第4話 武闘会(23.2.2改稿)


 春の風は冷たい。

 石畳の広い訓練場に、風除けの絹屋テントがいくつも張られている。


「ようこそいらっしゃった! お美しいお嬢さん方! こんなにたくさんの美人に応援されちゃあ武闘会も盛り上がること間違いねぇ! 今日くらいはテメェを褒めてやってもいいぜ、お坊ちゃん」


 桃花たちを出迎えたのは、大口を開けて笑う大柄な男。鍛え上げられた立派な筋肉は、服を着ていてもわかった。

 精鋭兵の集まりである羽林軍の総大将・名を竜朴りゅうぼくだ。

 遊女の姐さんたちは、魅力的な肉体に夜を想像して指を咥えている。きっと、後からお声がけが行われるだろう。


「貴方に褒められても嬉しくないですね。ほら、さっさとそこをどいてください。彼女たちをいつまでも日差しの下にいさせるわけにもいかないでしょう」

「相変わらずクソ生意気な坊ちゃんだぜ……。お嬢さん方には特等席で応援してもらわなきゃならねぇからな。主上の真正面の絹屋に案内してやってくれ」


 主上――王様の真正面!

 浮足経つ遊女たちとは反対に、美美や鈴鈴は眉根を寄せ合わせた。


「場所はどこでもいいんだけど、王様の真正面って緊張して酒も注げやしないよ」

「安心していい。主上はとてもお優しい方だ。それに真正面とは言っても五間約十五メートルは離れているから、目が合う距離ではないよ。まぁ、もしかしたら大華の方には、主上の元へ向かってもらうかもしれないが」

「その分お金が弾むなら、わたくしたちはなぁんにも言わないわぁ」


 うふ、と甘い声音に桃真は苦笑いだ。

 わたしだったら断固拒否するけど、と桃花は胸中で呟いた。

 大華や半月の一部は、内儀から金づるを捕まえて来いと仰せつかっているに違いない。

 光雅楼にも官吏のお客様はいらっしゃるが、総じて金払いが良い。それなりに高官だというのもあるが、お役人様というのは見栄っ張りな御方が多いのだ。気に入りの遊女のためにちょっとばかし奮発して、それが続いた末に金に困っているのを何度も目にしたことがある。

 何度でも言うが、金が払えないなら石ころ以下だ。

 金が払えなくなったと分かれば、遊女は男を袖にして、新しい男を見つける。花街とは、そういうところ。金がなければ遊べない――蒼家のお坊ちゃんである桃真なら、金に困らないだろう。


「どうかな、城へ来た感想は?」


 隣にやって来た桃真に、内心でゲッとする。

 彼が隣にいると、自然と視線が集まってきて落ち着かないのだ。


「別に、これといった感想はありませんが」

「城へ来るのは初めてだろう? 大体、初めて来た人は想像以上に煌びやかで驚いた! とか言うんだけど」

「しいて言うなら、貴方が蒼家のお坊ちゃんということに驚きました」


 桃花の知っている貴族のお坊ちゃんは、偉そうに胸を張って、女をあたかも自身の装飾品かのように扱うのだ。

 大した恋愛経験もなく、春画エロ本の情報を鵜呑みにして、抱いた女に後から「下手くそだった」と笑われているとはまさか思うまい。

 みんながみんなそうではないが、遊女たちの話を聞いていればそう思わざるを得ない。

 だから、あの蒼家の人間だと知って驚いた。同時に、頬を引っ叩いてしまったことを後悔した。私刑に処されてもおかしくないことをしたのに、桃真は変わらぬ笑みを浮かべて桃花に話しかけてくる。


「あの時はお忍びだったのでね」

「そのわりには、毎週来ていらっしゃったじゃないですか」

「君の舞が見たかったんだ。はじめの一回目以外は全て自腹だよ」

「遊女の間で噂になってますよ。わたしの剣舞だけ見て、酒も飲まず、女も抱かずに帰る色男がいるって」

「だって、君、座敷には上がらないんだろう? 僕は君の舞を見に行っているのだから。君が座敷に上がらないのであれば、君の舞だけを見て帰ったほうが時間も有効的に使えるだろ」


 つまり、酒を飲んで女を抱くことは有効的な時間の使い方ではない、と。

 妓楼に来ておきながら、何を言っているんだ、この男。

 至極真面目な顔で言うのだから、ことさらにおかしい。遊女の在り方を否定するようなことを言う男に、どうして気に入られたのか不思議でならない。否、そんな男に、舞を気に入ったと素面で言ってもらえるのだ。

 色恋沙汰に興味はないが、得意なことを褒められて嬉しくない女はいない。

 桃花の剣舞を気に入り、率直に褒めてくれる。嬉しくないはずがなかった。言葉はぶっきらぼうだし、態度もそっけないが、毎週最前列で見てくれる男の顔を覚えないほど、桃花は薄情ではなかった。




