから、よほどのお金持ちのお嬢様じゃなきゃ無理ですものね。


「それと独身だから惚れてもイイけど。それならそれで、覚悟してね」

「怖い人なのですか」

「ちっとも、優しくて親切な人だよ」


 なにか引っかかるけど、ボクにはアカネ先生がいます。そこから乗馬クラブ通いが始まりました。これも通い始めてわかったのですが、あの障害コースはシノブさん専用に作られたもののようで、親しくなった小林社長から、


「そうや、シノブさんとテンペート以外じゃ無理や」


 テンペートとは馬の名前だそうです。


「団体戦の時に、あれだけお世話になったんや。これぐらいはお安い御用や」


 とにかく凄い試合だったようで、甲陵倶楽部側はアジア代表や国体選手まで動員してきたのに、試合経験すらないシノブさんたちが勝ってしまったそうです。


「テンペートは良い馬ですよね」

「そうや、あんだけの馬はオレも見たことないぐらいや・・・」


 とにかく社長は馬の事になると止まらなくなるのですが、お蔭で馬や馬術の事は詳しくなれました。そうそうシノブさんの対戦相手になりそうなのは、


「神崎愛梨とメイウインドや。これも凄いで。あそこまでになるとワールド・クラスや。オリンピックでメダル取ってもおかしくないぐらいやからな」

「そんな凄い人にシノブさんは勝てるのですか」

「勝てるかもしれん。それぐらいシノブさんとテンペートも凄い」


 実はこれを聞いてボクにさらにプレッシャーが。今回の仕事は神戸でも権威ある甲陵倶楽部の仕事である点だけでもプレッシャーでしたが、行われる馬術大会自体は、素人の親善試合ぐらいと思っていました。


 それがあの障害の高さはオリンピック・クラスだって言いますし、出場するのもそのクラス。全日本クラスのハイ・レベルのものになりそうです。それを初めて行った会場で、一発勝負で撮らないといけないのです。



 最初の日にアカネ先生と行った夜に、撮影ポイントと構図を聞かれましたが、一通り聞いたアカネ先生は、


「たとえばね、アカネなら・・・」


 えっと思うようなポイントから、そこを狙うかみたいな構図を聞かされました。


「ここはタケシの正念場よ。アカネはタケシにはあると思ってる。死ぬ気で考えるのよ。頭を絞り尽くして、どうしたらより良い写真を撮れるか考え尽くすんだ。聞きたいことがあったら、いつでもおいで。アカネに教えられる事なら、なんでも教えてあげる」


 ボクが乗馬クラブに行った日は必ず写真のチェックです。


「悪くはないけどアリキタリ。面白くない」

「こっちはアングルが流れちゃってる。だから全体に締りがないよ」

「これは背景の事を考えてないでしょう。写真は一枚が完成品だから、主題だけじゃ商売物にならないよ」


 そうそうオフィス加納では連写を好みません。動くものなら有用と思うのですが、


「とにかくツバサ先生が嫌いでね。でもアカネもわかるところがある。連写ってどんなに高速でも間があるじゃない。そこがベスト・ショットとして抜ける時は抜けちゃうんだ。だからアカネもあんまり使わない。一発で撃ち抜いたらイイだけだし」


 高速連写の間のベスト・ショットを狙うと聞いて驚きましたが、たしかにアカネ先生は出来ています。いやツバサ先生だって、サトル先生だって、マドカ先生だってそうです。これがオフィス加納の求めてる水準なのです。


「タケシ、プロの写真とは売れる写真だよ。それが撮れるだけのテクは既にタケシにあるんだ。プロになれるかどうかは、そのテクを自在に駆使して、自分が描く世界を撮れることだよ。これが出来るか、どうかですべてが決まる」


 ボクの撮りたいもの、撮って見せたいものってなんだろう。これを大会までに見つけ出さないと。

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