第50話 中休み

 剣臣達は誰もが言葉を失っていた。救世主と剣臣が必ずしも順風満帆にバラル神を討滅できるわけではないのだという実証が提示され、それぞれが戦うことに改めて恐怖を感じ、不安を抱き、疑念を持った。当初の目的だった元の世界へ戻るための手掛かりも見出せず、暗澹たる気持ちが彼らの意欲を挫き、蝕んでいた。


 張り詰めた緊張の糸をほぐすかのように、颯磨は間の抜けた欠伸を見せ、大きく伸びをした。


「頭を使うと急に眠くなるなぁ。ここいらで休憩にしようか」


 鬱屈とした雰囲気を誰もが払拭したいと考えていた。颯磨の提案を容れて、めいめい一息を入れる。


 生真面目な様子で知り得た情報をメモしていた悟志に颯磨が声を掛けた。


「悟志、セレン信仰会のこと、どう思ってる?」


「え、いきなりどうしたの?」


「概説書が信仰会発行のものだって聞いて、何か引っかかってたじゃん。ちょっと気になって」


「……信仰会そのものに対して悪いイメージを持っているわけじゃないんだ。どの年代のどの国でも、歴史書は時の権力者の都合の良いように書かれているものだから、祝捷歌群っていうのも、発行元のセレン信仰会に不利益な書き振りはしないはず。だとしたら、その内容を全て鵜呑みにしないように気を付けなきゃって思ってさ」


「テオやロザリーが話してくれた救世伝説は、出鱈目ってこと?」


「いや、まったくの作り話ではないと思う。でも事実を元にした脚色も潤色もあるだろうし、憶測や願望もあるかもしれない。都合の悪いことをあえて書き残さないようにしている可能性もある。いくら忘れてしまうとはいえ、歴代剣臣の半生が全く記録にないっていうのも不自然だし、信仰会の検閲が入っていない市井の伝承とか言い伝えとかには手掛かりが残されているかもしれない。もっと多くのことを見て、聞いて、判断の材料を揃えないと、事実には辿り着けないと思うんだ」


「……長い付き合いだけど、初めて悟志が頼もしく見える」


「酷いな」


 悟志は苦笑した。颯磨も微笑を見せたが、視線は下方を漂わせる。


「悟志大先生に意見を聞きたかったことがあるんだけど、いい?」


「改まって何さ?」


無憂の天蓋ペール・ヴェールの下では、みんな死んだ人達の記憶を忘れる。けど、俺達はネフェのことを忘れていない。それって、俺達には無憂の天蓋ペール・ヴェールの影響がないってことになるよね?」


 悟志は首肯した。颯磨は珍しく微かに弱気な印象を与える様子で続ける。


「やっぱそうだよね……でも俺、つい先月の箱根旅行の記憶も思い出せないところがあってさ」


「嗚呼、不安になるよね。僕も同じことを考えたよ。もしかしたら、無憂の天蓋ペール・ヴェールの所為で思い出せなくなっているんじゃないかって……。でも、記憶はどんどん新しい記憶に埋もれて行って、思い出すことが難しくなるものだから、そこまで深刻に考えなくても大丈夫じゃないかな。僕も先月の旅行の全部を思い出せって言われても、怪しいところが多いから」


「……そんなもんか」


 颯磨は椅子に深くもたれ、天を仰いだ。疑念は消えず、彼の胸中に微かな違和感を残し続けた。




「テオ、お疲れ様。エーリッヒもいろいろ準備してくれてありがとう」


 美兎の労いに、アミューネ村の少年二人は恐縮した。


「いえ、俺は特に何も……テオのおかげで、皆さんのお役に立てただけです」


 人前で褒められる面映ゆさにテオは顔を赤らめる。美兎は朗らかに笑いかける。


「テオは本当に物知りだよね。すごく勉強になったよ」


「いえ、滅相もない。歴史に関する本を読むのが好きなので、少し詳しい程度で……」


「少しなんてものじゃないですよ。テオは開村以来の秀才で、ルクサディア地方の代表として帝都の大学予科に入ることも決まっているんです。将来は学士になって、大学の研究室に勤めたいんだろ?」


「エ、エーリ! 僕のことはもういいから!」


 小恥ずかしさに耐えかねて、テオはエーリッヒを制止する。その仲睦まじいやり取りを見て、美兎は相好を崩した。


「二人は本当に仲良しなんだね」


「テオとは小さい頃から一緒だったので……」


 エーリッヒは遠い記憶に思いを馳せるように眼を細める。


「俺は、この先も一緒に歳を取って、お互いこの村で結婚して子どもを育てて、そういう人生を歩んでいくんだろうなって漠然と感じていたんです。でも、テオが大学に入るために村を出るって聞いたときに、嗚呼、俺なんかと違って、本当に凄い奴なんだなぁって思って……俺はまだ、やりたいことが分からないから」


「私からすれば、やりたい事を見つけたテオも、テオを素直に尊敬できるエーリッヒもすごいなって思うよ。自分の出来ること、やりたいこと、やるべきことについて考えたり、悩んだりすることって、簡単な事じゃ無いから。私なんか、そういうことにこれまで無頓着だったもん」


「み、ミトさんがですか? 信じられません」


 心底驚くエーリッヒに対して、美兎は苦笑するしかなかった。


「私もね、将来について悩むことも考えることも、まだまだ先だって思い込んでたんだ。それが許される時間でもあった。でも、テルマテルにやってきて、自分が剣臣っていう大役を担わないといけないって知って、急に不安になった。今は、流されるままに右往左往してるだけ。それじゃいけないってことは分かってるんだけど、流れに逆らうだけの意志もまだ持てないんだ。

 ……みんなが期待している剣臣なのに、こんな調子じゃ不安になるよね?」


 自嘲染みた笑みを浮かべる美兎に、テオがおずおずと話しかける。


「あの……僕は、ミトさんが剣臣で良かったって思います。同じように考えて、同じように感じてくれることが嬉しいから」

 

 エーリッヒもテオの後に続く。


「皆さんの役に立てるように、俺も出来ることをやりたい。今、そう思いました」


 アミューネ村の少年達の屈託ない笑顔に、美兎は戸惑っていた。救世の英雄というものは、民衆が憧憬し、称賛し、尊崇する天稟てんぴんに恵まれた者で、感情に惑わされることなく、確固たる意志で事を成す、そうでなくてはならない存在なのだと信じていた。


 しかし、その英雄像は思い込みだったかもしれないと気付く。繰り返される救世伝説によって人々は希望と絶望を抱えるに至り、生きることの矛盾や両儀性を突き付けられた。それでも人は生きることを放棄しない。ならば人々が希ったのは、一方的に世界を救うという天命の奴隷や意志のない御使いではなく、自分達に共感し、悲しみや苦しみを共有し、明日を生きる意志をこの世界に向けて代弁する象徴ではないだろうか。救世主や剣臣の存在を通して、人々もまた、過酷な運命に抗い続けているのではないか。


(……みんな、精一杯生きているんだ。その力強さに、頼もしさに、私は勇気づけられてる。救われる側が弱い人達だなんて、思い上がりだった)


 忸怩たる思いを抱いた代わりに、気負った重荷が少し軽くなるのを美兎は感じた。剣臣が人知を超えた人ならざる存在ではなく、感じる心を持った一人の人間として、テルマテルの人々とともに生きることが許されるのなら……。


(そういう存在に、私はなりたい)

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