ok
@motinonasu
201910-202008
ある一瞬、ほんの一瞬生きることに興味を失ってしまったので、もう私はそれまでの私ではいられなくなった。私が再び元気を取り戻したように見えても、それはただ元気を演じているだけである。私の生きることに興味がないという大きな問題はなお根強く存在しており、元気を演じる体力を一時的に失ったときにその問題は顔を出す。
日常生活を送るうえでは個人のこだわりなど全くもっていらないものであり、そのうえ人格の形成にも悪い影響を及ぼすことがある。己の夢、野望といったものが果たして何の役に立つのか、さっぱりわからない。つねに他人と交わり、互いに譲歩しあい、妥協しあって生きるほうがよほど幸せなのではないか。夢を追う人々とは己のこだわりを捨てきれない哀れな人たちであり、自分だけを愛する以外に自分を愛する方法を知らぬ人々である……自宅、会社、両方で他者との共同生活を送るなかそんな考えが芽生えつつあり、その芽を摘み取る気も起きずにいる。
たぶん伝わりやすいストーリーだったんだと思う、「こわいおじさんがいて、その人がこわくて、めしが食えなくなった」というのは でも自分にとってとどめになったのはそこじゃない 自分の近くで話を聞いてもらえない人と、話を聞こうとせずただ怒鳴り散らしているおじさんがいたのも同じくらい怖かった
青信号が突然赤信号になる
→相談しようと思い、相談をする頃にはもう手遅れになっている 相談というより決断の報告
人との連絡を突然断つ
→
言葉が足りないとよく言われる
→自分にとっては当然の前提が、相手にとっては未知の情報であるということが頭にない
社会活動というのは人間を、こう、通貨と集団の力で人間を結びつけ色々なものを伝達させて、人間一個体を超越した行動を取らせるためのシステムで、つまり、そこに一個体としての人格が強烈に存在すると都合が悪いわけだ、ぼくらはひとつひとつの細胞くらいのもので、同じような場所にあるものは同じような作りであるほうがいい
つまり、社会は本質的にひとりひとりの人格を尊重することをサポートしていなくて、そこに人間一個体が違和感を覚えるのは当然のことだよね
だいたい週七日のうち二日間はひとつの個体でいられるけれど、五日間はそのいくばくかを希釈して薄めて広げて社会の一部として還元しないといけない
それってあんまりおもしろくなくない?ぼくはみんなをひとつひとつに戻してあげたい。それだけなんだよ、だからこうやって何もかもをめちゃくちゃにするんだ
混沌の中では人間は一個体として存在するしかない 繁栄を望むものたちの意思なんかにこき使われる義務なんかぼくらにはないんだよ
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