第43話 破界の心働

「行くわ!」


 先陣を切ったのは梢だった。彼女の周囲に紅い光が渦巻いて、具現鋳造の剣が姿を現す。


 その剣は、円環上の持ち手を境に、前方に濃灰色の細長い銃身が伸び、後方に漆黒の刀身が突き出している――遠距離射撃能力も併せ持つ銃剣こそが梢の具現鋳造だった。梢は片膝をついて銃身をスピッツベルゲンに向けると、躊躇いなく引き金を引く。


 銃身が浮き上がるほどの衝撃も、剣臣である梢にはどうということもない。轟音とともに放たれた光の弾丸は、彼女の闘志を凝縮し、具現化した強力な一撃である。弾道を阻む防壁を打ち震わせ、スピッツベルゲンの体躯を大きく揺さぶった。


 梢は豪速の弾丸を打ち込み続ける。その攻撃に呼応して、彼女の後方左右からメーネと玲士朗が飛び出し、獣のごとき迅速さで銃弾から逃れようとするスピッツベルゲンに追いすがる。


 追跡を振り切ろうと、スピッツベルゲンは杭による一斉掃射でメーネを襲う。だがメーネは怯むことなくその全てを光の帯で斬り落とし、肉薄した。勢いそのままに壁面に激突し、轟音に次いで瓦礫と砂埃が辺りを席巻した。


 煙幕の中からスピッツベルゲンとメーネが躍り出る。その動線を予期していた玲士朗が、スピッツベルゲンの背後から斬撃を加えた。防壁に阻まれ、拮抗する凄烈なエネルギーが両者を押し返そうとするが、玲士朗は歯を食いしばって耐え続ける。


 玲士朗とメーネの意図は、スピッツベルゲンを挟撃して行動の自由を阻害することであり、その目論見は図に当たったが、未だスピッツベルゲンの動きを四方から完全に封じるという梢の構想の完成には至っていない。


 そして鷹介が動く。煙幕に乗じて石棺側に大回りした鷹介はスピッツベルゲンの横合いから斬りかかる。玲士朗のそれより重く圧し掛かる剣戟に、スピッツベルゲンは唸りを上げた。鷹介もまた裂帛の気合で剣を防壁に突き立て続けた。


 数メートルの間隔を空けて詩音はこの機を待ち望んでいた。揺るぎない闘志を源として、彼女の剣に眩い光を伴った凄まじいエネルギーが凝集していく。


「破界剣『蹴散らせ封陣』!」


 一瞬の煌めきと共に、振るわれた剣筋から光の波濤が生み出され、スピッツベルゲン目掛けて奔る。メーネ、玲士朗、鷹介は阿吽の呼吸でスピッツベルゲンから距離を取り、猛攻の間隙は、上空に跳躍した梢の銃撃によって埋められる。


 よろめくスピッツベルゲンに光の波濤が激突する。外部干渉を拒絶するという同じ性質を有した防壁は互いに相殺し合い、“友人達を守る”という揺るぎない意志の力で勝る詩音のそれがスピッツベルゲンの防壁を打ち破る。


 背後に鎮座していた石棺を吹き飛ばし、壁面に叩きつけられたスピッツベルゲンの防壁が一時的に無力化される。この機を逃さず、既に距離を詰めていた玲士朗が刀を袈裟斬りに構える。


「破界剣『虚世見』!」


 刀身が黒い光に包まれる。悪しき者を一刀両断する神秘の光芒が、蒼炎にぼんやりと照らし出される玄室を蹂躙しながら、スピッツベルゲンの急所を確実に捉える。誰もが勝利を確信していた。


 だが、期待は裏切られ、希望は欺かれる。かつて救世主と呼ばれたスピッツベルゲンには、剣臣の持つ具現鋳造の力と同じく、摂理も人理も超えて現実に干渉し、因果事象を制御する力が秘められていた。運命という世界運営を一時的に神たる超越者から奪取して、己が望む未来を追記するという、許されざる条理改変。


