No.002 ハロー地球

 シャトルが滑走路に着陸ランデイングした瞬間、僕は帰ってきた、と実感した。

 スペースコロニー内でも重力は作られていたし、大気成分の大きく変わらない。それでもたぶん……これが魂が感知しているものなのだろう。五感とは違う部分に触れる感覚で実感し始めていた。


 フォン、と柔らかな音が響き、続いて滑らかな発音でシートベルトを外すアナウンスが流れる。

 多分、この声は肉声だ。このシャトルの搭乗員はアンドロイドの使用が少ないようで、生身の人が従事している姿が目立った。

 宇宙空間はどうしても電磁波や粒子線の影響が大きい。電子機器を守る技術は飛躍的に進歩したけれど、宇宙放射線被ばくに対応した遺伝子デザインの人の方が、コストが安くなってしまった。

 やっぱり、生物が持つ進化のしなやかさは目を見張るものがある。


「ご気分は悪くありませんか?」


 微笑むCA――キャビンアテンダントの女性が声をかけてくる。

 十五という年は、子供というには大きいように思う。けれど一応まだ、保護者の管理下にあることが推奨される年で、そんな僕がスペースコロニーから地上に一人で帰還したのだから気に留められていたのかもしれない。

 もしかすると前世の記憶が蘇る症状がある、という申し送りがあったのかも。


 侵入思考と言うほどの動揺や不快感はまだ無いものの、不意の自動思考に反応が鈍くなる……もしくは一時停止してしまうのだから、注意を向けられるのも仕方がない。

 僕は微笑み返しながら落ち着いた声で返した。


「大丈夫です。地上が懐かしく感じて、少し、嬉しくなっていました」

「それは良かったです」


 そう言って瞳を細める。

 CAは多くない荷物を棚から取り出し、「間もなく雪の予報です。どうぞお気を付けて」と言葉を添えて僕を見送った。




 シャトルからの降機はステーション直結型ではなく、タラップを降りて送迎の車に乗り換えるものだった。

 事前に見聞きしていた到着地域の最高気温は2℃、湿度70%。厚い雲が空を覆い、風はさほど感じない。雪が来そうだという話の通り、微かに濡れた土やコンクリートと水の匂いを感じる。

 音の反響が違う。

 頬に触れる風のしなやかさが違う。

 閉ざされた空間とは大きく異なる、おそらく埃だとか様々な微粒子の違いなのだろうけれど、そういったデータ的なことは置いておいて僕の口を突いて出た言葉があった。


「空気が、美味しい……」


 一度、大きく深呼吸をして、肺一杯に空気を吸い込む。

 冷えた大気が僕の内側を心地よく冷やし、体中に浸透していく。

 渡り鳥が広大な海を渡り切り、辿り着いた陸地の岩の上で羽根を伸ばしながら両足で大地を掴む。これはそんな感覚だ。

 帰ってきて分かる。この星を離れられないと思う理由が。


 生物的な目には見えない、この地球でしか生み出されないエネルギーに満たされた大気は、ただそれだけでこの大地で転生を繰り返してきた魂を癒す活力になるのだろう。

 地球外生命体までもがやたらとこの星を贔屓ひいきにして、壊させまいと介入してきた気持ちも分かる。


「何億年後かには皆、旅立つのだろうけれどね……」


 呟き、タラップを降りながら、周囲をぐるりを見渡す。

 一見して、行きかう人のどれがアンドロイドで誰が人型地球外生命体かを見分けることはできない。それでも人の命と同じように、永遠に存在し続けるわけではない星での暮らしを大切にできたらと思う。


 送迎車に乗り込みシートに身を沈めて、手のひらサイズのタブレット端末を起動させた。隣の席の人が珍しそうに、チラリと見る。


 僕はまだ、様々な通信機能を視覚や聴覚神経に繋げていない。手術を検討をする前に前世の記憶が蘇る症状が再発して、機会を逃してしまったからだ。あまりにも前世の記憶や人格が強く出た場合、当時にない技術で体が大きく変化していると精神的な混乱に繋がるのだと説明を受けていた。

 スペースコロニーに住んでいるだけでも十分、当時にはない環境なのだから、混乱してもおかしくないのだけれど……。


 幸いにも今のところ、現在の人格の方が優位で大きな弊害は出ていない。慎重になるのは当然としても、希望してカウンセラーやドクターの許可が出れば、いずれ接続化することは可能なのだと聞いている。

 焦る必要は無い。ハンディタイプのデバイスで十分間に合っているのだし、今は……この五感と魂が感じるものだけでいい。


「あ……」


 幾つかのメッセージやニュースをチェックしていると、これから会う予定になっていた再従兄妹はとこからの連絡が入っていた。詳細を確認する前に、車がターミナルに到着する。

 僕は一旦タブレットをポケットにしまい、手続きを終えてゲートを出た。




 それほど大きなターミナルではないはずだけれど、コロニーとは比較にならないほど多くの人が行きかっている。人酔いしそうだ。僕はひとまず壁側に寄ってからタブレットをもう一度取り出し、現在地とメッセージを確認した。

 発信は、四歳年上と聞いている龍己たつきさんからだ。八つ年下、確か十一歳になる妹、彩音あやねさんと二人暮らしだと聞いている。


あおいくんすまない。雪の影響でターミナルまで迎えに行けなくなった。自宅までのアドレスと経路のデータを送るので、自力で到達よろしく。迷子になってどうしても辿り着けないようなら連絡して。アシスタントを送るから〉


 軽い口調の文面だ。

 それより、初めての場所で目的地まで行くように……とは。

 追伸もある。


〈多少冒険しても宇宙に放り出されないから安心しなよ。寄り道して、美味しい物でも食べてくるといい〉


 冒険。わくわくする。

 コロニーに居た頃は下手な場所に踏み込むと命の危険があった。もちろん地上だって治安の悪い場所があるだろうから、どこに行ってもいいというわけじゃないが。とりあえず重力と大気はある。

 僕はディスプレイをタップして返信する。


〈冒険、してきます。タイムアップになりましたら、アシスタントお願いします〉


 龍己さんの言うアシスタントがどんなものか分からないけれど、きっとドローン型補助AIとかアンドロイドだろう。

 僕は大まかな方角を確認すると、鞄のベルトを肩にかけなおしてターミナルを歩き始めた。






© 2025 Tsukiko Kanno.

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