三章6 『忌まわしき記憶』
ノゾムは一歩踏み出す。その先が死地だということを知っているはずなのに、躊躇なく。
忍はノゾムの動きと合わせて、腰に手を回す。何か飛び道具を隠してあるのだろう。
僕はノゾムを止めることができず、かといってプログラムデータで彼女を支援するにも、忍に睨まれて動くことができない。少しでも怪しい所作を見せれば、その瞬間に攻撃が飛んでくる。命の危険が無いにしても、しばらく動くことはできない。僕は歯がゆい思いでノゾムの背中を見送ることしかできなかった。
その時、どこからか何かが壊れるような重低音が響いてきた。僕には音の方角からその正体がすぐに分かった。音源は僕等のすぐ近くのなだらかな崖の上から。さっきの揺れが原因で土砂崩れが起きたに違いない。
しかし信長達はすぐにはその答えに行きつかなかったらしく、反射的に音の方へと振り返ってしまう。それが彼女等に一瞬の隙を作った。
僕は瞬時にプログラムデータのしるしに触れて叫んだ。
「限界突破!」
忍は慌てて手裏剣を僕目掛けて放ったが、もう遅い。とっくにノゾムの能力は限界を越えた。
手裏剣の形状はアニメとかでよく見るような風車状のものだった。それが僕の左胸に突き刺さる。焼けるような感触がその一点に集まり、体中の体温が急激に小さな鉄の塊に吸い取られていく。
「I……っ!」
振り返ろうとするノゾムに僕は鋭く声を飛ばす。
「いいから走れ!」
ノゾムは立ち止まることなく、信長との距離を縮めていく。
残像すら残る、神速の疾走。忍は僕に気を取られたせいで、彼女の進行を防ぐことができなかった。無論、そこらの雑兵共では話にならない。
レアリティがNでも、ノゾムはスピード特化型。限界突破によって引き上げられた走力はバカにならない。対して信長はパワー特化型。その一撃は強力だが、食らわなければ問題ない。初手で決着を付けることができれば、勝てる……!
信長は火縄銃を諦めて空高くへ投げ、腰の真剣を抜く。呑気に狙いを定めることはもうできない、驚異はすぐ目の前まで迫ってきているのだから。
ノゾムは木刀を上段まで振り上げた。もしも相手が一瞬でも速く行動を起こしたら、その時点でノゾムの胴は真っ二つ。しかしそれでも、ノゾムには大ぶりの技しか選択肢にない。ただの木刀を使って一撃で決着をつけるには、破壊力のある大技に掛けるしかないのだ。
二人は同時に剣を振る――おうとした。
しかし寸前で、一発の発砲音が戦場に響いた。
それは信長が空に放った一丁の火縄銃が発した音だった。
どのようなことが起きたかは不明だが、すでに装填済みだった弾丸が偶然暴発したのだ。
火縄銃の銃口は眠へ向いていた。ゆえに弾丸は眠へと襲い掛かる。
「冬姫(ふゆき)いいいいいいッ!」
信長の悲鳴が響く。必死に自分の主へ手を伸ばすが、信長と彼女の距離はゆうに十メートルは離れている。忍も彼女に向かって駆け出そうとしたが、直線状にある木々が邪魔をする。
「……信長、いつも言ってるでしょ。ゲームの中では本名を言うなってさー……」
弾丸は真っ直ぐに彼女の眉間目掛けて直進する。射線上には雨粒以外に障害物は無く、その雫も射線をずらすほどの強さは持たない。
そしてそれは信長に決定的な隙を生み出した。視線がノゾムから逸れ、彼女は武器を手離してしまっていた。
またとない好機。
しかしノゾムは彼女の横を抜け、弾丸を追う。
「な、何をやってるんだ、あいつは……!」
あれじゃ信長に止めを刺す好機を逃すだけでなく、敵に背を向けることになる……!
ノゾムは勢い緩めず、弾丸との距離を冷静に見定めつつ木刀を振り下ろす。刀は中空を一文字に切り裂き、軽快な音を響かせる。その音の中に、何か硬質な物体がひしゃげるようなものが混じった。
全ての者が動きを止め、音が失われる。
静寂。
誰もが今、目の前で起こったことをにわかに信じられなかった。ただ茫然と、抜刀した姿のまま固まっているノゾムを眺めていた。
最初に我に返ったのは信長だった。彼女は落とした真剣を拾い、柄に掛けた手に力を込めた。
ノゾムは恐る恐る後ろへ振り返る。彼女の目には刀を手にした信長と、怒りで頬をぴくぴくと震わせた僕が映っただろう。
「……お主、正気か?」
信長は開口一番、ノゾムに疑問を呈した。
「えっと……、どういうことですか?」
「分からぬのならば、教えてやろう。お主は家臣として最悪の愚行を行ったのじゃ。敵の将の危機を救い、その代償に自身の命を差し出すという、前代未聞の愚行をな。しかもその危機が別段、命を脅かすものでは無いというおまけつきじゃ。これでもまだ理解できぬか?」
「……いえ、十分に分かりました」
信長はひとまず頷き、そして刀を構えた。如何なる攻撃にも対応し反撃可能な基本にして万能のスタイル、正眼の構え。信長の突きつけてきた刀は全くぶれることなくノゾムを捕らえている。
ノゾムは完全に追い詰められていた。確かに今でも攻撃は可能だ。しかしこの間合いでは隙の大きい大技は使えず、せいぜい小手先の技を繰り出すのが限界。おまけに限界突破の時間も近づいている。いや、それはもう関係ないのかもしれない。土砂の雪崩が、すぐ傍まで迫ってきていた。
「儂は個人的な感情で、お主が許せない。お主は自分の主君を見捨てた、にも拘らず、敵の主君の命は救った。これは立派な裏切りじゃ。儂は敵であれ味方であれ、裏切りが許せん。一度、命まで奪われたからのう」
「……明智光秀さん、ですか」
「そうじゃ。だから、今の行動に感謝はせん。恩を受けたとは思わんぞ。お主は自分の行いを悔いたまま、灰にでもなるがいい」
手裏剣の傷がまだじくじく痛んだ――って、それがなんだ!?
