一章3 『大抵の人は自分の名前に不満を持っている』
僕は最後の悪あがきに、彼女にもう一度訊ねた。
「……お前はこのゲームが終わるまで、僕の傍にずっとへばりつくつもりなのか?」
少女は当然と言わんばかりに、迷いなく頷いた。
「ええ、そうプログラミングされていますし。あと、へばりつくって表現は失礼ですよ!」
最初の二文字以降は、僕の耳に届いていなかった。ぐるぐると視界が回り、頭が熱くなって、体から力が抜けていく。
怒声を上げていた少女は次第に心配そうな顔になって、ふらつく僕の体を支えた。
「……君、大丈夫ですか? ねぇ、ねぇっ!」
世界が薄らいでいき、意識は熱いまどろみの中に沈んだ。
体が揺れていた。小さな頃に馬に乗った時に感じた、上下に跳ねるような揺れ方だった。
目を開けると忙しく跳ねる黒い髪の毛と、その隙間から白いうなじが見えた。真っ白でつややかな、触り心地のよさそうなうなじだった。
「……って、え?」
意識が一気に覚醒した。
慌てて周囲を見ると、そこは外だった。
……信じられないが、ここは間違いなく外。つまり僕は外出という非引き籠り的な行為をしているのだ。
左右には電柱が一定の間合いを開けて立ち、その奥には道路を挟むように家が並んでいる。ごく普通の住宅街。それが高速で後ろへ流れていく。
そして僕は、誰かに負ぶわれていた。
「あ、気が付きましたか?」
流れていた景色がぴたりと止まる。僕を背負っていた奴が急に立ち止まったのだ。そのせいで慣性の法則により僕の体に前方へ進む力が掛かり、相手の後頭部へ思いっきり鼻をぶつけた。
「……おい、お前。色々言いたいことはあるが、とりあえず下ろせ」
僕を背負っていた奴、もとい不法侵入少女に命令する。
彼女は周囲を見渡して、近くの公園に入った。
「すみません、酔っちゃいましたか?」
少女はベンチに僕を下ろし、心配そうに顔を覗き込んできた。僕はくらくらと痛む頭を押さえて、彼女に訊いた。
「……とりあえず、動機を聞かせてくれ」
「へ?」
ぽかんと口を開けて、首を傾げる少女。どうやらあまり物分かりのいい奴では無いようだ。僕は溜息を吐いて、丁寧に言ってやる。
「僕を無断で外に連れ出した動機を聞かせろって言ってるんだよ!」
ああ、なるほどですと手を合わせる少女。バカとの会話って、本当に疲れる……。
「君が急に倒れたから、病院に連れて行こうとしたんですよ」
簡潔明瞭にして、単純な動機。だがそれだけでは全ての疑問は片づけられない。
「だったら何で僕は靴も靴下も履いていないんだ?」
「だって、窓から出てきましたし」
……どうやら僕の耳は久しぶりの外出で少しおかしくなっていたようだ。もう一度、きちんと耳を傾けて聞いてみよう。
「お前、今なんて言った?」
「だから、窓から出てきましたし」
溜まりに溜まったストレスが、我慢という名のダムを見事に決壊させた。それは鉄砲水の代わりに、怒声のオンパレードを口から溢れさせたのだった。
「なんでお前はそんな所から出てきたんだよ!? っていうかお前は靴を履いてるよな? ということは僕の部屋に土足で上がり込んでいたってことだよな? お前には常識っていうものが無いのか、ああ!?」
人に叱責するという初めての経験に僕の体は疲れ果て、すっかり息が切れてしまった。喉が痛いし、頭がむしゃくしゃするし、最悪な気分だった。少女は黙り込んで、じっと地面を見ていた。
「おい、何とか言えよ……。え!?」
少女は喉を詰まらせながら、ぼろぼろと涙を零して泣いていた。肩を震わせて、嗚咽を漏らして、それでも何かを言おうとしていた。
「ひっく……だって、急にっ倒れたからそのっ、うっ……心配で、だから急いで……」
「わ、分かったから泣くな」
僕はポケットからハンカチを取り出して、少女に渡した。別にこういう事態を予想していたのでは無いが、幼い頃からの習慣で常に洗い立てのハンカチと新品のティッシュを持ち歩くようにしている。ハンカチは通販で買った、薔薇柄のレースのものだ。一目見て気に入り、気付いたらカートに入れていた。
