第26話 影
花見で盛り上がる影、宴席から少し離れた場所で桃真はある男と言葉を交わしていた。
「遅い」
そういう桃真の語気は厳しく冷たい。
「そう仰らないでください。彼の一族に潜入だなんて、とんでもなく大変だったんですから」
「で、報告は?」
「はい。――紅家当主には以前、ふたりの奥方がいらっしゃったそうです。もう何年も前のことで、そのうちのひとりは病死しています」
「……それとこれと、何の関係が?」
今から十六年前のこと。紅家当主・
葵妃・
もうひとりの妻である
先に結婚したのは春麗だったが、凌雅は梅花に虜だったらしい。白い美貌、美しい蒼い瞳。それこそ物の怪の類だったのではと言う者もいた。けれど、梅花が死んで、正気に戻った凌雅は、梅花の存在を口外することを禁じた。
風の噂によれば、梅花は子供を身籠っていたとか。実際に腹が膨れていたのも、赤子を産んだのを見た者はいなかったが、水面下ではそんな噂が流れていた。
「……――つまり、桃花は紅家の娘、だと?」
「そこまでは言っていません。紅家にはかつて蒼い目の女性がいて、その女性は子供を身籠っていた可能性があるという話です」
「はぁ~~~……。頭が痛くなってきた」
桃花の年齢は定かではないが、十五、六と推定すれば無い話ではない。
茶総大将が「紅家に気を付けろ」と言ったのは、紅家当主のことを指しているのだろう。今もなお、喪った蒼目の女に囚われ続けている凌雅は、色変わりの瞳の少女を邸に招き入れては召使や養い子にしているとか。
透き通った空よりも青く、深い海の色を映した蒼い瞳。確かに、桃花の存在を知れば面倒なことになるのが目に見えている。
紅家当主か――短く息を吐いて、こめかみを指で揉んだ。やり合うにはいささか分が悪い。それに噂では、現当主は相当頭が切れる男らしい。宮仕えしていれば、宰相にまで上り詰めただろうと言われている。
しかし、桃花が紅家の娘で、なおかつ直系の姫君であるならば、蒼家に嫁いできても申し分ない身分であることが証明される。蒼家の老害共は、人質の役目としても紅家直系の姫君を欲しがるだろう。
蒼家当主である兄にはすでに奥方がいるし、そうなればお株が回ってくるのは自分しかいない。下の弟は幼馴染と一途な恋愛をしているし、一番下は婚約者を持つには幼すぎる。
(まぁた、悪いこと考えてるよ、この人)
桃真の影である男は、主人の晴れやかな笑顔に肩を竦めた。
影とは、蒼家に仕える裏の一族だ。護衛から闇討ち、暗殺、なんでもやる。特定の名を持たず、臨機応変さを求められる文字通り影の者。
「ユウ、引き続き監視をしろ」
「……それはどちらで? こちらで? あちらで?」
「――あっちで、だ」
げんなりと肩を落とした青年は、先を考えて長い溜め息を吐きだした。本来、影が主君に向かってこんな態度を取っていいはずがないのだが、そこは桃真と青年――ユウの仲だから許される。桃真のユウへ対する態度は一見冷たいように見えて気安さがある。
歳はユウの方が十も上だが、桃真のことは実の弟のように可愛がっている。そんな桃真の、初恋を実らせるためならなんだってしてやろうとすら思っていた。
あの桃真がついに、と袖で目元を拭って(既視感)、贈り物作戦やら全力で顔を利用しているのを見ると涙がちょちょぎれた(笑い的な意味で)。
経験は豊富(意味深)だが、初恋はまだな桃馬を兄貴心で全力で応援している。初恋は実らないというが、主君の望みを叶えるのが従者の役目だ。
まだまだ若くて青臭いご主人様のために、おせっかいでも焼きましょうかね。
「おおーい、桃真君! そんなところにいないでこっちにおいでよ!」
「……任せたよ、ユウ」
「ご随意に」
するりと木の影に姿を隠したユウは、初めからいなかったかのように跡形もなく消えていなくなった。
「……」
さて、と。
桃花になんと説明すべきか、考えあぐねて――今は宴を楽しむことにした。
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