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第5話 名前

マリンスノーにおけるレネゲイド災害の翌日

横浜市 MM地区 ランドマークタワー


MM地区にそびえ立つ日本有数の高層建造物。

横浜のシンボルの一つともいえるそのビルの中に、UGN MM地区支部はその拠点を有していた。


そして大型モニターの備え付けられた、支部の会議室に集められた二人。

垂眼は行儀良く座り、黒鉄は気怠そうに部屋の隅で壁に寄りかかる。

空気は異様なほどに張り詰め、少年はその空気に耐えきれず声を発する。

「あ、そういえばあん時はありがとうございました」

「……互いが生き残る為に必要なことをしただけだ。礼などいらん」

「あ、そうすか……」

あまりにも淡々とした無愛想な回答。少年は言葉を失い黙り込んでしまった。


再度張り詰めた空気。

少年は再度声を発することなく、前を向き座り直そうとした。

と同時、

「そういえばお前はあの男、ヴァシリオスと1対1で交戦したと聞いたが」

今度は青年から口を開いた。

「あ、はい。まあ全然歯は立たんかったすけど」

「何故あの時、退かなかった?」

問いかけ。

垂眼は一瞬答えに躊躇った。

「え、だって、女の子がいましたし、逃げるわけにはいかないじゃないすか」

彼にとってはあまりにも当たり前の事で、これが合っているのかわからず。

「……そうか」

加えて彼の態度も併せて余計謎を深めていった。


そんな空気を打ち破るようにドアが開かれる。

「二人とも来てくれてありがとう」

初めに入ってきたのはMM地区支部のトップ、尾張禅斗。

「失礼する」

「失礼します」

そして後ろから、あの時マリンスノーで共闘したマリアと、眼鏡の女性『アイシェ・アルトゥウ』が続いた。


「本日より君達と作戦を共にする事になった"レネゲイド災害緊急対応班『マルコ』の隊長、刻塔マリアです。よろしく」

「同じくR災害緊急対応班『マルコ』の副隊長を務めております、アイシェ・アルトゥウと申します。宜しくお願いします」

「私は知っての通り尾張禅斗。通称Z斗だ。終わりを司る文字、Z斗で尾張Z斗だ。よろしく」

「内藤です。ただの内藤です」

「イリーガルの黒鉄蒼也、コードネームはフルグルだ。よろしく頼む」

自己紹介を終えた彼ら。アイシェは前に立ち、それぞれがそれぞれの席に座った。


「それでは隊長、私の方から説明させていただきます」

「ああ、頼んだ」

正面のモニターに映し出される横浜市内のマップと数々のバツ印。

「今日未明から横浜市内では"エレウシスの秘儀"が原因と思われる人々の生命力枯渇と、それに伴うオーヴァードへの覚醒及びジャーム化する事件が発生しています。対応に向かった周辺のUGN支部のエージェントが全滅。"マスターレギオン"が原因であることは間違いありません」

