第41話 中枢種スピッツベルゲン

「よぉ、待たせて悪かったな」


 三叉路まで戻ってきた鷹介は、思い詰めた様子で集まっていた玲士朗達に向けて、何気ない気軽さで呼びかけた。雪解けのような安堵の表情を浮かべたメーネが駆け寄ってくる。


「お帰りなさいヨースケ。無事で何よりでした」


「ちょっとしたトラブルに見舞われたついでに、迷子達を保護してきたんだが――」


「ブルーナ!」


 年若い夫婦がブルーナに駆け寄った。夢にまで見た娘の無事を確かめるように、涙交じりに強く抱きしめる。ブルーナもまた、両親と再会できた喜びに声を詰まらせながら、迂闊な自分の行動を詫び続けた。


 夫婦はカミルや他の子ども達とも顔見知りだったらしく、行方不明とされていた彼らが、突如全員揃って現れたことに驚きと戸惑いを隠せない様子だった。だが、やがて愛娘との再会に次ぐ二つ目の僥倖を認識するに至ると、歓喜の声を上げる。


 この上ない喜びを分かち合うテルマテルの人々を見て、鷹介は釣られるように小さく笑みを零した。


「なんだ、お前らも取り込み中だったか」


「まぁな。ブルーナ達を探してたんだ」


「八方塞がりだったんだけど、思いがけず解決したわ」


「さすが、鷹介はタダでは転ばないからすごいよね」


 一見してそれと分かりやすいやり取りではないが、玲士朗、詩音、柚希は三者三様の調子で鷹介の帰還を喜んだ。


「俺の受難も、それなりに意味があったってことだな」


 いつの間にか傍にいた梢が大仰な仕草で溜息を吐く。


「ほら、戻ってきたんならさっさと先に進むわよ。遅れた分を取り返さないといけないんだから」


「そうだね! じゃあ、みんなにお別れしないと」


 すぐに興味を失くしたように、いそいそと出発の準備を進め始める幼馴染達に対して、鷹介は多少戸惑いがちに立ち尽くす。


「おいおい、何があったか聞かないのか?」


 梢が鬱陶しそうな表情で振り向いた。


「ピンピンしてるんだし、どうせ大したことじゃないでしょ? 道すがら話せばいいじゃない」


 感心すら示さない幼馴染に、鷹介は一瞬、呆然とした。


 メーネは呆ける鷹介を盗み見て、幾ばくかの懸念を抱いた。竹馬ナインの友情や信頼関係を疑っているわけではないが、一時消息を絶っていた友人に対してあまりに無関心すぎるのではないかと危惧したのだ。


 だが、メーネの憂慮は杞憂に終わる。鷹介にとって見かけだけの言葉など嫌悪の対象でしかない。彼の帰還を信じてここに留まっていたことが玲士朗達の鷹介に対する何よりの信頼の表れだし、無理に詮索しないことが何よりの配慮だった。帰るべき居場所に帰ってきたという実感に、鷹介は目尻を下げた。


「……そうだな、大したことじゃない。今は霊廟に行くのが先決だな」




 切り立った険しい絶壁が荒々しさを印象付けるスピッツベルゲン山群は、急峻な角度でバウティッシュ湖――対岸の湖畔にはアミューネ村が小さく見える――に落ち込んでいる。名の由来でもある刃の如き峰は、澄み渡った青空を切り裂く鋭利さだった。


 その岩山の麓の一つに、黒ずんだ灰色の岩壁を削って作られた霊廟の入口があった。緻密な装飾や優美な列柱で形作られた外観は、悠久の時の流れを感じさせる風化具合も相まって、見る者に畏敬と感銘を抱かせる壮麗さだった。


