第46話 死闘の果てに

「いやぁぁぁぁぁぁ――――――!!」


 凄惨な光景にショックを受け、半狂乱となった柚希の悲鳴が響き渡る。


 激痛に耐えながら歯を食いしばり、梢は銃剣の柄を回転させて漆黒の剣をスピッツベルゲンの胸部に突き立てた。


 急所を突かれたスピッツベルゲンもまた痛みに耐えるように身体を大きく震わせ、梢を瀕死の状態へ追い込もうと彼女の左腕を喰い千切る。


 一際、痛ましい梢の絶叫が轟く。許容量を超えた激痛のショックで梢の人体としての機能は誤作動を来していた。思考は壊れてノイズが走り、視界は明滅し、鼓膜は音を拾わなくなっていた。身体は大きく震え、悪寒に吐き気を催しながら喘ぐ。


 だがそれでも、彼女は意識を失うことはなかった。まだやるべきことがあると、強靭な意思がかろうじて梢の意識と精神を繋ぎ止めていた。よろけた身体を地面に縫いつけるように踏ん張り、梢の両眼が不気味な鮮やかさを伴って紅に染まり切る。


 その眼光は具現鋳造を行使する代償の表れだった。生み出された武器を以て闘争本能の赴くまま敵と戦い、屠り、殺戮しようとする意志の反復は、暴力とは無縁だった心を徐々に蝕み、変質させていく。他人の痛みや苦しみを感じ取る心を麻痺させて、振るう者自身も『戦うためだけの武器』に変貌させていってしまう副作用。剣臣は人理を超越した強大な戦闘能力を有するが故に、その力の代償もまた甚大なものだった。人という存在の輪郭を“破界”してしまうほどに。


 満身創痍の剣臣と中枢種は、自らに致命傷を負わせた相手を憎悪も露な双眸で睨み合う。スピッツベルゲンは梢の華奢な身体に再び牙を突き立てようとし、対する梢も、今度こそスピッツベルゲンの核を破壊しようと剣を刺突の構えで突き出した。


 両者相討ち覚悟の決死の一撃。スピッツベルゲンの獰悪な牙が梢の肩口から胸にかけて深々と突き刺さり、梢は気管から上った血を吐き出す。と同時に、スピッツベルゲンの胸部中央にも、梢の銃剣が深々と突き刺さっていた。


 スピッツベルゲンの牙から言語情報の呪詛が濁流のように梢の身体に雪崩れ込む。心を侵し、蹂躙する猛毒が彼女を蝕んでいた。それでも梢は意識を失わない。人一人の自我など容易く圧殺する呪いの奔流の中で、微かに柔らかな光を放つレニの笑顔が、彼女の心を支えていたからだ。


(レニさん、分かっているんです。母のことは私がよく知っている。私が無事に戻ること以外に、あの人は何も望まない。でも、だからこそ、私はあの大好きな人の娘として、誰にも恥じない生き方を貫きたいんです。レニさんの娘さんも、きっと私と同じ気持ちを持ったと思う)


 梢は銃剣を力強く握り直し、スピッツベルゲンを睥睨した。


(胸を張って、母の胸に抱かれたい。そう思うからこそ、私は命を懸けられる。友達のためじゃないんです。見ず知らずの異世界のためでもない。他でもない自分のために、命を懸けるんです。私が、美南海梢として生きていくために――)


「だから! アンタなんかにみんなを殺させない! 私達は全員で一緒に、帰るんだからぁぁぁぁ!」


 梢は悲痛な雄叫びとともに銃剣を渾身の力で押し込み、スピッツベルゲンの核を砕き割った。スピッツベルゲンは梢に組み付いたまま活動を停止し、体内から燃え盛る紫炎に包まれる。


 最後の力を振り絞って、スピッツベルゲンは壊れた機械のような動きで梢を正面から見据え、か細く、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「……『哀れな鹿よ、お前の残す遺産は世間の俗物共と同じだ。有り余る程持っている者になおも与えようというのだからな』」


 まるで何かを暗示するかのように言い残して、スピッツベルゲンは灰となって崩れ落ちていった。シェイクスピアの喜劇『お気に召すまま』の台詞を借りて、お前の犠牲は無駄だと吐き捨てたのだろうと梢は考え、失笑した。


「化け物のクセに、気の利いた侮蔑……」


 梢は穏やかな面持ちで瞳を閉じる。膝から崩れ落ちる彼女の身体を柚希が駆け寄って抱き留めた。肩口から胸にかけて抉られた凄惨な傷口からは止めどなく血が溢れ出て、柚希の衣服を赤黒く染めていく。血と共に温もりを失くしていく梢の身体を強く抱きしめながら、柚希は懸命に梢の意識を呼び戻そうとした。