 あと一刻もせずに武闘会が開始される。

 王や妃たちが観覧席にやってくる。開会挨拶のあとが、桃花の出番だった。

 会場内は徐々にざわめきを増し、観覧する官吏や出場する武官が集まり始めていた。

 艶めかしい遊女を見て、頬を紅潮させる女慣れしていない武官もいれば、舌なめずりをして遊女を見やる官吏もいる。そんな彼らに、姐さんたちは営業用の笑顔を浮かべて手を振った。


「――御妃様たちの登場だよ」


 緩やかに、お淑やかに登場したのは黄色の衣をまとった妃。四人いる妃の中で一番歳若く、今年十七になるという桜妃オウヒ

 現在、四妃すべての席が埋まっており、その四妃とも四大彩家の姫君であった。

 桜妃、葵妃キヒ蘭妃ランヒ椿妃チュンヒと花の名を冠した妃たちが、侍女を伴って登場し、ほどなくして、王様が現れる。

 紫の衣に、高貴な血筋を表す銀の髪を靡かせ、切れ長の瞳が会場を見渡す。

 思っていたよりもずっと若かった王様に、もっと髭を蓄えた厳格な男性を想像していた桃花は思わず「若っ!?」と小声で漏らしてしまった。静まり返った会場内に響いていたかもしれない。面布の上から口元を覆い隠す。


「ふふっ、主上は今年で十九にならせられる。僕と同じ歳だ」

「誰もあなたの歳なんて聞いてないです」

「そういえば、君は何歳なんだ?」


 ム、と口を噤んだ。

 桃花は物心つく前から光雅楼にいた。親の顔がわからなければ、正確な年齢もわからない。

 どうして光雅楼で育てられることになったのかも、桃花は知らなかった。店主の大旦那は何か知っているのだろうが、聞こうとも思わなかった。聞いたところで、どうにかするつもりもなかったからだ。

 親を探して、感動的な再会を望むわけでもなければ、どうして捨てたのと罵るわけでもない。一切の無関心だ。

 今の今まで育ててくれたのは光雅楼の女たちで、桃花はそれに満足している。桃花にとって、光雅楼が家で、遊女たちが家族だからだ。

 あえてそれを桃真に言う必要も感じず、「十六くらいです」とだけ答えた。


「くらい? 自分の年齢なのにわからないのか?」

「むしろ、花街にいて自分のちゃんとした年齢を知っているほうが珍しいですよ。女も男も、売られて花街にやってくるんですから」


 大切に育てられたお坊ちゃんにはわからないだろう。

 花街とはそういう世界だ。生きるも死ぬも、今日次第。

 バツが悪そうに、「すまない」と小さく謝った彼に、それ以上何か言うこともなく、桃花も口を噤んで黙り込んだ。

 気まずそうにする桃真を横目に、小さく息をついた。

 広い石畳の上で総大将が開催の口上を述べている。長々しい巻物を手に、若干棒読みのところもあって、本人も飽き飽きしているのが見てわかった。


「茶総大将」

「は、」


 王から発せられた声は、夏の夜の冷たさを詰め込んだようだ。


「長々とした口上はよい。陽にも恵まれた良き日だ。ハメを外し過ぎぬよう、皆楽しめばよかろう」

「――お言葉、頂戴いたします」


 にんまりと口角を上げて笑い、巻物を仕えの宦官に手渡した総大将は、声高々に武闘会の開会を宣言する。


「開催するに先立ち、花街一の妓楼・光雅楼からお嬢さん方をお招きしております! 並びに、光雅楼の舞い手による、剣舞にて鼓舞していただきましょう!」


 さぁ、いってらしゃい、と桃真に囁かれる。

 姐たちに無駄に着飾られた桃花の耳もとで、しゃらしゃらと耳飾りが揺れて音を立てた。清流のような響きが、ざわめき立った心を落ち着かせてくれる。

 共に演奏を奏でてくれるのは、光雅楼でも腕利きの二胡の奏者だ。

 愛剣を片手に、からんころんと下駄を鳴らす。背中に桃真の視線を感じながら会場の中心へ。

 会場内は静けさを保ちながら、熱気に包まれていた。

 陛下と絹屋のちょうど間で立ち止まり、両手で剣を掲げて一礼をする。ピンと糸が張ったような空気の中、ゆっくりと片足を振り上げ、カンッと下駄で石畳を踏み鳴らした。それを合図に、二胡が奏でられる。

 晴天の下、軽やかな旋律が響き渡る。


「まぁ、志雄英伝しゆうえいでんね。この曲好きよ、私」

「どのような曲なのでございましょうか?」

「遥か昔、世界が闇に覆われたとき、ひとりの男が剣を振るい、闇を断ち切ったという伝説から、彼の男の武勇を讃えて作られた曲よ。序盤は闇を表現する静かな始まり、中盤にかけて剣を振るう男の猛々しさと荒れ狂う闇の激しさを表現し、終わりは闇に打ち勝った穏やかな旋律という序破急で奏で方も旋律も全く違う難易度の高い曲よ。私は特に、激しさを増す中盤が好きだわ」


 わくわくを抑えきれない表情を桜妃に向けられて、桃花は気分が高揚していくのを感じた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る