 しかし、由緒ある美麗な宗教建築の趣を愉しむ余裕は今の玲士朗達にはない。彼らは、少し離れた老木の木陰に身を隠すようにして、霊廟の様子を伺っていた。


「見張りがいるね……」


 柚希は思案顔で呟いた。霊廟の入口に侍立し、守衛するのは信僕騎士団の騎士である。白亜と青碧の取り合わせが美しい制服と、手入れの行き届いた物々しい装備の出で立ちは、一見して清廉な宗教騎士を思わせるに十分な特異さだった。


 詩音が小さく嘆息する。


「アニーさん達の話を聞いちゃったからか、あの騎士団に接触することもちょっと躊躇ためらっちゃうわね」


「けれど、神殿の出入口は一つしかありません」


「なら、行くしかないな。極東の島国から来た巡礼者とでも言えば、俺達の奇抜さも誤魔化せるだろう」


 玲士朗が鷹介に尋ねる。


「やっぱり鷹介も救世主と剣臣一行、とは名乗らない方がいいって?」 


「必要以上に情報を開示する必要もないって思うだけだ。メーネには悪いが、目下、俺達の目的はフィリネさんを助けることであって、世界の救済じゃないからな」


「いえ、私もフィリネさんを助けたい気持ちは同じです。今は無事にアミューネ村に戻ることだけを考えましょう」


 玲士朗達は頷き合い、神殿の入口へと向かう。巡礼路から近づく見慣れぬ格好の集団を認めて、信僕騎士団の一人が訝し気に近づいてきた。


「巡礼者か?」


 先頭を任された玲士朗が答える。


「はい。極東の小さな島国から遥々やって来まして」


「極東? もしや『オーガ』の一族ではあるまいな?」


 玲士朗と対峙する騎士は俄かに語調を強張らせる。『オーガ』という名称を聞きつけて、もう一人の騎士も腰にいた剣の柄に手を掛けながら駆け寄ってきた。


 未だテルマテル世界の内情を知悉ちしつしているわけではない玲士朗は彼らの過剰な反応に当惑したが、騎士達の並々ならない警戒心は敏感に感じ取っていた。努めて平静を装いながら、玲士朗はメーネから教授された霊長の八種族の特徴を思い起こす。


「違います違います。オーガってあの角があって好戦的な種族でしょ? 俺達に角なんてないし、どう見ても平和主義な顔、してるでしょ?」


 人好きのする笑顔に緊張感を乱されて、騎士達は顔を見合わせる。玲士朗の後ろに控えるメーネ達も、皆一様にぎこちない笑顔で無害をアピールしていた。そのチームプレーが功を奏したのか、騎士達に実害はないと判断されたらしく、剣呑な雰囲気は影を潜めつつあった。


「オーガって騎士団に何かやらかしたの?」


 詩音は声を潜めてメーネに尋ねた。


「彼らはゴブリンと同じ『圏外圏』に属する種族で、強者との戦いを求めて各地を行脚あんぎゃする風習があります。信僕騎士団員が標的とされることも多く、彼らにとってゴブリンとは別の意味で脅威なんです」


「道場破りみたいなこと? ならず者その二ってところかしらね」


 突然の悲鳴が霊廟内部から響き渡る。不穏な気配に誰もが身体を硬直させ、色を失くした。霊廟から我先にと逃れ出てくる老若男女の巡礼者達は、蒼褪めた表情で騎士達に縋り寄る。


「ま、マリスティアが中に! 騎士様、お助けを!」


 恐怖に錯乱する巡礼者達に取り囲まれて、騎士達は身動きが取れなかった。玲士朗達は一瞬の戸惑いを見せたが、意を決して騎士達の脇を駆け抜ける。


「お、お前達、待て――!」


 制止の声にも構わず、玲士朗達は霊廟の奥を目指して走る。


 岩壁がむき出しの羨道えんどうは、両側に等間隔で配置される蝋燭の火だけが頼りの薄暗さだった。眼前には足を竦ませる深淵が立ち込め、心の奥底を寒からしめる冷気が身体に纏わりつく。この世ならざる異界へと足を踏み入れていくかのような感覚に誰もが表情を歪めた。