「梢っ! 梢ぇ……!」


 静まり返った玄室に、柚希の悲痛な叫びが虚しく響く。


「やだよぉ……死なないでよ。一緒に帰ろうよ。みんな、待ってるんだよ。お願いだから、目を開けて、梢……」


 幼子のように柚希は泣きじゃくる。その傍らで、メーネも鷹介も茫然と立ち尽くすことしかできなかった。左腕を失い、身体を引き裂かれた梢の痛ましい姿に言葉を失くし、無慈悲に突き付けられた残酷な現実を受け入れることができない。


 壮絶な戦いの爪痕は、堅牢とは言えない霊廟の内部にも致命的な損傷を与えていた。至る場所の外壁は破壊され、天井を支える柱も傾いでおり、いつ崩壊してもおかしくない状況だった。


 霊廟全体が苦痛に呻くかのような不穏な音が響く。鷹介はいち早く我に返り、沈痛な面持ちのまま頭上を見やった。細かい瓦礫がパラパラと降り注ぎ、もはや霊廟の崩壊は目前だと思われた。だが、玲士朗と詩音は未だ気を失って瓦礫の下敷きになっている。鷹介は焦燥に唇を噛んだ。


「ヨースケ! 何をしておる!」


 必死の思いで思考を駆け巡らせていた鷹介を、聞き覚えのある声が叱咤する。鷹介は驚きと共に玄室の入り口に視線を向けた。


「……マハか!?」


 切迫した面持ちで鷹介に呼びかけたのは、彼が打ち負かした獣人の王女・マハだった。マハは数体の巨大な土塊人形ゴーレムを使役して玄室の崩壊を一時的に食い止めようとする。


「わらわが天井を支えてやる! じゃが長くは保たん! 早う仲間達を救い出せ!」


 状況をすぐには飲み込めずに呆ける鷹介の脇を、信僕騎士団員達が駆け抜ける。凛々しい顔つきの若い女性騎士が団員達に檄を飛ばした。


「時間はないぞ! 一刻も早く剣臣殿をお助けしろ!」


 二メートルは優に超える大男を先頭に、信僕騎士団員達は一糸乱れぬ連携で迅速に瓦礫を持ち上げ、玲士朗と詩音を救出していた。二人の無事に安堵しながらも、鷹介は気を緩めることなく、梢を抱く柚希に駆け寄った。


「柚希、ここにいたらみんな死んじまう。メーネは走れそうか?」


 梢を両手で抱えながら、鷹介はメーネに視線を投げた。


「だ、大丈夫です。柚希は私が!」


「頼む」


 傷だらけで血に塗れた梢を改めて間近に見て、鷹介は息を呑む。恥、後悔、後ろめたさ……友人を犠牲にすることでしか生き残れなかった己の無力を情けなく、苛立たしく嘆くことしかできない。鷹介は悔しさに打ち震えながら駆けた。


 その後を追うように、メーネも自責に苛まれる胸中と両掌の痛みに耐えながら、取り乱す柚希を半ば強引に引っ張って霊廟の出口を目指す。しんがりを務める信僕騎士団員達が全員脱出したのを見届けると、マハは神働術を解いて羨道を走り抜けた。


 土塊人形ゴーレムによる支えを失って、霊廟全体が再び不穏な鳴動に包まれる。救世主の聖遺骸を祀っていた玄室は、程なくして瓦礫と土砂に飲み込まれていった。


               


 有史以来、人は戦い続けてきた。


 豊かさを得るため、大義や信念のため、家族、恋人、友人を護るため……。


 悠久の刻の中で、戦い方も戦う相手も変えながら戦史を積み重ねてきた。何かを求め、より高みに到達しようと願い、未来を希求する心を持つ限り、その営みに終わりはないのかもしれない。


 戦うことの先に、望んだ幸福があることを信じて、人は誰かを傷つけ、誰かに傷つけられる愚かさを積み上げる。その愚かさが生み出す犠牲は世界からの問いかけである。人の世の存続、平和、生きることの幸福……美南海梢が命を賭して護ったものに意味を与え、世界からの問いに答えられるのは命ある者だけである。


 人類の敵と戦う使命を課され、果たすべき責務に理由を見出せない高校生達は、仲間の犠牲を以て突きつけられたその問いかけに、まだ答えることはできない。

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