これからの話

 騙したのかと詰め寄るシェーラと、なんとか宥めようと必死で言い訳を考えるスウォンは、それでなくとも人の注目を集めていた。

 いくら戦友の息子の恩人とはいえ、王直々に湖の乙女に任ずるなど、常識的とはとても言えない。魔王討伐の先陣を切るようなお方だ。常識など期待するほうが間違っていると、結局自分に言い聞かせしかないのだけれども。

 〈青〉のクラウド家の若輩者ルイスに声をかけられ、応接室の一つに案内される間は一時休戦となった。


「しばらくお待ち下さい」


 そう言って、そそくさとルイスが出ていく。彼はまだギスギスした空気に平然としていられるほど、王宮で揉まれていなかった。

 扉が閉まる音を合図に休戦終了と、口火を切ろうとしたシェーラにロクロはため息をついた。


「そのくらいにしておけ」

「は?」


 何を言い出すのかと、お前も敵なのかと睨むシェーラに、ロクロは諭すように続ける。


「このボンボンに詐欺じみたまねができないことくらい、短いつき合いでもわかってるだろ」

「……ボンボンて」


 スウォンは、悲しいかな否定したくても否定できなかった。それでも物言いたげな彼をロクロは鼻で笑うから、シェーラに向き直る。


「だいたい考えてもみろ。仮に、仮にだ。あの場でこいつがろくに財産を持ってないって知らされないまま、こいつが約束の報酬をよそから工面してきたとして、同じように騙されたって言うのか?」

「それは……」


 シェーラは口ごもった。


(従姉妹に会わせたいとか言ってたし……)


 報酬を工面する当てはあったのだろう。そして、ロクロの言うように、仮に〈黄〉の若当主が余計なことを言わずに、王も過分な報酬を与えることもなく、当初の予定通りに事が進んだら――いちいち金の出どころなど気にせずありがたく報酬を受け取っていたに違いない。

 スウォンを見れば、こちらをうかがっている。まるで、判決を待つ罪人のようだ。国王裁判のほうが、もっと余裕があったのではと、どうでもいいことを考えてしまう。


(騙されたってのは、言い過ぎたかも)


 もしかしたら、想定外の報酬に仰天して八つ当たりしてしまったのかもしれない。認めるのは情けないけれども、湖の乙女になれと言われて、冷静でいられるはずもなかった。

 盛大なため息とともにがっくりと肩を落とした彼女は、ロクロの言う通りだと認めた。


「ごめんなさい、スウォン。あたし……」

「いや、僕がちゃんと伝えていればよかったんだ。ごめん」


 もちろん、スウォンは報酬をなかったことにするつもりは毛頭なかった。むしろ、シェーラのためなら、約束の報酬以上のことをしたいとすら考えていた。今でもだ。


(シェーラが湖の乙女になるにしても、数年のことだろうし。それにロクロも……)


 今のうちに、あらためてしっかり今後のことを話しておかないと。さきほどのようなことは、もうこりごりだ。そのためにまずすることは――


「とりあえず、二人とも座って。僕がお茶を淹れるから」


 そう言われてもと、シェーラは居心地悪そうにまごついてしまう。

 青を基調とした品のいい調度品の数々は、どれも高価なのは明らかだ。第三記録室は、ホコリ一つなかったとはいえ、木のベンチだったから、まだ遠慮せずにいられた。けれども、見たこともないような長い毛足が整って光沢すら放っているソファーに、家を出てから一度も着替えていない服で腰を下ろすなんてとんでもない。

 けれども、ロクロはそんな彼女を尻目にどっかりとソファーに座り隣りの座面を軽く叩く。


「遠慮してもしょうがないだろ。だいたい、俺らに座ってほしくなかったら、こんなところに案内しねぇだろ。な?」

「うん、それもそっか」


 きっとおそらく、少しくらい汚したくらいで目くじらを立てるくらいなら、そもそも王宮に入れてもらえるはずがないのだ。たぶん。そう言い聞かせて、恐る恐る腰を下ろしたけれども、包容力のありすぎるクッション性に返って体を強張らせる始末。お尻が沈まないようにガチガチに固まる彼女に、ロクロは呆れて苦笑い。


(ま、いつまで待たされるかわからねぇしな)


 この後のことを考えれば、下手にリラックスするよりもいいかもしれない。


 スウォンはというと、その間に壁際のサイドボードにあった小型の湯沸かし器の中身を確認してつまみを回して、湯が沸く間にティーセットをキャビネットから取り出したりと、本当にお茶を淹れようとしていた。