「……女の子の私物みたいですね」
「うっさい、とっとと涙を拭け」
少女はハンカチで目元をぬぐって、チーンと鼻をかんだ。……一緒にティッシュも渡しておくべきだったか。
今日で何度目になるか分からない溜息を吐いた時、公園の入り口から誰かが入ってきた。
そいつは電気街にいそうな太った男だった。間違っても、こんな児童公園にようのありそうな奴では無い。頭にタオルを巻き、アニメチックな少女キャラがプリントされたTシャツを着ている。今時こんな典型的なオタクがいるのかと、呆れるぐらいステレオタイプな格好だった。
彼の肩にはなぜか黄色いトカゲのようなものが止まっていた。小さな羽が生えているように見えるが、おそらく飾りだろう。
男は俺達に気付き、こちらにのっしのっしと歩いてきた。
「お取込み中御免! 貴君等、プロジェクト・STの参加者でござるな! 否、皆まで言うな、言わずとも分かる。何せ、このクリスタルデータが貴君等を運命の宿敵であることを示しているからなぁッ!」
「……クリスタルデータが、指し示している?」
クリスタルデータとはコンピュータやボックスで作ったデータの一部を物体化させたものだ。
彼は胸ポケットから緑に輝く正八面体の結晶を取り出し、それを俺達へ突き出した。確かにその中には俺と少女の顔写真、地図と俺達の位置を示すマーカーがあった。僕はふと思い付き、チノパンのポケットに手を突っ込んでいた。そこには思った通り、覚えの無いクリスタルデータが入っていた。多分、少女が勝手に入れたのだろう。
クリスタルには彼の顔とどこかで見たモンスターの写真、そして名前が書いてあった。
「風魔忍者・陽炎……、ある意味すごい名前だな」
こういうゲームでは本名でなく、プレイヤーが登録したニックネームを使われる。それはまともなものから、こういう無茶苦茶なものまで様々だ。
「カッコイイであろう! 本名があまりにもダサくてなぁ。ゲームの中ぐらいはクールに呼ばれたく、そう命名したでござる!」
決めポーズらしきものを取る陽炎。ぶっちゃけ、名前より数億倍ダサい格好だった。
僕が呆れていると、少女が無き止んだ直後の赤い瞳で彼を睨みつけて叫んだ。
「自分の名前をダサいなんて……。名付けてくださったご両親に失礼だと思わないんですか!? 今すぐ謝罪すべきです!!」
突然叱責してきた少女に陽炎は少し驚いたみたいだが、すぐに元の調子に戻って反論した。
「ふ、ふん。名前なんてただの飾り、あるいは道具よ。もしも名前が大事なものだったなら、ペンネームや芸名なんて生まれなかったはずでござる!」
「それでもっ! それでも名前は大事なものなんです!!」
少女は必死に、喉の奥から絞り出すように声を荒げて言う。陽炎はそんな少女を鼻で笑った。
「ではその根拠を述べよ。根拠無き理屈など、羽を失った鳥のようなものでござるよ」
陽炎の台詞に少女は言葉を詰まらせ、何も言い返せなくなってしまった。そんな少女に彼はさらに追い打ちをかける。
「言い返せぬよなぁ。それは拙者の言い分を認めたと同じ!」
「ち、違います……」
「否、皆まで言うな、言わずとも分かる。貴君は自分の価値観が根拠無き砂上の楼閣であったことが悔しいのであろう? だがこれが真実。根拠の無い感情論など、女子の我がままと同じ。何もならん、粗大ごみよ。この世は根拠によって支えられた、理屈のみで構成されるべきでござる! それが真の正義であり真の政策であり、全ての矛盾を解消するであろう!!」
再び決めポーズを取る陽炎。少女は地面に膝をつき、ぎりっと歯ぎしりをした。瞳の端にはまた大きな涙の粒が浮かんでいた。
僕はやれやれと肩をすくめて、思いっきりバカにした口調で陽炎に言った。
「それで戯言は終わりか、おっさん?」
見ていられなかった。
「……何だね、少年? 小学生は黙っておれ」
どうして、どうしてこの世の中にはこんなバカしかいないのだろう? ……あと、こいつは個人的な事情で絶対に許さねえ。
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