一章5 『少女の名は』
「Iたん、最後に教えておくでござる。貴君のクリスタルデータを使えば、キャラのステータスを三分間だけ劇的に強化できるでござる。その時間が終わってから十分経てばまた使えるから、覚えておくでござる」
うつろな意識でクリスタルを見てみると、ある一面に灰色の不思議な円いしるしが浮かんでいた。おそらくゲームが始まるとこれに色が付き、押すとキャラをパワーアップできる、そういう仕組みだろう。……それにしても、Iたんとは。本当なら怒るべきなのだろうが怒りの感情はまるで湧かず、ただ肌が凍り付くような恐怖心が体を硬直させた。思わず少女の服の裾をぎゅっと握る。自分が少女を必要としている。それが少し悔しかったけど、少女が傍にいると思うだけで心の底から安心できた。
ビジョンに表示されていたカウントダウンが一分を切った時、少女の胸に付けていたバッジが金色に輝き、そこから輪が出現した。……また既視感を感じた。今度のはさっきのものとは違う、確信に満ちたものだ。
少女は輪の中に手を突っ込む。おかしな現象が起きた。少女の手が輪を通過すると、その先が消えていくのだ。次に少女の手が輪から引かれると、その手には木刀が握られていた。
「……そうだ、お前の名前は……」
少女は穏やかな笑みを浮かべて、僕の小さな体に合わせてしゃがみ、目を合わせた。
「お前じゃなくて、お・ね・え・ちゃ・ん」
この機会を利用して、徹底的に僕を躾けたいらしい。逆らいたくとも、さっきの恐怖が僕にそれを許さなかった。
「お、お姉ちゃんの名前は、夢月ノゾムっていうの……?」
思わず口調まで女の子っぽくなってしまった。
ノゾムはそれを満足そうに聞きながら、こくりと頷いた。
「そうです、私の名前は夢月ノゾム。この世界では確か、私はゲームのキャラクターでしたね」
夢月ノゾム。『ブレーメン☆ガールズ~あのお星さまのようになりたいんです!!~』というゲームのキャラクターだ。
ブレーメンガールズはポップなタイトルやキャラデザからは想像できないようなへヴィーなストーリー、現代社会を思わせるような設定が話題になり、一躍人気作品となった。そしてアニメ化にコミカライズとメディアミックスを繰り返し、つい先日に映画化も決まった。今や社会現象となりつつある、ソーシャルゲーム界のビッグタイトルだ。
その作品に夢月ノゾムというキャラが登場する。彼女は序盤で主人公のナルミと仲良くなり、直後に舞台の学校のシステムによって退場してしまう。それがきっかけでナルミは学校のシステムに疑問を持ち、改革のために立ち上がる。つまりノゾムは主人公を立ち上がらせるための、噛ませ犬だ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
問題はノゾムがとても弱い、レアリティがNのキャラであるということだ。アジリティ、俊敏性だけはそこそこ高いが、それ以外はクズ。はっきり言ってゴミに等しい。
その瞬間、僕の頭にノゾムの握り拳がぐりぐりと当てられた。
「いだっ、いだだだ! 痛いよ、お姉ちゃん!!」
「あーいーちゃん。今、心の中でお姉ちゃんの悪口を言いませんでしたかー?」
「言ってない、言ってないよー」
「ふーん、本当かなー?」
さらに強く拳が押し付けられる。聞いてないぞ、こいつが読心術を使えるなんて!
「い、言ったよ! 謝るよ、ごめんなさい!」
「そうそう、最初から正直に言いましょうねー」
そんなこんなしている内に、カウントダウンは十秒を切っていた。
「ところで、陽炎さんのキャラはどこにいるんですか?」
ノゾムは僕を解放しつつ、陽炎に訊いた。彼は顎で空をしゃくりつつ言った。
「気付いていなかったでござるか? あいつでござるよ」
僕とノゾムは空を仰ぐ。
「……な、何なんですかあれは?」
上空には視界のほとんどを覆うような、巨大なドラゴンが飛んでいた。鱗は黄色く、太陽の明かりを受けてぎらぎらと輝いている。首は長く、腕と翼は蝙蝠のように一体となり体の大部分を占めるほど大きい。手と足からは鈍い光を放つ爪が生えていた。瞳は青く、サファイアを思わせるような美しさ。その眼が、僕達を捕らえた。
「グォオオオオオオンッ!」
竜の咆哮が大気を揺らし、僕等の体を重低音の波で飲み込む。それが鎮まっても僕の耳の奥では音が反響し続け、頭が痛んだ。
僕はこのバカでかい竜の正体を知っていた。
「……Yバーン」
「わい、ばーん……?」
ノゾムが復唱した瞬間、カウントダウンの数字がゼロになった。
コングの軽い音が響き、それを合図にYバーンは俺達に襲い掛かってきた。ダイヤモンドより硬いウルツァイト窒化ホウ素さえ容易く砕く、鋭く巨大な爪が振り下ろされる。僕とノゾムは間一髪でそれから逃れる。爪は地面を軽々とえぐり、広範囲にその衝撃を送った。僕達の立つ地面も割れ、崩れていく。
「……I!!」
ノゾムは体勢を崩した僕を抱えて、そのまま空高く飛んだ。