このままノゾムがやられるのを黙って見てるなんて、我慢ならなかった。僕は胸を押さえつつ立ち上がって、ふらつく足で信長に一歩一歩近づいていく。
すぐに雑兵に気付かれ、剣や槍、銃やら弓を突きつけてくる。だけどひるんでなんかいられない。
「動かないで。動けば首を跳ねるわよ」
つまらない脅しをしてくる雑兵に向かって、僕は唾を飛ばした。
「大切な奴が殺されそうなのに、大人しくおねんねなんかしてられっかよ」
ふいに全ての感覚が右太ももに集中し、体の奥から込み上げるような痛みを感じた。視界が揺らいでいたせいで定かではないが、おそらく忍がまた手裏剣を放ったのだろう。激痛が下半身を走り、僕の体は重力に引かれて倒れてしまう。確認してみると太ももを穿ったのは手裏剣じゃなくて小刀だった。まぁ、今の状況じゃどっちでも同じことだ。
立ち上がろうとしたけど、もう足が言うことを聞いてくれない。だけどそんなの関係ない。まだ手が動く。手さえ動けば、まだ前に進める。腕をできるだけ遠くまで伸ばし、地面を掴む。そして力の限り、体を引き付ける。
すぐに僕の背を数えきれないぐらいの苦痛が襲った。それはここが架空の世界だとは思えないほど、一つ一つがリアルな感触をもっていた。どの痛みが何によって持たされたのか、全然分からなかった。
ただのプレイヤーである僕に抵抗なんてできるはずが無く、僕はただ雑兵共の攻撃をされるがままに受け入れるしかない。もう頭の中が真っ白だ、何も考えることができない。それでも、真っ白なキャンバスの中には彼女がいた。
大丈夫だ、これはゲームの世界だ。僕が死ぬことは絶対に無い。だけどノゾムはゲームの世界の住人。彼女にとってゲームの世界こそがリアルなんだ。ここでの敗北は、彼女にとっての死を意味する……。
行かなきゃ、ノゾムの元に。何としてでも、あいつを助けるんだ……!
僕は矢や小刀で剣山のようになった手に力を込め、体を起こしていく。全てが重たい。ダンベルのような腕、岩のような頭、鉛のような足、そして鉄板のような胸を順に持ち上げていく。
「な、なんてこと……!」
「こいつ、化け物よ……!」
なぜか雑兵共が僕から離れていく。
こちらを振り返った信長の目も大きく見開かれ、ノゾムもあんぐりと口を開けている。冬姫なんか尻餅を続いて後ずさっていた。
一体、皆どうしてしまったんだろう? その疑問の答えは、ビジョンのコメントが教えてくれた。
『化け物WWWWWWWWWWWW』
『俺のIたああああああん(>_<)』
『めっちゃ殺気立ってますがなΣ(゚Д゚)』
『あんだけボロボロで立ち上がるとかマジゾンビW』
『弁慶かよ、マジカッケエエエエエエエ!』
『ネカマでもいいぜ! 俺はIたんに付いていく』
好き勝手言ってくれるよな、と僕は思わず苦笑してしまった。
もう、体中の痛みは全く感じなくなっていた。それでも体力はきっちり奪われているようで、相変わらず体はふらつく。それでもどこからか無尽蔵に力が湧いてきた。僕のことを恐れた雑兵共は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。行く手を阻む者はもういない。あとは信長さえどうにかすれば……。
瞬きで目を閉じた瞬間、瞼を何かが貫いた。
「あ、い……。愛ーーーーーーッ!」
ノゾムの胸を裂くような悲鳴が聞こえた。何があったのか確かめたかったが、目が開かなかった。
頬を温かな何かが伝って落ちていく。きっと涙だろう。
そんなことはどうだっていい。それよりノゾムだ。彼女を助けに、いかないと……。
足を踏み出したその瞬間、今度は喉が引き裂かれた感覚があった。ああ、そういえば雑兵だけじゃなくて忍もいたな、と他人事のように考える。
その時、辺りを轟音が包んだ。
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