1‐02
神風に乗って跳躍し、ナクトが一瞬で辿り着いたのは、樹海の中でも少し開けた場所。
そこにいたのは、幾千年の時を経て生命と邪気を得た大樹の魔物、《
そして、そのローパーの触手を懸命に躱す――一人の少女。
「きゃ、あっ……っ、はあっ!」
ナクトは今まで、ずっと一人で生きてきた。自分以外の人間など、迷い込んでくる者か、無謀な冒険者くらいで、しかも大半が気絶しているか、重傷で意識不明の者ばかり。
中には極まれに、女性の姿もあった。が、それも何年ぶりかの話である。
そもそも今、こうして動けている人間をまともに見たのなど、初めて――だが、それでも少女が、絶世の美しさを有する事くらいは、理解できる。
鎧と一体化したかのようなミニスカートのドレスアーマーから覗く、細くしなやかな四肢。その肌は上等の宝石にも負けないほど、白く煌き輝いていた。
長く艶やかな金髪は、回避のため激しく動いても、なおも美しく舞い踊っているようで――その麗しさを文字通り装飾している〝ティアラ〟は、不思議な光を湛えていて。
不意に少女が、ティアラを彩る三つの宝石の右端に、右手を添えると。
「っ――《光剣レディ・ブレイド》――!」
何と、言葉通り〝光〟で形成された剣が、少女の白魚のような手の内に収まった。
今までローパーの触手を回避し続けてきた彼女だが、もうやられっぱなしではない。
己より圧倒的に巨大な敵を、怯むことなく見据え、光の刃を真っ直ぐ構える。
「覚悟してくださいっ。――やあああああっ!」
『……!』
気合一声、少女が振るった光剣が鋭く閃いて、ローパーの触手を斬り刻み――!
「やあああ………あうっ」
『?』
……残念ながら斬り刻む事はできず、ぼよんっ、と刃は弾かれ、少女は反動で尻餅をついてしまう。
どうにも気が抜ける結果だが、人類には危険すぎるこの地で、その隙は致命的だ。
「う、うぅ、いたた……あっ。きゃっ……きゃあああっ!」
ついに少女は、ローパーの触手に両腕を絡めとられ、宙吊りにされてしまった。
「く、ううっ……やっ。は、離して、くださ、ぁ……ひんっ!?」
視覚のないローパーは、ようやく捕らえた獲物を品定めするように、少女の身体に触手を這わせている。手足を拘束され、ドレスアーマーの隙間をまさぐられ、その気持ちの悪い感触に、少女は端正な顔を歪めていた。
放っておけば、いずれ触手がその細い首まで巻き付き、少女を害するだろう。
それもまた、弱肉強食……だからとて、黙って見過ごす理由もない。
一歩、無造作にナクトが進み出ていくと、触手に拘束されている少女と目が合った。
「ひ、うぅ……え? ……えっ!? なぜこんな所に、人が……っ、そ、それよりっ」
少女は驚きながらも、ナクトへ向けて、声をかけようとしてくる。拘束されたままの姿勢で、必死に首を向けてくる少女に、ナクトは安心させようと語りかけた――
「大丈夫だ。ジッとしていろ。すぐに――」
「そこのアナタ――に、逃げてください、ここは危険ですっ!」
「………う、ん?」
――が、少女の口から出てきたのは、助けを求める悲鳴ではない。
むしろ、見知らぬ他人の身を、案じる言葉――声は震えていた、恐怖は感じているだろう。それでも彼女は、ナクトに〝逃げて〟と叫んだのだ。
その事実が、この危険領域で初めて人間と出会った事よりも、ずっと大きな驚きをナクトに与えていた。
だが、大きな声を出した振動のせいか、ローパーの触手が少女の白く細い首を探り当て、巻き付いていく。
魔物の強靭な力で、少女は喉元を締め上げられる、と。
「あっ。……う、うぁ……ひっ、んっ……ッ!」
その端正な顔が恐怖で青ざめ、魔物の無慈悲な触手が、可憐な花を手折らんと力を籠めた――その刹那。
「ぅ。………ふ、え?」
ローパーの触手は斬り刻まれ、少女は既に解放されていた。
何が起こったか分かっていないのか、きょとん、としていた彼女は、今――ナクトの両腕に抱きかかえられている事に気付き、俄かに慌てだす。
「え、あ、あれっ? ……きゃあっ!? い、いつの間に、っあ、あああの、あのあのっ」
「ん。大丈夫か? どこか、痛いトコでもあるか?」
