前日譚

黄昏の理想と蒼き正義

青年はナイフを携え、ライフルを背負い列車に乗る。

列車の名前は『寝台列車マリンスノー』。

豪華寝台列車であり、数多もの旅行者がその列車に乗るためと日々の稼ぎを費やし、様々な期待を膨らませ乗り込んでいた。

しかし彼の表情は鉄仮面をかぶったように微動だにしなかった。


彼は、ある目的の為にその列車へと乗り込んでいたのだ。

『マスター』

軽快な声で彼に話しかけたのは黒曜石のペンダント。

「不用意にしゃべるなと言っただろう、アリオン。それに俺はマスターでは無い」

『いいじゃないっすか。折角の寝台列車なんだから楽しみましょうぜ?』

その宝飾を模した存在はレネゲイドビーイングの『アリオン』。

ひょんな事から青年の新たなる相棒として行動を共にするようになっていた。


「忘れたか。俺たちがこれから相手する奴は理想のため幾つもの支部を単独で潰してきた男だ。油断するわけにはいかん」

『わぁってますよ。ただ、いくら因縁深いからってそこまで堅くなるのもよくないでっせ。実際どこまで深いんですか?』

青年は、一度足を止めた。

そして幾ばくかの無言の後、

「……かつて、同じ想いの下で戦った仲だ」

青年は一瞬だけ憂いをその瞳に浮かべ、静かに答えを口にした……


—————————————————————


2年前 ベルリン


太陽は雲の向こうでぼやけた、真っ白な空の下。

空全体を覆うシーツからすり抜けてきた光だけが街を照らす。


ギリシャ人らしき黒髪の男はビルの上から街を見下ろす。

その視界の先にはUGNベルリン支部。彼はそれを憎しみに満ちた瞳で見つめる。

「貴様が"マスターレギオン"か」

声をかけたのは青年、と言うには少し若い、黒のロングコートを羽織った男だった。

「君が日本から派遣された対UGN部隊『ルプス』の隊長、"ヌル"だな」

「ああ」

「……それにしても、その若さで"マスターリーパー"とまで呼ばれるほどの実力を持っているとは、余程苦労したんだろう」

「貴様ほどじゃ無い。俺はただ、命令のままに殺し尽くした結果、そう呼ばれるようになっただけだ」


青年はコートのポケットからタバコを取り出し口に咥える。

ライターで火をつけようと何度もホイールを回すが、うまく火がつかない。

「火を貸してもらえないか」

「構わない」

男は薄汚れた旧いライターを青年に手渡す。

性能には問題がなく、無事タバコからは白い煙が空へと伸びていった。

「若い日本人はタバコを嫌うと聞いていたが、君は愛煙家なんだな」

「……別にタバコが好きなわけでは無い。ただこの煙は余計な感情や記憶を呑み込んで消し去ってくれる。前線で指揮をする以上、思考は最低限に抑えたいからな」

「指揮官が前線に出て戦う、か。君は大分変わったエージェントだな」

「アンタも似た様なものだろう。元イスラエル軍超常部隊隊長、『ヴァシリオス・ガラウス』」


マスターレギオン、ヴァシリオスは青年の言葉に対して表情は変えずとも、厳かな雰囲気を纏わせながら答えた。

「……調べたのか、私の事を」

「アンタだけじゃない。アンタ達のことを調べた。アンタ達がどれほどの地獄にいたか。アンタがどれだけ仲間達を救おうとしていたか。どれだけ理想と不平等な現実に絶望したか。そしてアンタがイスラエル軍から消える直前に、如何に強力な力を得たかもな」

青年はタバコを蒸しながら淡々と語った。

ただ彼の声色には、どこか同情の様な念も混じっていた。


「……君は、この世界の不平等をどう思っている?」

「……オーヴァードとそうでない者の間の格差、か」

「ああ。私はその不平等を無くすため、同胞達と血を流しながら戦い続けてきた。私は君という若者に問いたい。君は、この世界はこのままでいいと思うか?」

青年は問いかけに対しタバコの火を消し、静かに答えた。

「……この世界には不満だらけだ。あんたの言う不平等に対しても、許されざれるべき悪が蔓延る世界にも辟易としている。だから俺は、他人を傷つけ利用する紛い物の正義を否定し続ける。アンタと同じように、死んだ奴の為にな」

青年声は悲しげで、それでいてその蒼き瞳に覚悟を宿していた。


「君とはもう少し話をしていたかったが、時間のようだ」

「……ああ」

二人は武器を構える。

ヴァシリオスは自らの血による赫き剣を。

ヌルは、ナイフと拳銃を。

瞬間、ヴァシリオスの周りに従者が現れる。

まるで生きた、本物の彼の仲間のような従者達が。

「始めるとしようか、マスターリーパー」

「ああ」

二人のマスターを冠するエージェントが地へと降り立つ。


決して正しき行いではない。

されど、それを知っていてもこの世界を許せなかった。

故に彼らはその理想を胸に宿し、己が正義の為戦い続けた————


—————————————————————

現在


青年はスイート車両のドアの前に辿り着く。

徐にパーカーのポケットからココアシガレットを取り出し、一つ口に咥える。

『マスター、ふと気になったんですけど何でココアシガレットなんすか?甘いのが好きなイメージもないんすが』

「昔は任務の前にタバコを吸っていたんだが、金輪際吸うなと言われてしまってな。意外と口寂しいと任務に集中できなくなるから代替品で我慢しているだけだ」

青年は淡々と答え、その両手に武器を取る。

「というか、気軽に話しかけると言っただろ。」

『いいじゃないっすか。緊張が解れたみたいですぜ?』

「……どうもアイツを思い出す」

『ん?』

「いや、独り言だ」


刹那、車両のドアが開いた。

『……バレてたみたいすよ』

「それならそれで好都合だ」

青年は躊躇いなく部屋に足を踏み入れる。

『罠かもしれないんですぜ!?』

「その時はそれをも乗り越え奴を殺す。それが俺の任務だ」

その足取りに迷いはなく、彼は足早に中へと入っていった。


「久しぶりだな、マスターリーパー、ヌル」

そして中で待ち構えていたのはマスターレギオン、ヴァシリオス・ガウラス。

「ああ、ベルリン以来か」

その場を支配する唯ならぬ緊張感、それは物腰柔らかな様子からは想像できぬ二人から発されていた。

「君はかつて、紛い物の正義を否定し続けると言っていたな」

「……ああ」

「君にとって、我々の理想は否定に値するのかい?」

「決して紛い物とは言わんさ。ただ——」

青年はナイフを構え、ヴァシリオスを睨み答えた。

「俺の信ずる正義と、貴様の信念が相入れなかった。それだけの話だ」

「……そうか」

ヴァシリオスは少し残念そうな表情を浮かべ、次の瞬間には従者、『レギオン』らを呼び出した。


「君が我々の信念を否定するならば、全力で叩き潰すだけだ」

「話が早くて助かる」

青年は雷を纏う。蒼き、空をも焼き尽くさんその雷を。

「始めようか、ヌル」

「……悪いがそれはもう、かつての名だ」

瞬間、雷纏いし刃が目にも見えぬ、音にも聞こえぬ速さでレギオンを切り裂いた。

「俺は"フルグル"……。貴様の命を刈り取る、"蒼雷の死神"だ」

「その実力は変わらず、か。全く、君は変わった男だ……!!」


ぶつかり合う信念と正義。

かつて肩を並べた二人は今向き合い、大切な人から遺された力を全力で互いに放つ。

ただ己が信ずる物のために。


そして今、『エレウシスの秘儀』を巡る戦いが幕を開けた……


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