第118話 難戦

 大会第六日目。

 この日の第一試合は、白富東も注目の瑞雲の試合である。

 予約してあるグラウンドに行くのは遅らせて、次の対戦相手の試合をテレビ観戦することになった。

「序盤は動かないんじゃないかな」

「瑞雲は坂本先発か」

「まあ次の試合まで中四日あるしな」

「ここでぱっと消えてくれたら嬉しいんだけどな」


 白富東は瑞雲戦での苦戦から、どうやって坂本から点を取ればいいかは分かっている。

 坂本以外の部分を攻めるのだ。

 あるいは、坂本のボール以外の部分を。

 危険球を投げるとかではなく、揺さぶりだ。


 坂本は長身で、その身長の割には体重が少し軽い。

 球速はそれなりに出るが、まだまだ上限には達していないだろう。

 ただ直史と同じ思考なのかどうか分からないが、無理に筋肉を付けて球速を上げようとはしていない。

 好投手と言うよりは、積極的に曲者と称すべきだろう。


 それに対する石垣工業のエース金原海人は、正統派のパワーピッチャーだ。

 瑞雲のリードオフマン岡田を、いきなり三球三振。全て150km以上で、ラストの一球は152kmであった。

 左の150kmはこの大会では、他に島と武史しかいない。真田でさえ直球は150kmを超えていないのだ。


 一回の表を三者三振で終えた金原に対し、瑞雲のエース坂本は全く別の投球術を見せる。

 二人を内野ゴロに、一人を内野フライに、完全に凡退させる。

 相変わらずと言えばいいのか、巧妙にタイミングを外してくる。

「チーム力なら本来瑞雲が上なんだろうが、相性はかなり石垣工業の方がいいな」

 秦野の言葉に、ああ、とジンも頷く。

「瑞雲は下手な強打はないですからね」

 どういうことか、説明するジンである。


 瑞雲のバッターのスイングは、基本的にコンパクトに鋭くというのが徹底されている。

 昨今パワーのあるバッターは、踏み込んでの全力スイングがトレンドだ。

 フライボール革命もある程度浸透してきて、昔のようにゴロを打てと徹底されることは少なくなったとも言える。

 だが高校野球レベルではまだダウンスイングやレベルスイングが重要で、フィジカルに優れた選手を集める強豪でない限りは、バッターに合ったスイングが必要になってくる。


 瑞雲の選手のスイングは、基本的にコンパクトに鋭く振ってくる。

 時々大振りの坂本などは別だが、単打を重ねていく得点が多い。

 これは軟投派や変化球重視のピッチャーだと、最後までボールを見て振れるという利点がある。


 しかし石垣工業の金原のピッチングは、スピードのあるストレートが主体である。

 大きく曲がるスライダーに、落差よりも緩急をイメージしたチェンジアップは、全てストレートを活かすためのものである。

 やはりストレートのスピードが、ピッチャーの基本なのだろう。

 直史でさえ他の部分を鍛えた後は、自分の特徴がなくならない範囲で球速を上げてきたのだから。


 二回の表は四番の武市から始まる瑞雲の攻撃も、スライダーを使った後のストレートで三振。

 これが今日最速の154kmを記録した。

 五番の中岡もピッチャーフライ。そして六番に入っている坂本である。

 ツーストライクまで見逃した後、ただ当てるだけのスイングでファール。

 ここから二球粘ったものの、やはり154kmのストレートで三振であった。


 ここまで瑞雲は、金原に全く手が出ていないように思える。

 だが観客の中でも見る目のある者は、坂本の打席で察した。




「予定通りでええがか?」

 武市の問いに坂本は頷く。

「ああ、ストレートは捨てて、スライダーとチェンジアップ狙ったらええ」

 凡退した坂本であったが、攻略法はやはり事前に予想していた通りである。

「ピッチャーにとって一番えらいんは、全力ストレートなんは変わらんき」


 金原の全力ストレートは、確かに凄まじい。

 変化量の多いスライダーも、緩急を活かすためのチェンジアップも、それなりに打ちにくいことは打ちにくいのだが、やはりストレートが別格だ。

 狙うのはそれ以外の球種。そしてカウントが悪くなったところで置きに来たボール。

 長い手足から放られるボールは球速以上に速く感じるが、それ以外のものを狙えばいいだけだ。

「削って殺せばいいきに」

 坂本は容赦がない。


 坂本のピッチングは、過程はともかく結果は直史に似ている。

 ツーストライクまではフライかゴロを打たせ、追い込んでからは確実にしとめる。

 その過程で上手く合わせられてヒットが出ることはあるが、後続が続かない。

 このあたりは感性と計算が上手く噛み合っている。

(全部抑えようと思うとったら、とても最後までは勝てんがよ)