「まあ、めちゃくちゃ強いですもんねあいつ」

「はい……しかしマリンスノーでの消耗もあってか破壊活動も小規模のものとなっております」

「できればこのタイミングでトドメを刺しときたいが、潜伏場所についてはわかってないのかな、眼鏡の似合う素敵なお嬢さん」

「私の部下に手を出すのは許しませんよ」

「えっ……とですね、潜伏場所に関しては依然不明です……。ただ消耗の具合から3日ほどは大きく動いてくる事はないかと」

「それまでに戦力を立て直す必要がある、ということか……」


「それと、垂眼さんが保護した少女ですが、MM地区支部の救護室で治療および検査中です」

画面に映し出される少女のカルテとデータ。

「また詳細は依然不明ですが……レネゲイドビーイングである事が判明しました」

レネゲイドビーイング、それはレネゲイドウイルスが意志を持ち、人の形を取って活動する様になった姿。

「まあ、なんかそんな気はしたな……」

「ただ、その言いにくいのですが……」

言い淀んだアイシェ。怪訝な表情を浮かべ、だが伝えるべきことを彼女は口にした。

「どうやら、これまで道具扱いをされてきたようで……一般常識も、それどころか名前さえも与えられてなかったようです……。酷いことを……」

誰しもが言葉を失う。

その小さな身体が負うにはあまりにも、過酷な運命だ。

「これは流石の内藤も許せんな」

怒りを露わにする垂眼。

全員が口にはしなくとも、その思いは同じであった。


「それとエレウシスの秘儀についての詳細な情報はまだ分かっていませんが、少女が何かしらの鍵を握っていると思われます」

「まあ確かにそんな気はしますわな」

「そこで皆さんには彼女と接触していただき、情報を得てください」

「……なるほど、な」

「それと、私個人の要望ですが彼女のケアもお願いします」

「ああ、勿論だ」

「当たり前だ!!」

皆の意思は一つに。アイシェもそれを見て安心したのか小さく笑顔を浮かべた。

「それでは失礼します」


そしてその場には4人が残された。

「……名前、か」

「名前をつけると情が移るぞ」

「何を言うか!!まずは人として扱ってやらねばならんだろう!!その誠意無くして、我々に正義などない、あるものか!」

「落ち着け、支部長」

「んまあ、でも俺も支部長には賛成ですよ」

「名前がなければどう呼べばいいかも分からんしな、そこについては同意だ」


そうは答えていたが、黒鉄は複雑な顔を浮かべていた。

「……ただ悪いが俺は人の当たり前については疎くてな。名前については皆に任せたい」

「分かりました」

「ああ、その辺は任せてくれ。もう既にいくつか候補は思いついている」

自信満々に答える禅斗。黒鉄はならば安心といった様子で、続けて口を開いた。

「支部長、給湯室か厨房を借りて良いか?」

「ああもちろん、カップラーメン、焼きそば、チャーハン、なんでもよし!!」

「……助かる。子供が気に入りそうなものを作ってくるよ」

彼はそう告げると部屋から静かにドアを開け、部屋から去っていた。


「さて、私が思いついた名前だが……」

禅斗支部長は紙を取り出し、それに幾つもの名前の案を書き綴っていく。

「ふむ、英名ならばアルファベット表記もしておくべきだろう」

マリアがカタカナの名前の下にアルファベット表記を記載していく。

そして一つの名前が記された時、

「……あ、これ良いじゃないんすかね」

彼がその一つに指を刺し、皆がうなずいた。


「よし、それでは行くとしようか」

「ういっす」

「ええ、行きましょう」

彼らも一つ丸のついたその紙を持ち、部屋から徐に出て行った。



医務室、そのうちの療養用の部屋は会議室とは別フロアに設けられており、その一つに少女は保護されていた。

「失礼するよ、お体の具合はいかがかな」

「おっす、どうも」

禅斗を先頭にして3人が部屋へと入る。

少女は彼らに気付くが、なんとも言えぬ表情を浮かべる。

「驚かせてしまったね。私は禅斗、ここの支部長だよ」

「俺は内藤、ただの内藤だよ」

「私はマリアです」

「え……と、ええと、待ってくださいね」

少女は真新しい手帳を取り出し、ボールペンで彼らの名前を書きつけた。


ただ、少女はその先を続ける言葉がないようで、言葉が喉の先で詰まっているようだ。

「その、えっと……私、名前が———、」

「"イリス"、だ」

「え……?」

彼女の言葉に被せるように、禅斗が続けた。

「君は、今日からイリスだ」

「イリ……ス……」

「こう書くんですよ」

マリアが丸のついた紙を見せ、彼女の手を取って共にその名をノートに書き綴る。

「イリス……イリス……!!」

「ああ、よろしくな、イリス」


イリス、それは確かに彼女を示す、希望に満ちた名前。

そしてこの時彼女の、イリスの人生が刻まれ始めた……


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