彼女のおかげで僕達は何とか地割れに飲まれずに済んだ。背後を見るとそこはまるで隕石が衝突したかのように、深く広い穴ができていた。もしも巻き込まれていたらと想像しただけで背筋が凍った。
「あ、ありがとう……」
「いいえ。主を守るのが武士っていうものですから」
ノゾムは涼しい表情で僕のお礼に答えた。なぜかその顔を見た瞬間、僕の胸がとくん、とくんと不思議なリズムを刻み始めた。
彼女は木刀を背に差し、両手で僕を抱きかかえて走り出した。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
時間が経つに連れてノゾムの顔がますます輝いて見えてきて、胸が激しく脈打ち続ける。苦しい。だけど、とても幸せだった。
「それでI、これからどうしますか?」
「え? あ、そ、そうだな」
我に返った僕は彼女に悟られないよう平静を装い、早口で言葉を返した。
「これが普通のゲームなら強レベルのキャラで属性の弱点を突くんだが、いかんせん今戦えるのはおま……、お姉ちゃんだけだからな」
「属性って、火とか水のやつですよね」
「ああ。代表的なのが三すくみだな。本来はヘビ、ナメクジ、カエルが睨み合って動けないっていう意味なんだ。だけどゲームではヘビ属性の攻撃がカエル属性に通りやすく、カエル属性の攻撃がナメクジ属性に通りやすく、ナメクジ属性の攻撃がヘビ属性に通りやすいってことになる。勝っていれば勝負が有利になり、負けていれば不利になる。それでもレベルの差でひっくり返されることもあるけどな」
「へぇ。それで、今回の場合はどうなんですか?」
「出演ゲームが違うから分からんが、ゲームの設定だとYバーンは竜属性、お前はネイチャータイプってことになっている。というかこの戦い、属性以前に戦力的に勝てる気がしないぞ」
「あはは、ですよねー」
ノゾムは会話をしながらも、Yバーンの攻撃を易々とかわしていた。確かにあれは図体が大きいせいで動きは遅いが、奴の放つ火炎弾自体は普通の人間では反応できないほど速い。
おまけに翼の一振りはそれだけで周囲の捲れた地面を吹き飛ばし、僕等のすぐ近くにめり込む勢いで落下している。
奴は『バースト・ワールド』というゲームのSRに属するキャラだ。別ゲームとはいえ、Nのノゾムでは対抗できる相手だとは思えない。しかし彼女は小学生の投げるドッジボールをかわす要領で、あれの攻撃を見切っていた。ゲームのステータス通りならば、まずあり得ない。となれば、考えられる可能性は一つ。
「……これがエールパワーの力か」
「ええ、私もびっくりです。いつもより体がとっても軽いんです!」
確かに、俊敏性は目を見張るものがある。しかしそれはノゾムが持つ他の能力より元から優れているものだ。貧弱だったバイタリティやストレングスのステータスも劇的に上がったとは考えにくい。一発でもあの攻撃を食らったら致命的だろうし、彼女の攻撃はハエの体当たり程度のものだろう。
「……となれば、取れる有効手段は一つだ」
「ほえ? そんなものあるんですか?」
「アクションゲームの大型ボスにつきものの一つ、致命的な部位もとい急所を見つける」
「それ知ってます! お腹の水晶とか、額のしるしとかですね!」
「ああ。アクションは専門外だが、やるしかない。ゲームで負けるのは、悔しいからな」
自分で言った言葉に、僕自身が驚いた。ゲームで負けるのが悔しい? いや、そうじゃないだろう。ゲームはあらかじめ勝ち負けが決定しているものだ。特にレイドボスなんて勝てば勝つほどレベルが上がっていく。いずれ負けるのは目に見えている。挑み続ければ負けは確定しているのだ。だからフレンドに応援を依頼して、彼等が倒してくれるのを待つ。逆に通常ダンジョンはクリアできて当たり前だ。そこでプレイヤーに素材や経験値を稼がせなくてはいけないから、難易度は簡単に突破できるよう調整してある。そうでないゲームはクソゲー呼ばわりされて客が集まらず、早々にサービス終了。だからブラウザゲームやソーシャルゲでの緊迫した勝負は全くといっていいほど存在せず、プレイのほとんどが作業のようになってしまう。
久しぶりだった。こんなに熱くなれる、真剣な戦いは。
僕は目を凝らしてYバーンを観察した。その時、視界の端に陽炎の姿が映った。彼は猟犬のような獰猛な笑みを浮かべて、クリスタルの円いしるしに触れていた。肩に乗っていた黄色いトカゲはいつの間にかいなくなっていた。信じ難いがおそらく、目の前のこの竜がそうなのだろう。
「貴君等、想像以上の強さでござるな。だがその快進撃も、そこまででござる! Yバーン、限界突破(ブレイク・フリーズ)でござる!!」
僕は慌ててノゾムの力も解放させようと思った。だが、あと一歩遅かった。
Yバーンの瞳が真っ赤に染まった。さっきまでの動きが嘘だったような、とんでもない素早さで息を深く吸い込む。次の瞬間、巨大な火炎弾を俺達に向かって放った。大地を焼き、空を焦がし、怪物のごとき炎はますます膨れ上がる。
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