第67話 理不尽に抗う強さを

 曇天の合間から燃えるような夕暮れが覗いていた。村人達によって葬送の儀の準備が進められ、木立の下でその様子を眺める柚希に玲士朗が声を掛けた。


「涼風が心配してたぞ、夕飯全然食べなかったって。お前が空腹で倒れたら困る」


 差し出されたスープとパンを見て、柚希の表情が一瞬、強張ったが、玲士朗は気付かなかった。


「ありがとう。でも、私だって食欲がないことくらいあるよ? 意外に繊細だし」


「意外に、な。よく知ってるよ」


 玲士朗は柚希の隣に腰掛ける。


「あ、そっか。玲士朗には前に一度、泣き顔見られてるのか」


「あれは衝撃的だった。好きな人に『私はあなたと血が繋がってるの』と言われたくらい頭が真っ白になった」


「言われたことあるの?」


「まだない」


 二人の間に沈黙が流れる。耐えきれず、玲士朗は頭を掻いた。


「すまん、場を和まそうとしたジョークだ」


「あはは。あの時はさ、玲士朗、何も面白いこと言ってくれなかったな」


「俺はピエロを心懸けているけど、不謹慎じゃないから」


「元気付けて欲しかったのに」


「悪かったな」


「ウソウソ。そばにいてくれて嬉しかったよ。心細かったし、寂しかったから。大好きな人が急にいなくなっちゃうのは、ホント、辛いよね」


 二人が思い起こしているのは、十年前の冬、珍しく大雪になった日のことだ。数日前に柚希の祖母が亡くなっていた。葬儀の後、玲士朗は近所の神社で独り泣きじゃくる柚希を見つけた。いつも笑顔を絶やさない柚希が初めて見せた涙、慟哭。それを目の当たりにした幼い玲士朗はあまりの衝撃に何も言葉をかけることが出来ず、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。


 降りしきる雪によって白く染め上げられ、雑踏の音すら響いてこない静謐な境内は、まるで死後の世界の表出のようだと玲士朗は感じた。どこまでも美しく、変化せず、感情の起伏がない境地。そんな世界に柚希が取り残されないように、玲士朗は彼女の背中を見つめ続けた。絶対に柚希を見失うまい、竹馬ナイン達との日常に連れ帰るのだという静かな決意と共に。


「ねぇ玲士朗、私達、みんなで一緒に元の世界に帰れるよね?」


 玲士朗は、当時の自分に立ち返った気がした。


「当たり前だ。梢だって目を覚ます。左腕だって元に戻る。剣と魔法の異世界なら、それくらいの方法、あって当然だろ? それを探しに行くんだ」


「……そうだね。それにメーネのことも、テルマテルの人達のことも助けたいし」


 柚希の言葉には、静かな熱意が感じられた。メーネの語った霊廟のマリスティアの正体と、彼女が救世に懸ける思いを知って、柚希はさらにメーネの力になりたいと感じたようだ。


 テルマテルに降臨した救世主アルテミシアは、蛇神バラルを討滅した。役目を終えた彼女は、またいつかやってくるかもしれない災厄に備え、その強大な力を二つに分割して人の世を守護する力として遺す。それが転生者メーネと剣臣の力であった。


 期せずしてバラルが復活し、メーネと時の剣臣達はこれを討滅したが、完全に消滅させる事は叶わなかったため、現世にバラルを繋ぎ止め、封じる楔が必要だった。それが歴代のメーネ達であり、言わば人柱として彼女達自身がバラルを取り込み、マリスティアと化したのが霊廟に住まう中枢種の真実だった。以降、世界救済の度に歴代のメーネはバラルの力をその身に宿すという形で封じ、完全な討滅のために、魔物に身を堕としてまでも、次代の救世主へ力と知恵を継承するために存在し続けている。その悲劇に終止符を打つこともメーネの使命――いや、悲願であった。


 竹馬ナイン達は皆、動揺していた。救世主の成れの果て、かつてメーネだったマリスティアと戦わねばならない運命の残酷さや侫悪ねいあくさに忌まわしさすら感じていた。だが、だからこそ、他の誰でもない目の前のメーネの力になりたいと思う気持ちは全員同じだと玲士朗は確信していた。竹馬ナインにとっての救世主メーネは、存在の起源を同じくする属性でも記号でもなく、異世界テルマテルで初めて出会った、たった一人の少女に他ならないのだから。