「へあっ。あ、こほんっ……へ、平気です! 下ろしてくだ……あっ、後ろ!」
少女が促してくる通り、ローパーの残った触手が、ナクトの背後に迫っていた。
そのまま無防備な背中を、打ちのめされる……かと思いきや。
「きゃっ! ……えっ。ま、また一瞬で、場所が……」
「下ろすのは、ここでイイか?」
「あ、は……はいっ。……??」
ローパーの触手は宙を切り、少し離れた場所で、困惑するように右往左往していた。
何が何だか分からない、という表情の少女を、先程頼まれた通り……ただし安全な場所に下ろす。そして改めてナクトはローパーを見据えるが、少女がかけてきた言葉は。
「あ、あの……危ないところを助けて頂き、ありがとうございました。ですが……どうか、逃げてください。あの魔物……あまりにも強すぎます。普通ではありません」
「ん? そうか?」
「えっ? あ、はい、見ての通りで……え、っと、こほんっ。ですが先程、私を助けてくれたあなたのスピードなら、きっと逃げきれるはずです」
「ああ。それはまあ、別に逃げられるとは思うけど。じゃあ、また抱えていこうか」
「っ。……心配して、くださっているのですね? ですが、それは不可能でしょう……あの恐ろしい魔物を相手に、人一人を抱えていては、きっと逃げきれません。……わ、私の事なら、心配いりません。私には――」
気丈な笑みを見せつつ、少女が自身の〝ティアラ〟に手を添え、言い放つ。
「この〝光の神器〟――《
「でもさっき、全く歯が立ってなかったっぽいけど」
「みみ見ていたのですかー!? いえあのっ、あれはちょっと失敗しただけでっ……つ、次は大丈夫ですからっ! ……だ、大丈夫のはず、ですっ」
少女の言葉尻は小さくなり、しかも震えていて、明らかに虚勢だと分かる。
それでも彼女がナクトを庇おうとする理由は、そのまま当人の口から告げられた。
「そ、それにっ。見たところ、あなたは……何かの〝装備〟を手にしている訳では、ないようですし。そのマントだけでは、とても戦えないのは……分かっているでしょう?」
「? ……そうなのか?」
「そっ……いえ、そうですよっ。私達人間は、身に着ける〝装備〟を通して、自然界から力を借りられるのです。じょ、常識じゃないですかっ」
外界の常識には疎いナクトだが、なるほど、と少女の言葉に頷く。『装備が力を貸してくれる』という感覚は、ナクトにとっても心当たりがあるのだ。
一方、少女は改めて覚悟を固めたらしく、神妙な表情で呟く。
「さあ……もう逃げてください。そして願わくば、この地から北にある王城へ、言伝を。私の名はレナリア――〝レナリアは最後まで、戦い抜きました〟と。それだけで、伝わるはずですから。……さあ、お早く。私の事は、もう……お気に、なさらず。……っ」
少女の――レナリアの言葉は、やはり虚勢。声も、手足も、震えている。体は竦んで思うように動かないのか、姿勢も中腰の状態で、とても戦う態勢ではない。
それでも〝逃げろ〟と促してくる彼女の前に、ナクトは堂々と立った。
「レナリア。悪いが、それは自分の口から、伝えてくれ」
「……え? それは、どういう……っ、あ、危ないですよ!? 避けて――」
しつこく襲い来るローパーの触手に、レナリアもまた、何度目かの警告を叫ぶ。
だが、ナクトに焦りはない。レナリアの前に立ったまま、マントの下から手を伸ばし。
「――《
「………えっ」
右手に形成した、マグマの如き熱波を発する炎の剣で――襲い来る触手を、一瞬にして焼き落とし、炭と化してしまった。
この光景に、レナリアは目を白黒させながら、震える口から辛うじて言葉を紡ぐが。
「あ、ああ、あっ……あなたは、一体、何者……」
「ナクトだ」
「………ふえっ?」
レナリアの言葉に、簡潔に答えたナクトは、改めて自己紹介を告げる。
「俺の名は、ナクト――好きに呼んでくれて構わない、レナリア」
「! ナク、ト……ナクト、殿っ……は、はいっ、ナクト殿!」
少しは安堵したのか、初めて笑顔を見せてくれたレナリアに、ナクトは続けて言葉を投げかけた。
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