 目の前の試合に全てを注ぎ込む石垣工業に対して、瑞雲は次の試合も見ている。

 不利と言えば不利といえるのは、この部分であろう。




 予想通り、点の入らない試合になってきた。

 しかし予想以上なのは金原のピッチングだ。

 力の入った真っ直ぐを多投し、フォアボールこそ三個出したが、六回のここまでヒットを許していない。

 慎重に塁を埋めていく瑞雲に対し、そもそも出塁を許さない。

 打力が低いというチームではないのだ、瑞雲は。


 一方の坂本は、それなりにヒットは打たれるし、唯一の長打力のある金原は露骨に避けている。

 それでも点だけは取られない。

「こりゃ押してるように見える石垣工業の方が辛いだろ」

 ジンはそう判断する。

 石垣工業は県大会では、数少ないチャンスをなんとかしてものにするというプレイで、ロースコアで勝ってきたチームだ。

 それが毎回のようにランナーを出しながらも、ぎりぎりのところで攻めきれない。残塁続きだ。


 三塁は踏ませても、ホームだけは絶対に踏ませない。

「石垣工業は県大会ノーエラーだったらしいが、この展開だと途中でミスが出るぞ」

 スコアを確認しながら秦野は言ったが、その通りであった。

 七回に打席に立った坂本の、サード強襲とまでは言えない当たりを、守備側はファンブル。

 判定はエラーであったがのでまだノーヒットは続いているが、フォアボール以外でランナーが出たのは初めてだった。


 七回はピッチャーにとって、一番辛いイニングとも言われている。

 疲労のピークが一度ここに来て、ここを越えるとまた抑えられるという。

 迷信の一つであるが、ピッチャーの球数の限界が、この回で来ることが多いのは確かかもしれない。

「さすがに狙って出来たことじゃないだろうけど、坂本ってほんとやな選手だよな」

 大介は言って、多くの賛同の頷きを得た。

 もっともここはツーアウトからのランナーだったので、どうにか失点は防げた。




 瑞雲は大量点を奪うチームではないが、かといって一点も取れないような貧打のチームでもない。

 それをここまで封じている、金原の投球が凄いのは間違いない。

 いくら他県との練習試合を組むのが難しい沖縄でも、これだけのピッチャーが新星のごとく現れるというのは、かなり不思議な話である。

「一年の夏に故障して、二年の夏でまた故障か」

 スコア以外の調査には、そのようなことが書いてあった。

 秦野の言葉に、白けた顔を見せる直史。

 故障して投げられないピッチャーなどカカシにもならない。


 一年の夏には肩を故障したが、それ自体は軽いものであった。

 しかしそれをきっかけにフォームを変えて、迎えた二年の夏にもまた故障。今度は肘だ。

 この二回の故障があって秋の大会では成績を残せず、センバツには完全に無縁であったということだ。

 それを聞いて白富東が思うのは、指導陣の技術不足だ。


 白富東は練習中や試合中の、普通のプレイでの大きな故障は一つもない。

 強いて言えば一年の夏の、直史の肘の炎症ぐらいだ。

 あとはジンの膝も、大介の肋骨も、試合中のクロスプレイで起こっている。さすがに直史の血マメは別だが。

 ちゃんと負荷を考えてトレーニングを行わなければ、それは故障もするというものだ。


 おそらく金原はこれだけのパフォーマンスを発揮しているが、それでも肉体のポテンシャルはまだ上に限界がある。

 大学、プロと進んでいけば、日本を代表する左腕となってもおかしくはない。

「でもこのペースで最後まで投げられるのか?」

 ジンが心配しているのは球数だ。

 八回の表の守備の前に、既に140球を超えている

 甲子園初戦であるので、県大会で蓄積した疲労は回復しているだろう。

 だがこの甲子園で、気の抜けない打線を相手に、二度も故障をしたピッチャーが投げている。


 そしてその時は突然に訪れた。

 ツーアウトから一番の岡田に戻って第一球、それは右中間を抜くツーベースヒットとなった。




 抜けた球だった。

 握力か、体力か、単なるミスか。

 だがここまでは、そんな抜けた球はなかったのだ。


 終盤になって球威は衰えてきている。だがそれでも140km台の半ばは普通に投げてくるのだが、その程度ならば強豪校が打てないボールではない。

 岡田の盗塁が成功して、ツーアウトながらスコアリングポジションにランナーが進んだ。

 だがそれより問題なのは、初球をチェンジアップから入ったことだ。

 岡田の足を考えれば、外にストレートを投げさせて、盗塁を牽制したはずだ。ただでさえ盗塁のしにくい左腕であるのだから。