 率直な柚希の言葉に、玲士朗ははにかむ。


「お人好しの柚希らしいな」


「そうかな? でも、私のお人好しは、誰かのためじゃなくて、自分のためなんだよ」


「自分のため?」


「おばあちゃんが死んじゃった時もそうだった。大切な誰かと離れ離れになると、悲しくて寂しくて、世界から消えてなくなりたいって思っちゃう。自分が自分でいることが辛くて、逃げ出そうとして……たぶん、今も同じかな。梢があんなことになって、また誰かが私の側からいなくなっちゃうかもしれないって思うと、たまらなく怖い。だから、誰もいなくなってほしくないから、自分のために誰かを助けるんだ。すごく自分勝手だよね」


「……自分が自分でなくなるって、そういうことか」


 ネフェの葬送の儀で見せた柚希の取り乱し様が蘇る。常に他人のことを考えられる人は、それだけ自分が弱いことを知っているということかもしれない。


 人に限らず、生物は結局、自分が一番大切で、どれだけ取り繕っても、他者のために行うことは、自分が心地よいから、自分に利益があるからやることなのだ。それは我欲を封じ、公共のために命を捧げる聖人君子も同じ。そうでなければ、人は精子の段階から既に争ったりしない。生まれたときから自分本位で、快や不快といった本能も自己中心的だからこそ、人としての理性や博愛精神が尊ばれてきた。意識では抑えつけられない生命衝動や生存本能に共存という方向性を与えて、他者の喜びを自分の喜びとして感じる精神構造も確立した。だから。


「自分のためでいい。俺だってそうだ。それで誰かの助けになれるなら、理由なんてなんでもいいんだ。情けは人の為ならず、やらない善よりやる偽善って、よく言うだろ?」


「かもね。でも、繊細なんだよ、私」


「二回も言うなよ」


「大事なことだからね」


「……ホント、お前はどこにいても変わらなくて安心するよ」


 皮肉を込めたつもりだったが、柚希が照れ笑いを見せたものだから、玲士朗は肩透かしを食らって苦笑した。


「……俺も、ちょっと話していいか」


「うん? 悩み事?」


「悩みってほどじゃないんだけど……イゾレさんに言われた言葉が気になってるんだ。俺達は諦めているって。正直、ドキッとしたよ。

 考えてみれば、生まれた時から不景気だったし、ありがたいことに平和だからこそ日常は変わり映えしなくて、大人達の語る将来や社会は嘘とか矛盾とかばっかりで、それを知らない振りして飲み込んで……どれだけ自分が変わろうとしても世の中は変わらないから、いろいろなものを諦める癖がついていたかもしれない」


「諦める癖、かぁ。そういえば、いつの間にか『頑張る』って言葉も、昔ほど、好意的に受け入れられなくなったよね。無理をすることは必ずしも良いことばかりじゃないって世の中が思い始めたっていうか」


「期待するから裏切られる。自分にも他人にも未来にも。成熟して、枠組みがきっちり固まっている社会だからこそ、最初から期待しないようになるのは自然なことだと思う」


「寂しい生き方だよね。私達、無意識にそう生きてたのかな……」


「なんにせよ、こうして違和感を持てたのは、きっと、テルマテルに来たおかげなんだ。命の危険と隣り合わせの世界は、ままならないことも多いけど、だからこそ、みんな本当に頑張って生きている。諦めずに、抗っている」


「そうだね。メーネも悲しい結末を変えようと頑張ってる」


「だからって言うのは理由になってないかもしれないけど、俺も、頑張ってみようと思うんだ。理不尽に怒って、立ち向かって、抗って、決められた結末を変えていきたい」


 精悍な顔つきを見せる玲士朗を、柚希は頼もしさと共に見つめた。


「そっか……うん、なら、私も頑張る。腹が減ってはなんとやら、まずはしっかり食べることからだね」


「よく言った腹ペコヒロイン。おかわりもたくさん用意してあるらしいぞ」


 そこまで食いしん坊じゃない、と柚希はむくれた。 

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