 とりわけメーネと柚希の変調は深刻で、玲士朗は堪らず声を掛けた。


「大丈夫か、二人とも」


 メーネも柚希も顔面は蒼白で、苦し気な呼吸を見せていた。得体の知れない不可視の何かに脅かされている印象である。


「私はちょっと寒いだけだから平気。メーネは?」


「問題ありません……マリスティアの気配が近い。皆さん、気を付けてください」


 程なくして荘厳な装飾が施された鉄扉が暗闇の中から浮かび上がる。恐らくテルマテルの救世主伝説を図示したであろう壁画が刻み込まれた鉄扉を押し開けると、中央奥に石棺が安置された玄室げんしつへと辿り着く。一際広く、天上も高い空間は、わずかに蒼みがかった銀白色の炎の灯りに彩られており、その幻想的な光景に玲士朗達は息を呑んだ。


「何だろう……綺麗なんだけど、落ち着かないわ。まるで鬼火じゃない」


 詩音の率直な感想に、メーネは周囲を警戒しながら答える。


無憂の天蓋ペール・ヴェールの光を再現した特殊な蝋燭です。玄室と外界を隔てる結界の意味合いもあり――!?」


 メーネは倉皇そうこうとして玄室の奥に目を凝らす。彼女の視線の先には石棺が鎮座しており、その手前に、漆黒のローブに身を包んだ何者かが跪いていた。祈りを捧げる姿は敬虔さと神々しさを幻視させたが、周囲に広がる血溜まりと、巨大な針か何かで身体を貫かれた無残な死体の数々が、その聖らかさを汚し切っていた。


 巡礼者は漏れなく全員、霊廟の外に退避している。まだ残っている者がいるとすれば、それは『中枢種』と呼ばれるマリスティアの上位個体に違いない。再び相まみえる無慈悲な殺戮者に、玲士朗達は静かな戦慄を覚えていた。


 漆黒のローブの何者かは優美な所作で立ち上がり、艶やかな笑い声を漏らす。


「来てくれたのね、みんな。嬉しい」


 美しく、柔らかな女性の声音だった。振り返ったその姿は、フードも目深に被っているせいで口元しか判別できなかったが、血のように鮮やかな紅い唇は、弓なりの曲線を描いて喜色を露にしていた。


「嬉しい……うれしい……ウレ、シィィィィぃ――」


 聞き心地の良い鶯舌は、やがて耳障りな異音へと変貌していく。漆黒のローブと見紛う奇怪な文様の集合体は、まるで意志を持つかのように蠕動し、女の体躯を覆い尽くすに留まらず、周囲を侵食して、黒衣のドレスの如く形状を変えていく。


 中枢種は、頬まで裂けた口から鋭利な牙を覗かせ、もはや理性の欠片すら感じさせない凶悪な咆哮を上げて周囲を震撼させる。死闘を繰り広げた優占種のマリスティアと同じ禍々しさ――否、それ以上の邪悪さを纏い、強烈な殺意を撒き散らす敵に、玲士朗達はこれまでにない脅威と恐怖を感じざるを得ない。足は竦み、両の手は震え、心胆は縮み上がるばかりだった。


 メーネは虚ろな眼差しで中枢種に相対する。その瞳に恐怖はなく、焦燥もなく、まるで予期していたかのように、静かな絶望に陥っていた。


「嗚呼……かつての私。貴方はここで、ずっと待っていたのですね」


 梢はメーネの呟きを聞き咎めた。


「何言ってんのよ! あれはマリスティアでしょ!?」


「そうです。あれが中枢種スピッツベルゲンと呼ばれる個体です。そして、二百年前に世界を救ったかつての私でもある」


「嘘でしょ……何でマリスティアに……」


 梢だけでなく、誰もが静かな衝撃に打ちのめされる中、鷹介の叫びが玄室に響く。


「気を付けろ、来るぞ――!」

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