第48話 救世の歴史①
美兎に連れられてきたエーリッヒとテオも、集会所の内装の劇的な変化に驚いていた。俄かに再現された異世界の一風景を目の当たりにした当惑以上に、テルマテルの歴史を剣臣達に教授するという大役への緊張の色がありありと見受けられるテオは、おずおずとしながらも教壇に立った。エーリッヒはテオを鼓舞するように軽く肩を叩いてから、最前列の席に腰掛けた。
教卓に古びた分厚い書物が広げられると、物珍しそうに眺めていた悟志がテオに尋ねる。
「それは村の記録?」
「いえ、セレン信仰会が頒布している
「信仰会……」
悟志は眉間に皺を寄せた。その様子を気に掛けた幼馴染達が視線を集中させる。
「ご、ごめん。何でもないんだ。続けてくれるかな?」
テオは咳払いをしてから、テルマテルに伝わる救世主伝説を読み上げる。
「『かつてテルマテルは、七度に及ぶ滅亡の危機に見舞われた。そしてその都度、救世主とその従者達によって破滅を
救世の聖なる力は異界より降臨する。『
同胞よ、絶望するなかれ。祈り、希うべし。救いは常に我らと共にある』」
颯磨はすっくと手を挙げた。
「先生、序盤からさっぱりだ。訊いていい?」
「ど、どうぞ」
「二つあるんだけど、まず一つ目は、『真世界』について教えてほしいな」
「『真世界』とは魂の住まう異界のことで、私達の魂は異界の門である月を通っていずれ帰るとも言われているのですが……アルテミシア様もメーネ様も、その『真世界』そのものの意志によって救世主たる御力を授けられて地上に降臨されたと伝えられています」
「メーネも、私達と同じ――」
涼風は微かに表情を曇らせた。
自ら望んで世界線を超えた訳ではない高校生達にとって、異世界転移はどんなものであれ好意的に受け止めることはできなかった。これまでの日常を唐突に奪い、過酷な運命を強要し、重すぎる使命を背負わせる“世界”とやらの理不尽さに、メーネも苦しめられているのではないか。救世主と剣臣が主従ではなく、対等な友人関係を取り結ぶ彼らだからこそ、その苦悩に共感するのだった。
「もう一つ。『御子セレン』ってのは、ひょっとしてセレン信仰のセレン?」
「はい。セレン様はアルテミシア様の養女として常にそのお側におられた御方で、人心を安寧に導くために生涯を捧げられた聖人です。
『セレン信仰』はアルテミシア様の御事蹟を通し、人類が一丸となって蛇神バラルという脅威を退けた事実を広く伝承するセレン様の御活動が始まりとされていますが、御存知のとおりバラル神は何度も復活し、その眷属たるマリスティアも人々を襲い続けていました。バラル神もマリスティアも人の負の感情を介して現界することから、後世になって組織されたセレン信仰会がセレン様の教えとともに、
悟志は顎に手を添えて、誰にも聞こえないように独り言を呟く。
「人心の安定と求心力の確保に、民間に広まっている教えは都合がいい……。人の暮らしと歴史の流れ自体は僕達の世界と大して変わらないってことか」
テオが次頁を繰る。
「では次に、これまでの七度に渡る救世伝説が、それぞれ後世に遺した影響を象徴する一節で伝えられていますので、お話しさせていただきます。
『一度目の救済は平和を齎した。
二度目の救済が伝説を生んだ。
三度目の救済で歴史を創った。
四度目の救済は未来を示した。
五度目の救済で運命が変わった。
六度目の救済は苦痛を伴った。
七度目の救済で新約を得た。』」
語られる伝説に、若き剣臣達はそれぞれ思いを馳せずにはいられない。自分達と同じ境遇にあった異世界からの来訪神は、一体どのような気持ちで世界救済の人柱となったのか、と。
悠久の歴史の遠大さに圧倒されるように颯磨は唸った。
「また難解な言い回しだけど、とりあえず分かっているのは、これまで七度、テルマテルは救われているってこと。そして、俺達が八度目の救世伝説を打ち立てなきゃいけないってことなんだよね」
「順を追って説明させていただきます。一度目の救済は今から約二千年前、救世主アルテミシア様が降臨され、人類――霊長の八種族は一致団結して蛇神バラルを討ち滅ぼしたとされています。人類は平和の象徴として、『
若き剣臣達は皆一様に首を傾げた。
「アルテミシア様とともにバラル神を討滅した英雄の一人マウソロス大帝が初代皇帝として治めた、あらゆる種族が共存共栄した広汎な大帝国のことです。人類守護の偉業と、その後の安定と繁栄の治世は人々の崇敬を集め、マウソロス大帝は後に人類世界の王――『
テオは背後の黒板に粗末な紙に記された大きい地図を貼り出そうとする。上背が足りない彼は、エーリッヒの力を借りてなんとか掲示することができた。
「晨明帝国はこの中央大陸一円を支配する大帝国でした。現在では三分の一ほどの国土ですが、それでもその版図はテルマテル随一です。このアミューネ村もアーデンの森も帝国領の西端付近に位置しています」
ロザリーがテオの説明に捕捉する。
「ちなみに、アーデンの森とアミューネ村がある地域一帯は、救世の功績として姉さまのお父様が領有を許された土地だったから、今でも自治が認められているの」
「じゃあアーデンの森も、アニーさんのお父さんが?」
美兎の問いにシエラが答える。
「いえ、姉さまのお母様が初代主宰者だったらしいですから、夫婦で協力してこの土地を治めていたんだと思います。アーデンの森は故郷を追われたり、帰れなかったりした人達の居場所を作るための生活圏ですから、私達みたいな流れ者を受け入れるには領主の許可が必要になる。そのための土地の自治ではないかと」
「それって――」
涼風は躊躇った末、苦しげに言葉を飲み込んだ。幸い、彼女の小さな呟きを聞き咎める者はいなかった。
(バラルを倒した後も、アニーさんのお父さんはここに――テルマテルに残っていた。それって、テルマテルを救っても、元の世界に戻れるわけじゃないってことになる……)
心のどこかで感じながら、気づくまいと努めていた一つの可能性。茫漠さは真実味という服を着てその存在感を着実に際立たせていた。もう二度と、元の世界には戻れないのではないかという不安。
剣臣としての使命を果たしても元の世界に戻れないのだとしたら、自分達が戦う意味とは? 涼風は自問せずにはいられない。
存亡の岐路に立つテルマテルの人々に無関心でいられるほど彼女は非情ではない。知ってしまったからこそ、出会ってしまったからこそ、助けたい、役に立ちたいと思う気持ちは尚強くなった。自分達にしか成し遂げられないことならば、力を尽くしたいとも思う。
(でも……)
自分の身を投げ出してまで、使命に殉ずる覚悟は持てない。ここが異世界で、彼女が戻るべき日常は別の
(テルマテルの人達は忘れてしまう。ネフェやアニーさんのお父さんと同じように、きっと私達のことも、一夜明ければ全部……それが、すごく怖いことなんだって、分かってしまったから)
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