 耳を劈く叫声とともに、スピッツベルゲンの周囲に赤黒い光の渦が巻き起こる。逆流する滝のように荒々しく天頂へ駆け上る奔流が玲士朗の黒い光芒をせき止めた。


「破界の心働しんどう!?」


 メーネの強張った叫びに、誰もが身体を硬直させる。中枢種のマリスティア最大の脅威として、彼らがメーネから聞き及んでいた固有能力が遂に牙を剥いたからだ。


 個としての存在が、遍く自らに内包する原初虚無との境界面――存在と無を分かつ地平線を召喚する力。破界の心働は世界を呪い、憎み、生きとし生ける命をことごとく無に帰す破壊衝動の発露にして具象である。その禍々しい光の境界面に飲み込まれた命は、個を維持する存在の輪郭を“破界”され、この世のどこにも“いなくなる”。過日、ネフェの命を奪った魔砲が言葉による呪いであるなら、『破界の心働』は意志による災いである。触れた者全ての命を分け隔てなく壊死させる、無垢の厄災。


「玲士朗、離れろ!」


 鷹介の呼びかけは、しかし玲士朗の特攻を止められなかった。彼は決死の形相のまま、スピッツベルゲンの放つ破界の心働に挑み続けた。


「ここで、倒す! 絶対に!」


 玲士朗の瞳が紅に色づき始めていた。その変化に呼応するように、刀から発せられる漆黒の光芒は、その密度も強度も一層高まったように感じられた。


「玲士朗! やめてください!」


 メーネは玲士朗に対して何か得体の知れない危機感を抱いた。早くやめさせなければ、玲士朗が玲士朗でなくなってしまうのではないか……心の奥底がざわつくような不快感に、メーネの表情が苦し気に歪む。


「あのバカ……!」


 鷹介がスピッツベルゲンに向かって疾走する。玲士朗が攻撃を止めないのなら、追撃を加えて一刻も早くスピッツベルゲンを完膚無きまでに無力化するしかない。


「破界剣――『鎌風かまいたち』!」


 身体ごと一回転させた剣に疾風が追随し、鷹介はそのまま渦巻く光の境界面に叩きつけた。激しい突風が鋭利な刃と化して衝突し、境界面切り裂かんと炸裂する。粉塵が一瞬にして空高く舞い上がり、跳ね返される力が颶風となって吹き抜けるほどの威力だった。


 玲士朗と鷹介の渾身の一撃により、破界の心働の拡張は防がれた。凄烈な攻防が三者の間で繰り広げられ、遂に、スピッツベルゲンが纏う存在と無を分かつ事象の境界面は硝子が割れるように砕け散ったが、玲士朗と鷹介の具現鋳造も同様の末路を辿る。


「がぁっ――!」


 破壊された剣の苦悶は所有者にも伝播するのか、身体の内側から襲い掛かる激痛に玲士朗も鷹介も悶絶した。スピッツベルゲンを中心として、相殺され切らなかったエネルギーの奔流が蛇のようにのた打ち回って、周囲に布陣していた玲士朗達五人を凄まじい勢いで吹き飛ばした。


 皆、壁面に強かに打ち付けられ、あまりの衝撃と痛みで意識は明滅して機能不全を起こす。メーネもまた同様だったが、彼女にはさらなる苦痛が襲いかかった。


「っ――――!」


 両手を襲う鋭い痛みに、メーネは声にならない悲鳴を漏らす。赤黒い杭がメーネの両掌を貫通し、彼女を壁に磔にしていた。混じり気一つない白皙に、鮮烈な紅い流れがゆっくりと伝う。