「おい……」

「うん?」


 そのあまりにも手慣れた様子に、ロクロは思わず声を上げてしまった。湧いたお湯でティーポットとカップを温めながら、ちらりと振り返って返事をしつつもその手は止まらない。


「お前が淹れるのかよ」

「淹れるって言ったじゃないか」

「……そうだけどよ」


 確かにスウォンはお茶を淹れると言ってた。言ってたけれども、ロクロは彼が淹れるとは思ってもみなかった。


(まさかボンボンが淹れるとは思わねぇだろ。普通こういうのは召使いにやらせるもんだろ)


 思えば、スウォン・クラウドには随分調子を狂わされてきた気がする。何度つき合いきれないと投げ出したくなったことか。しかし、こうして恩師の命令通り茶番劇を見届けた今は、少し見直している。少しだが。

 ところで、スウォンは怪訝そうに尋ねられたのは、自分が淹れるお茶が飲める代物か心配なのだろうと、ややズレたほうに捉えてしまった。


「自分で言うのもなんだけど、美味しいお茶を淹れるのが得意なんだ」


 実益を兼ねた趣味というほどではない。けれども、寝食を忘れて研究室に籠もる父の二の舞いにならないようにと、母から指導された結果、店を出せると太鼓判を押される程度には美味しいお茶を淹れられるようになった。他にも簡単な軽食程度なら作れるようにしたり、スザンナは幼少より息子に食事と睡眠の重要性を叩き込んだのは成功したと言えるだろう。

 しばらくして、得意げにスウォンは二人の前にお茶を差し出した。

 ネモフィラの花が描かれた金の縁取りがあしらわれた白磁のティーカップに、ほんのり柑橘の香りがする透き通った明るい琥珀色。

 思わずシェーラが生唾を飲み込んだのは、もちろん美味しそうだからだけれども、それだけではない。


(これ、絶対に高いやつ)


 ティーセットはもちろん茶葉も、高級品に違いない。その上、湯を沸かすために作られた魔石機械なんて、信じられない。この一杯にどれほどの価値があるのだろうか。けれども、シェーラはここが国の中枢、王宮だということを忘れてはいなかった。


(……なんか遠慮なんて馬鹿らしくなってきた)


 ようやく遠慮を捨てた彼女は、ソファーにお尻を沈める。喉が渇いていたのもあって、ティーカップに伸ばした手も自然だった。


「……ふぅ」


 一口すすって口元をほころばせるシェーラと、思わず「美味いな」と呟いたロクロ。二人の向かいに座ったスウォンは内心ガッツポーズを決めた。

 ちなみに、漠然と高いと思ったそのお茶は、実はティーカップと茶葉だけでもモンテの街で家一軒建てられる。もし知ってたら、彼女は指一本触れなかったに違いない。


「それで、今後のことを話したいんだけど、いいかな?」


 ひと息ついたところで、スウォンは切り出す。カップを戻したシェーラは、ちらりとロクロをうかがってから、身を乗り出した。


「湖の乙女、どうにかならない? あたしなんかが湖の乙女なんて絶対に無理」

「陛下が決めたことだから」


 務まるわけがないと訴えるのを、スウォンはため息混じりに首を横に振る。

 王命だ。それも、大勢の臣下の前で下されている。拒否するなんて選択肢はありえない。


「こんなの褒美じゃない。罰だ。褒美なら、あたしが欲しいものを聞くべきじゃない。ロクロはそうなのに」


 不公平だ、理不尽だと、沈痛な面持ちで訴えるシェーラを、ロクロもさすがに同情してしまった。


「なぁ、スウォン、なんとかしてやれよ。お前がこいつの希望を伝えなくてどうするんだ」

「……」


 こうなった責任から逃げるなと、言外に責められている気がした。


(責められてもしかたないよな)


 もちろん、スウォンは責任から逃げるつもりは毛頭ない。唇をしっかり湿らせて、スウォンはシェーラのユディス湖の蒼の瞳を見つめた。


「考えてみたんだけど、湖の乙女はそんなに悪い話じゃないと思うんだ」

「は? あたし……」

「僕だって、シェーラがいきなり湖の乙女になっても務まらないのはわかってる。……というか、誰が考えても無理だと思う」


 何を言い出すのかと気色ばむ彼女を制して、スウォンは続ける。


「だから、準備期間があるはずなんだ。ううん、僕が絶対に準備期間を確保してみせる」

「準備期間?」

「うん。最低でも一ヶ月くらいは。それに湖の乙女って言っても、聖女猊下の側近から掃除や皿洗いとかの下働きまで色々なんだ。実は僕の母が湖の乙女だったんだ。内情も詳しいから、務められるように教えてもらえるようにするよ」

「……スウォンのお母さんは、使用人だったって言わなかった?」

「え? うん、そうだけど。……ああ、そうか、そういう……ちょっと待って」


 父の元使用人だったと、星空の下で言っていたではないか。シェーラの不信感をあらわにした。

 虚を突かれ首を縦に振ったスウォンは、遅れて彼女の言わんとすることを理解すると、顎に拳を当ててしばらく考えた。


(バカ陛下の勝手な報酬、上手いこと利用すればいいのか)


 これならシェーラも納得してくれるはずだ。いや、納得してもらえるように話をしなければ。ようやく責任のとり方を見つけた彼は、今度こそと身を乗り出した。


「父の使用人になる前は、湖の乙女だったってことだよ」

「ん?」


 どういう意味だと、今度はシェーラが頭を捻る番だった。

 そんな彼女に苦笑しつつ、スウォンはお茶をひと口すすって喉を潤わせた。


「一度湖の乙女になったら、一生湖の乙女なんてことはないんだ」

「そうなの? あたしはそういうものだって……」

「考えてもみなよ。聖女猊下だって、代替わりして引退したら湖上神殿を出るんだからさ」

「聖女様って引退するの!?」

「うん。若くして急死とかなら話は別だけど、普通は十数年位で代替わりするよ。まぁ、そういう意味じゃ当代の猊下は例外かな。……湖の乙女に話を戻すけど、よほど信心深い一部の人を除けば、数年で辞めていくのが普通なんだ」


 認識のズレに軽くめまいを覚えながらも、スウォンは慎重に話を進めていく。


(花嫁修業の意味合いもあるってことは、今は話さなくてもいいか)


 漠然とだけれども、それを口にしたら彼女がまた怒り出す気がしてならない。


「だから、年季なら短くできると思う。……じゃなくて、僕がそう話をつける」

「……短くって?」

「最低でも一年」


 不服そうな顔をした彼女に、彼は「聞いて」と真剣に続ける。


「一年だけ我慢してほしい。衣食住は保証されているし、お金も稼げる。その間に、僕が君がエンバーマーとして働けるように環境を整えておく。どうかな? これなら、最初の約束と比べても悪い話じゃないと思うんだけど」

「……」


 むしろ条件は良くなっている。

 生活費のかからない家に加えて、湖の乙女として働いた賃金。それからやりたい仕事の斡旋。


(皿洗いくらいなら、あたしでもなんとかなりそうだし……)


 たしかに悪い話じゃない。けれども、今の彼女には一つ、大きな懸念があった。


「どうかな?」

「本当にエンバーマーを続けられるようにできるの?」

「うん」


 彼女が探るような目で睨んでくるのも、無理もない。なにしろ、当初の報酬が他人を当てにしたものだったと明らかになったばかりなのだから。

 それを察したスウォンは、今度こそ信頼を回復するためにも、大丈夫だと自信を持って深く頷いた。


「きちんと話してなかったかもしれないけど、父がもともと屍人の研究をしてた関係で、僕も王都のエンバーマーの知り合いはそれなりにいる。一年あれば、いきなり独立というわけにいかないかもしれないけど、王都で働けるようにできる」

「……信じていいんだよね」

「うん。信じてほしい」


 しばしの逡巡して、シェーラは「わかった」とうなずいてから、念を押すのを忘れなかった。


「一年だけだから。それ以上は無理」

「うん」


 やることべきことは多いし容易にはいかないだろう。けれども、シェーラの信頼を取り戻すためなら、なんだってできる気がした。

 ひとまずシェーラのためにすべきことははっきりした。次はロクロだ。


「それで、ロクロはどうするんだ?」

「どうするって……ああ、褒美の件か。あー、どうしたもんか」


 ロクロは腕を組んで天井を睨みながら頭を悩ませる。彼の気持ちが、シェーラは少しだけわかる気がした。


(突然、国王陛下からあんなこと言われても困るよね)


 間違いなく自分もすぐに答えを出せないに決まっている。


「ぶっちゃけ、俺は……」


 天井を睨んだまま言いかけたロクロは、口を閉じて居住まいを正した。と、扉が叩かれる。


「お待たせしました」


 扉を開けたルイスの後ろの叔父を見て、スウォンは慌てて席を立った。こころなしか顔色を悪くして。

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