第181話

 リョウは右手にペンを持ち、氷室さんの口からどんな言葉が出てくるのか、全身を耳にして構えていた。


「うんうん、いいね、そよ風。カナタ先生、やれば普通に風を表現できるじゃん。へぇ〜、植物を描くのも上手いね」

「いや〜、色々と描き方を調べまして……」

「やっぱり器用だな」


 リョウは、アハハ、と苦笑いする。


 氷室さんの良いところは、何といっても、絶対に褒めてくれるところ。

 新人のプライドをたっぷりと満たしてくれるから安心感がある。


 アメとムチの割合は8対2かな。

 もちろん、アメ2に対して、ムチが8だが。


「でも、背景をがんばりすぎちゃって、キャラクターよりも、周りの景色の方が際立っているよね」


 グサッ!

 心に10のダメージ。


「何事もバランスが大切だからね。今回のマンガを、食べ物にたとえるなら、ピクルスが10枚くらい入ったハンバーガーだよ。俺はパティが食べたいのであって、キュウリの酢漬けを食いにきたんじゃないぞ、みたいな」


 アキラが、ぷっぷっぷ、と失笑している。

 おい、そんなにウケるか、失礼だな。


「あと、ペン入れの下手さは相変わらずだな。ペン入れしたらキャラクターが死んじゃう病は、これから解消していくとして……」

「えっ⁉︎ 死んでいますか⁉︎」

「うん、死んでいる。下書きとの落差が激しいから」


 グサッ!

 心に20のダメージ。


「特に目だね。キャラクターの視線。ビミョ〜に読者とズレているんだよね」

「はぁ……読者とズレ?」


 氷室さんは小太りの体を揺らしながら、タタタッと自席まで走っていった。

 有名なラブコメを片手に戻ってくる。


「これは絵の上手さに定評がある先生の作品なのだが……」


 主人公が決めゼリフをいうとき。

 または、ヒロインが愛情表現するとき。


「ほら、読者と目が合うよう、ちゃんと瞳がこっちを向いているだろう」

「たしかに……」

「カナタ先生はね、読者と視線を合わせているつもりだろうけれども、微妙にズレているんだ」


 グサッ!

 心に30のダメージ。


 氷室さんは原稿をすべて点検してくれた。

 このコマは1ミリ右に、このコマは2ミリ上に、みたいな感じ。


「ハイハイハイ! 全部が全部、読者と視線を合わせりゃいい、てわけじゃないんですよね?」


 アキラが質問する。


「そうそう。良さげなシーンだけ合わせる。その時に、主人公とヒロインの身長差をちゃんと意識して、角度をつけること。アオリやフカンというんだけれども……。これが苦手なせいで、キャラクターの魅力をまったく活かせない新人さんは多いから」

「ふむふむ……」


 この話、マンガの教科書にのっているレベル。

 知識は頭に入っていても、まったく実戦に活かせていない。


 くそっ……。

 マンガって難しいな。

 いや、リョウが下手くそなのだが。


「あと、直してきてほしいのはね〜」


 そんな感じで課題をいくつかもらった。

 次に会うのは2週間後の土曜日。


「そうそう、いま新人賞の原稿が、どんどん届く時期なんだけどさ」

「それって、俺や折田が前回に応募したやつですか?」

「うん、カナタ先生の回はレベルが高かったね。今回は全体的に小粒というか……。まあ、波があるのが、新人賞なのだけれども……」


 くぅ〜。

 ジューゴとバッティングしなけりゃ、リョウの金賞もあったってことかな⁉︎


「みんな年齢がマチマチだし、金賞とか佳作とか、2年くらいしたら意味を持たなくなるから、過去のことは気にせずがんばってくれ」

「あの、氷室さん、このブース席、もう少し利用してもいいですか?」

「うん、20分したら、次の予約が入っているはずだから。それまでには空けてくれ」


 荷物をまとめた氷室さんが去っていく。

 リョウは手帳を広げて、やるべきリストをまとめた。


「むむむむむ……」


 アキラが隣のブース席を気にしている。


 ファミレスで見かける子どもかよ。

 膝立ひざだちになって見ず知らずの人を見下ろすなんて。


「おい、失礼だから、やめろって」

「四之宮レン先生がいる」

「えっ、マジで」


 本当だ。

 すらっとして、髪を二つ結びにして、小顔で、表情のうっす〜い女の子がアキラを見上げている。


 担当の竜崎さんを待っているのかな。

 目をトロンとさせて、ちょっと眠そう。


「どうも」


 天才ガールはぺこりと頭を下げてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る