第19話 早起きは三文の徳?①

 それは早朝のことだった。たまたま、用を足しに起きたアラタがアンジェ達女性陣のテントの前を通りがかった時のことである。


「ああ……ぅん。はぁ……ん」


 テントの中から、くぐもった声が聞こえてくる。一度テント前を通り過ぎたアラタであったが、そのわずかばかりの嬌声きょうせいが耳に入るとムーンウォークの如き歩法でテント前に戻り、耳をテントに近づけていた。


「んんん……ふぅ。あ……はぁ」


 聞こえてくる嬌声を確認すると、周囲に目を配り誰もいないことを確認して再びテントに耳を付けるアラタ。

 その間一切物音を立てず、まるで忍者の如き洗練された動作であった。


「くぅ……うん。んんん!」


 艶めかしい声が一層強くなり、聞き耳を立てるアラタの興奮も急上昇、鼻息は荒くなり目は血走っている。

 もしもこの状況の目撃者がいたら、まず間違いなく通報される案件だ。

 当の本人も自分が人としてやるべきではない行為をしていることは重々に承知していた。

 しかし、今までろくに女性と関わって来なかった、思春期の少年にとって鼓膜こまくを通じて脳に打ち込まれたこの情報を無視することなど到底できなかったのである。


(一体この声の主は誰だ? アンジェか? トリーシャか? どちらにしろ、なんつーエロい声なんだ! 中は一体どういう状況になってるんだ? ……もしかして誰かと?)


 伝わってくる情報が聴覚のみであったのが、かえってアラタの想像力を掻き立てる。

 もはや思春期の少年の妄想を止めることは自分自身にも不可能であった。

 しかし、その一方で自分の知り合いが、今想像している行為に及んでいた場合、後で顔を合わせた時に実に気まずいという思いも見え隠れし始めていた。

 今の状況を継続するか否か、女性テントのすぐ側で人知れず葛藤かっとうする少年であったが、転機はすぐに訪れた。

 思考を巡らしている間に魔王軍の面々が少しずつ集まり出したのである。

 アラタの視界には、現在見張りをしているバルザスとドラグ、朝っぱらから腕立て伏せをしているロック、さらにはトリーシャの姿が見受けられる。

 今テントの中にいるのはアンジェに確定した瞬間であった。

 先程の嬌声とアンジェの姿を思い起こし、顔を真っ赤にする思春期真っ只中の少年。

 しかし、ここである事実に気が付く。先程まで、アラタが寝ていたテントでは、セスが隣で爆睡していたのである。

 つまり、この女性用のテントの中にはアンジェ1人のみがいることになる。


(…………それは、つまり……そういうことだよね)


 興奮よりも気まずさが打ち勝った少年が、その場から離れようとした瞬間、いきなり腕を掴まれテント内に引きずり込まれる。

 倒れ込んだアラタが慌てて起き上がろうとすると、すぐ目の前にネグリジェに身を包んだアンジェの姿があった。

 胸元が大きく開いたその姿に、慌てて目をそらす少年とは打って変わって、目の前の少女は実に落ち着いた様子である。


「おはようございます、アラタ様」

「お、おはようございます、アンジェさん」


 挙動不審の魔王をジッと無言で見つめ続けるメイド。この状況がどれほど続いたであろうか、気まずさに耐えかねたアラタが口火を切る。


「まだ朝早いけど、もう起きたんだ?」

「はい、もう少ししたら朝食の準備がありますので、先程目を覚ましたところです」

「そっ、そうか、いつも美味しいご飯ありがとね」

「痛み入ります」


 食事関連の話題になり、この場の雰囲気が少し変わった事でアラタは少し安堵した。

 だが、アンジェの方をちらりと見ると、その胸元に赤い痕が複数あることに気付き目を見開く。


(あれって、もしかして噂に聞くキスマー……)


 アラタの視線に気が付いたアンジェは、彼が思考するよりも先に胸元の痕について説明を開始した。


「これが気になりますか? ふふ、アラタ様のご想像通りのものですよ」

「ええええっ!? だって、ここにはアンジェ以外いないんじゃ?」

「あら? どうして私しかいないとお分かりになったのですか?」

「いやー、それは、ほら! 皆起きてきてるし!」

「さすがアラタ様ですね。各々どこにいるかを常に把握しているのですね」


 アラタの頬を冷や汗が流れ落ちる。彼女が探りを入れていることは明白だ。

 もしかしたら、先程までテントの外で聞き耳を立てていたことを疑っているのかもしれない。

 何とかぼろを出さずにテントを脱出しようと試みるも、出入り口の前にはネグリジェで武装したアンジェが通せんぼをしていて、力ずくで外に出ることは難しい。

 両腕を身体の前で組み胸を押し上げるようにして、その存在をやたらと強調しており、明らかにアラタを挑発しているようであった。

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