第283話

 草津で一番びっくりしたのは、朝の空気の冷たさだった。


 布団からはみ出している足がカチカチに固まっている。

 まるで自分の体じゃないみたいに。


 そっか。

 ここは山の上。

 リョウが暮らしている場所より標高が1,000mは高い。


「うぅ……さぶ……」


 布団の中で丸くなる。

 鼻から下を隠しちゃって、カレンダーを1ヶ月進めたような寒さに抵抗した。


 いま何時だ?

 携帯をチェックすると朝の5時だった。

 心地いいまどろみの中で、楽しかった記憶を再生してみる。


 昨夜はおいしい料理に舌鼓したつづみを打った。

 地元の野菜をふんだんに盛り込んだ鍋を出してくれて、囲炉裏を囲んでわいわい話しながら食べた。


 あと、魚の塩焼き。

 串に刺したヤマメを囲炉裏の火でじっくり焼いたのだ。


 きれいな自然の中で育ってきたヤマメは、クセがまったくなくて、渓流けいりゅうの女王といわれるのも納得の味だった。


 食後は温泉につかって、寝るまでダラダラ遊んだ。

 将棋の駒でドミノをやったり、挟み将棋でバトルしたり。


 盛り上がったのは、レンが教えてくれたまわり将棋。

 サイコロの代わりに金将4枚を振る、双六すごろくのようなゲームである。


 まわり将棋のルールは調べたらたくさん出てくると思うが……。


 プレイヤーは将棋盤の角のところに歩兵をセットする。

 これが自分の駒で、最大4人まで同時に遊べる。


 やることは単純。

 金将を4枚投げて、表になった枚数だけ進める。


 注意しないといけないのが、投げた金将が1枚でも盤から落ちたら、失敗となり進めない。(ションベンという)

 金将と金将が重なっちゃっても失敗。(クソという)


 一周したら歩兵から香車に昇格する。

 さらに一周したら香車から桂馬に昇格する。


 歩兵⇨香車⇨桂馬⇨銀将⇨成銀(銀将を裏返したやつ)⇨角行⇨飛車⇨王将 という順番。

 王将になって一周したらゴール。


 ルールだけ読むと退屈そうなゲームなのだが。

 まわり将棋をおもしろくさせるのはギャンブル性の高さ。


 金が横に立つ ⇨ 5マス進む

 金が直立する ⇨ 10マス進む

 金が逆立ちする ⇨ 100マス進む


 つまり、一発逆転のボーナスが用意されている。


 わりと立っちゃうのだ。

 一撃必殺の逆立ちは1回も出なかったが、2枚くらい直立しちゃうことは何回かあって、最後まで勝負がわからないワクワク感があった。


 あと、リョウが個人的に気に入ったのが、おんぶというルール。

 他プレイヤーと一緒のマスに止まったとき、次の1回だけ、相手が進んだ分だけ、自分も便乗して進めちゃうのだ。


 だから、おんぶ。

 誰が発案したルールか知らないが、愛嬌あいきょうたっぷりのシステムじゃないだろうか。


 まわり将棋はアキラが強かった。

 運が試されるゲームは、なぜかアキラが勝つ。


「……起きるか」


 6時になったのを確認して布団から抜け出した。


 アキラとレンを見る。

 仲良く手をつないで寝ている。


 レンがべったり甘えるかと思いきや、アキラがレンを湯たんぽ代わりにしており、昼間とは立場が逆転していた。


 とりあえず、お手洗いへ。

 ほうじ茶のサービスがあることを思い出し、ポットから熱々の一杯をもらっておいた。


 おいしい。

 寒い朝には、ホカホカのほうじ茶がよく合う。


 温泉風呂を見にいくと、6時から利用OKと書かれている。


 よし! 入るか!

 朝風呂なんて、お宿の醍醐味だいごみみたいなものだし、入浴しないのはもったいない。


 アキラとレンを起こさないよう部屋からタオルを持ってくる。

 シャワーで体を流して、いざ、名泉の中へ。


 いいな〜。

 リョウも草津に住みたいな〜。

 マンガの原稿なんて、今どきネットで送れるしな。


「これが日本三名泉の実力か」


 世の中、良いニュースよりも、悪いニュースが多いけれども……。

 温泉でゴロゴロしていると、この国が一番だよな、と再認識できちゃう。


 ふいに脱衣所から物音がした。

 民宿のおばあちゃんかな? と思ったが、それなら、入りますよ、と一声あってもよさそう。


 アキラかレンだよな?

 ピンク色の妄想をしてしまい、リョウの心臓のペースが早くなる。


 服は脱ぎ散らかしている。

 布団だってもぬけのからだから、リョウが入浴していることに気づいているはず。


 マジか。

 朝から混浴か。


 女性キャラが入浴中に、男性キャラがうっかり……。

 そんなドラえもん的展開はマンガでちょくちょく見かけるけれども、今回は逆のパターン。


 どうしよう……。

 向こうが入ってきたら、ちょうど出ようと思ったところ! といって退散するか。


 それが安全だよな。

 レンの裸を見ちゃったとか、アキラにバレたら、残りの旅行が台無しになりそう。


 それとも、あれか。

『一緒に入ろうぜ、リョウくん!』

 サプライズ的にアキラが登場するパターンか。


 ありえる。


『照れるなよ!』

『僕とリョウくんの仲じゃないか!』


 アキラならいいそう。


 よし! 来るなら来い!

 そっちが全裸で来るなら、こっちも全裸で迎え撃ってやる!


 浴室のドアが開いた。

 白くてきれいな足が侵入してくる。


「カナタ先生、おはよう」

「ッ……⁉︎」


 体にバスタオルを巻きつけたレンが、眠そうな目をゴシゴシしながら入ってきた。

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