暗殺者の結婚
萌木野めい
イスパハル歴223年
I.廃業と転職
1.失業
サザ・アールトは、馬車の窓枠にぼんやりと頬杖をつき、深緑の瞳に外の景色を映しながら、今日何回目か分からない溜息をついた。
着慣れない豪奢なワンピースを着た身体は座っていただけなのにくたくたに疲れてしまった。
今日はかれこれ半日ほどこの状態でいて、もうすぐ日が暮れる。目的地の領地イーサ……サザの嫁ぎ先まではあと少しだ。
(暗殺者の私がよりによって、この国一の剣士と結婚するなんて。意味分からないよな。私も分からないし)
―
表向きにはサザ・アールトは、亜麻色の癖毛を肩まで伸ばした、そばかすに深緑の瞳の二十一歳の町娘だ。
この大陸の二大王国の一つであるイスパハル王国の王都、トイヴォの繁華街にある酒場で、幼馴染みのカズラ、アンゼリカの二人とともに住み込みで働いている。小柄だがきびきびとよく働くと近所でも評判の、明るい娘だ。
しかし実際は、この三人は右に出るものは居ないと言われたの腕前の暗殺者であった。腰までの長い黒髪に切れ長の赤い瞳のカズラは古武術と居合の使い手、明るい金髪のお下げに空色の瞳と浅黒い肌のアンゼリカは変装と毒殺の名手だ。そしてその中でも最も腕が立つサザは、ナイフ暗殺の天才だ。
元々、イスパハルの敵対国であるカーモスの暗殺組織に子どもの時に拾われて暗殺者として育てられた三人は、組織での酷い扱いに耐えかね、決死の覚悟でカーモスの国境を抜け、イスパハルに難民として逃げてきた。
三人は自分達の勝るものはいない腕前の暗殺者だという自負があったが、暗殺はあくまで、生き抜くために仕方のないことだった。生きるためにただひたすらに組織の命に従い、夥しい人数を殺し、血を浴び続けた自分が得られたものは、ただ、自分へのおぞましさだけだった。
イスパハルで国籍を得て、運良く酒場での仕事にありついて暮らしを立て直したサザ達は、これからの人生は『普通の娘』として生きていくことを決め、暗殺者であった過去は封印し、もう二度と暗殺はしないと決めたのだ。
そんなサザの突拍子もない結婚話のきっかけは、先週末の夜だった。
「今日はお客さん凄かったね、さすがに疲れた……」
「お疲れ。今日何百個ジョッキ運んだかなあ……足と腕パンパンだわあ。カズラはどう?」
「私はじゃがいも潰しすぎて肩にきてるな……」
サザ達は酒場の店じまいをし、夜半過ぎにようやく食事にありついていた。
その日はどういう訳かとりわけ客の入りが良く、とにかく忙しかった。しかし、三人の面倒を見てくれている酒場の女主人、サーリがトナカイの肉のシチューを賄いに出してくれたのでほくほく顔である。
しかしその一方で、サーリの表情が暗い。
サーリは戦争で夫と子どもを亡くした四十過ぎの未亡人で、持ち前の根性ひとつで酒場を切り盛りしていた。大柄な体格と波打つ長い黒髪と絶えない笑顔で、誰もが理想の母として思い浮かべるような人だ。
裸一貫でカーモスから逃げてきたサザ達を町で偶然に見つけ、宿を借りる金も地理感覚もなく文字通り右往左往するのを見かねて、酒場を手伝うなら、とそのまま下宿させてくれたのだ。
さすがに暗殺者である事は明かせなかったが、三人を気にかけて何でも相談に乗ってくれた。カーモスの暗殺組織で犬同然に扱われていた三人は、サーリのおかげで人間に善意が存在することを認識できたようなものだった。
ため息を付いているサーリを見たことが無かったサザは、心配になって尋ねた。
「もしかして私達、賄い食べすぎてます? 美味しかったからつい……」
「違うわ。サザ。いっぱい食べてくれていいのよ」
サーリがそこでまた一つ、大きなため息を付く。サザは思わず、カズラとアンゼリカと顔を見合わせた。
「じゃあ、何かあったんです? こんなに暗いサーリさん見たこと無い」
「そうよね、アンゼリカ。分かるわよね」
サーリは一呼吸おくと、三人の目を真っ直ぐに見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます