19.約束

 夜明け前の闇に包まれた森の中に、大量の暗殺者の死体が転がっている。

 死体に囲まれるようにして大量の血のついた青いフェルトの上着が地面に落ちている。馬に乗った四人の男が、ランタンの明かりの元で上着を取り囲んでいる。


 顔を目の下まで布で覆ったローブの男と、その手下らしき男たちだ。手下は濃い灰色に銀糸の飾りが付いた、カーモスの軍服を着ている。


「ユタカ・アトレイドの暗殺は確実では無かったのか? 幾ら金を積んでも構わないと言っただろう」


「可能な限り集めた暗殺者を全員一度に向かわせたのですが……」


「その結果がこの通りか。失敗の言い訳はいらないな」


 ローブの男は腰の剣を抜刀してそのまま手下の首を斬りつけた。血を吹いて倒れた男はそのまま、死体の一つとして倒れ込む。

 残された手下たちは息を飲んだ。


「この上着、ユタカは負傷しているな? 一人じゃなかったのか?」


 ロープの男が手下の一人に向かって言う。


「一緒に女がいました。その方が守りが手薄になると踏んで狙ったのですが、その女が負傷したユタカを馬で連れ帰ったようです」


「馬に乗れる女だと? 近衛兵か?」


「いえ、前日に嫁いで来た妻のようです。何でも、カーモスからの難民だとか」


「カーモスの裏切り者か。育ちの悪い女だな」


 別の手下が馬で走ってきて、ローブの男に報告しにした。


「ここから少し離れたところで倒されている暗殺者が三人程いました。長剣以外の武器で殺されています」


「どういうことだ? その女の他にユタカに仲間はいなかった筈だろう」


「ええ、そのはずです。恐らく、報酬で揉めて暗殺者仲間内で殺し合いになったのでは無いでしょうか。かなりの高報酬でしたから」


「……まあ、そんな所か。死体は入念に片付けるんだ。すぐ足がつくからな」


「分かりました」


 ローブの男は手下をそのままに残し、馬で立ち去った。


 —


 サザは鳥がさえずる声で目覚めた。部屋の中は既に昼間のように明るくなっている。ずいぶん寝坊してしまったようだ。


 ユタカは先に起きたようで、既に軍服に着替えて椅子に座っていた。軍服は群青色の上等な地の詰め襟の上着とズボンで、肩と腕に金糸の飾りがある。イスパハルの国軍や近衛兵が、正式な職務の時に来ているものだ。

 ラフな格好のユタカしか見たことが無かったサザは雰囲気の違いに驚いたが、着慣れているようでよく似合っていた。

 この人は長身だし、程よくがっしりした体軀だから服は何でも似合うのだろう。サザは少し羨ましかった。


「おはよ。よく寝てたから起こさなかったよ」


「おはようございます……」 


 サザは昨夜のことを思い出した。

 ユタカがサザの身体を縋るように掻き抱く様は、彼のこれまで負ってきた深い傷を思い起こさせるのには十分だった。ユタカはサザを胸に抱きしめたまま、明け方にはまたちゃんと眠りにつけたようだった。

 とはいえ、ベッドで身体を抱きしめられるのは、抱きしめる以上のことを求められる流れである。サザはそういう雰囲気になったらどうしよう、心の準備が、と身構えていたが、「抱きしめてもいい?」と聞いたユタカは本当に、サザの身体を抱きしめただけだったのだ。

 サザは肩透かしを食らいつつも、ユタカの実直さに対する自分の浅ましさを反省せざるを得なかった。


(この人は、普通の人なんだ。あれだけ強いと何も怖くないのかと思ってしまってたけど。そんなことないから、辛い目にあったら普通の人と同じ様に苦しむんだ。国一番の剣士と言っても、心の優しい普通の男の人だ)


 サザはそんな当たり前のことが分かっていなかった自分が恥ずかしかった。


「ローラが気を利かせて部屋まで食事を持ってきてくれたんだ。おれはもう食べちゃったけど」


「そうでしたか、寝坊してすみません」


 ベッドの上にユタカが朝食のトレイを置いてくれたので、朝食の甘いパンをもそもそと食べてお茶を飲んだ。


「もう出かけられるのですか?」


「ああ、城の皆に顔を見せてくるよ。心配かけただろうから。で、昨日の今日で悪いんだけど、今日は結婚式なんだよな。こんな事になるとは思わなかったから、予定を変えられなくて。もうすぐローラ達がドレスを着せてくれるはずだから、準備ができたら馬車で町の教会まで出かけよう」


「分かりました。しかし、昨日のことですが……何か心当たりはおありですか?」


「いや、無いんだ。朝一で近衛兵に、現場に何か手掛かりが残っていないか調べに行ってもらったんだけど、もう死体は跡形もなく綺麗に片付いてたらしい。近衛兵を王宮にやって、陛下にも報告したよ」


「そうですか……」


 暗殺者は事後の片付けまでは請け負わないのが普通だ。そこまできちんと準備しているなら、依頼者はよほど暗殺者を使い慣れているようだ。


「領主になってすぐに何回か暗殺者に襲われたことはあったんだけど、最近は無かった。それに、あんなに大人数の暗殺者に一度に襲撃されたことは無かったな。あの森は町の人も気軽に行く場所だから、安全だと思ってたんだ。そこを突かれたんだろうけど」


 ということは、ユタカを暗殺しようとしている依頼者は失敗を重ねたために、今度は確実に殺そうと、時間をかけてこれだけの人数を準備してしかけたのだろう。


 しかし、依頼者は一体誰なのだろう。

 イスパハルの国民がユタカを殺す意味がないので、考えられるのはカーモスの人間だが、戦争で負けたばかりなのにそんな力がある者が残っているだろうか。サザには思い当たる人物がいない。アンゼリカ達なら思いつくだろうか。

 

「サザ」


「あ、はい。何でしょう」


 ユタカは椅子から立ち上がり、サザのいるベッドに腰掛けた。こちらと真っ直ぐに目線を合わせる。その真剣な表情にサザは思わず息を飲んだ。


「こんな事があってもおれと一緒にいてくれるのなら。おれは何があっても絶対にサザを守るって、約束するよ」


「……ありがとうございます」


 ユタカが本気で守ってくれるなら、きっとサザは何があっても生き残れる。ユタカは、傷ついてしまうけれど。


(私も、領主様がこれ以上傷つかないよう、絶対に守ろう)


「おれはそろそろ行くよ」


 ユタカはそう言ってサザのくせっ毛をくしゃっと掴むように撫で、えくぼを見せると、部屋を出て行った。


(頭、撫でられた……)


 部屋には、ベッドの上でほのかに赤面したサザだけが残された。

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