 スピッツベルゲンは苦悶に歪むメーネの顔を覗き込む。聖鳥卵色ロビンズ・エッグ・ブルーの双眸に、蒼白く腐乱した肌と血のように真っ赤に染まった唇が悪夢のように映る。


『何で抗うの?』


 スピッツベルゲンが不気味な声色でメーネに語り掛ける。


『どうせみんな、いなくなるのに』


 メーネは拒絶するように顔を背けた。だが耳障りで、聞くに堪えない呪詛の言葉が鼓膜を侵し続ける。


『人は、救うに値するの?』


 かつての救世主は、今代の救世主に問う。だがその問いは、彼女達自身の存在を真っ向から否定するものだった。かつての救世主は、憎悪と絶望も露に、低く、呻く様に言葉を紡ぐ。


『人は弱い。裏切る。嘘を吐く。憎み、妬み、殺し合う。そんな愚かでくだらない存在のために、貴方は命を捧げるの?』


 スピッツベルゲンの感情がメーネに流れ込む。苦しい、哀しい、寂しい、切ない……人は独りで生まれ、独りで死んでいくのに、何故出逢い、別れ、大切な誰かを失くす絶望を背負わなければならないのか。かつてメーネが体験したであろう辛く痛ましい記憶が蘇り、彼女の身も心も切り刻まれるかのようだった。


 生きることの苦しみ、傷つくことの痛み、死んでいくことの恐怖。魂を壊死させてしまうかのような酷薄な冷たさに、しかしメーネは挫けなかった。左腕の手首に貼られたパステルカラーの絆創膏は血に塗れていたが、心温まる思い出は汚されていない。その心で感じる温かさが、メーネの気持ちを奮い立たせるのだった。


「貴方の気持ちは私には分からない。私は、今ここにこうして存在している彼らに生きていてほしい」


 痛みに耐えながらも、メーネは毅然とした眼差しでスピッツベルゲンを見返した。


「……だって、嬉しかった。傷を労わってくれたことも、痛みに共感してくれたことも。他人の肌に触れて、人の温かみと生きている実感を得た。人には優しさがある。誰かのために流す涙もある。決して、愚かでくだらない存在ではない。私は、みんなを死なせないために、貴方と戦う!」


 メーネの周囲に光の粒子が充満する。無数の粒子は防壁を再構成してスピッツベルゲンを押し戻し、両掌を貫いていた杭は粉々に破壊される。


 スピッツベルゲンは後退しながら、メーネに対して再び杭による猛攻をかける。


「メーネ!」


 柚希の具現鋳造が彼女の意志を体現する。その闘志は虚空を走る雷撃となり、メーネと彼女を襲わんとする無数の杭の間に割り込んで、幅広の大柄な漆黒の剣が顕在化した。剣身は対となる大小八本の剣が組み合わさっており、臨戦態勢を現すかのように、機械音を響かせて剣先を軸に扇形に展開する。


 間髪入れず、八本の剣は中心の大剣から分離して空中に飛び立った。光の粒子の軌跡を残して縦横無尽に駆け巡り、杭の掃射を邀撃する。八本の剣が構築した緻密な防衛網を何とか掻い潜った数本の杭がメーネに迫るも、遠隔から剣を振り下ろす柚希の挙動に呼応した大剣が杭の一団を一刀両断する。


「メーネに、乱暴しないでよ!」


 友人を傷つける敵への怒りが柚希の瞳に宿っていた。返す刀でスピッツベルゲンに対し横薙ぎの一撃を加えんとする。防壁に阻まれて本体に損傷を与える事は叶わなかったが、彼女の怒気は爆発的な威力を生じてスピッツベルゲンを後方に弾き飛ばした。


 柚希はメーネに駆け寄って、血が流れ出し続ける彼女の両掌の傷を見るなり蒼褪めた。生々しい傷跡と鮮血に怯える気持ち、身体を苛む原因不明の悪寒を飲み込んで、柚希はまなじりを決す。スピッツベルゲンを正面から見据える柚希を護るように、八本の剣と大剣が彼女の周りを浮遊する。


「護られてばかりじゃダメだと思うから……私だって竹馬ナインの一員だもん。みんなと一緒に、戦うんだ」

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