 ランナーを進めてでも、ストライクがほしかったのか。


 次のスライダーを投げたのを見て、秦野は確信した。

「肩か肘か、それとも他のどこか分からないが、やっちまったな」

 秦野の言葉に、選手たちの視線が集まる。

「石垣工業のピッチャーは一枚だけだろうが……」

 スライダーを引っ掛けさせてスリーアウトを取ったが、ボール球のストレートも140km出ていなかった。


 ここにきて、エースの故障。

 瑞雲の球数を多く投げさせる戦略が、功を奏したということなのだろう。

 それにしてもえげつないことは確かだが、坂本の球数も120球は超えているのだ。

 ペース配分を考えていなかったのが、最大の敗因か。

 八回の裏には四番の金原に打席が回ってきたが、坂本は外角にボール球を投げて歩かせる。

 ここまできてもまだ、一発の可能性を回避する。




 そして九回の表、瑞雲の攻撃は三番のクリーンナップから。

「ダメだ。後ろからじゃ見えにくいけど、どこかがおかしくなってる」

 秦野としてはそう言うしかないが、ピッチャーとしての直史は見抜いた。

「リリースポイントだ。痛くない場所を探してる」

 ストライクが入らず、ボール先行になっている。

 そしてカウントを取りにいったチェンジアップを打たれた。しかし足元を抜けかけたボールに金原は反応。

 好フィールディングでワンナウト。


 四番の武市はある程度長打力が高く、狙ってならホームランも打てなくはない。

 だがここはまず出ること。そこから揺さぶれば、一気に大量点は無理でも、続く中岡と坂本が返してくれる。

 ワンボールからの、力のないスライダーを振りぬく。今度は金原の頭の上を通り過ぎて、文句なしのセンター前。


 決まる。

 ここを見逃すほど、瑞雲の選手は甘くない。

 壊れかけの、いや既に壊れたエースを、どうして使い続けるのか。

 二番手ピッチャーとの能力差がありすぎるのは分かるが、それでも。

「エースと心中かよ」

 吐き捨てるようにジンは呟く。投げられないほどひどくはないのだ。ここで降ろせばまだなんとかなる可能性はある。


 中岡への初球、力のないアウトローの球が、やや甘く入る。

 これを鋭く弾き返し、次の坂本へというのが、瑞雲のプランだったか。

 しかし中岡はこれをミスショット。

 痛烈な当たりながらショートの横へのゴロ。6-4-3とダブルプレイ成立。

 坂本の前で切れてしまったが、なんとかこれで、本来の九回は投げきった。


 最後の球。

「少し変化してたな」

 ジンの目は誤魔化せない。

「カットか? 球種にカットなんてあったっけ?」

 大介の目も、わずかに沈んだように見えた。

「あの投げ方だと、普通のストレートがいつもと違うフォームだったせいで、少し変化したんじゃないか?」

 直史はフォームを再現しながら考える。

 

 延長戦だ。

 だが県大会では、ほとんどの得点に絡んできた金原の打席は遠い。

 瑞雲は上位での打点が多いが、下位でもそれなりに攻略してくる。

 ここまで金原の投球数は169球で、確かに普通のピッチャーなら限界だ。


 さすがに交代させるしかない。勝てるならば壊れても投げ続けるのでかまわないと思うピッチャーは多いが、監督がそれを生徒に許してはいけないだろう。

 九回の裏、石垣工業の下位打線に、ようやく坂本はギアを入れる。

 変化球主体であるが、ストレートには伸びがある。簡単に三振を取ってくる。

 おそらく白富東との対戦に向けて、休みはあるが余裕をもって調整出来るようにしていたのだろう。


 監督の役割というものを、秦野は考える。

 金原の続投は、本人が望んだものかもしれない。そしてチームメイトもそれを望んだのかもしれない。

 だがそこを止めるのが、指導者の役割ではないのか。

 肉体を酷使し、再起不能になっても悔いはないなどと、十代の少年の判断に任せるのは間違っている。

(瑞雲、さっさととどめさしてやってくれ)

 秦野は願う。

「ん?」

 気付いたのは大介だった。既にツーアウトになり、打席にはここまで三タコの八番屋敷。

 キャッチャーとしてのリードはともかく、打撃には期待出来ないバッターが、インハイの球を強打した。

「げ」

 打球は高く飛んでいく。

「え」

 切れそうで切れない、レフトへの打球。

 ポールに当たった。


「はあああああっ!?」

「ええええええっ!?」

「なんじゃそりゃああああっ!」


 サヨナラホームラン。

 瑞雲が負けた。

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