国王裁判〜スウォンの主張(一)〜

 少し離れた前にいるスウォンの踵に視線を固定して、絶対に顔をあげない。

 スウォンの言いつけどおりにしてよかったと、シェーラは痛感していた。


(ロクロはわかるけど、なんであたしまで)


 逃げ出したいほどの居心地の悪さは、生まれて初めてだ。記録室から眺めていた玉座の間は、別世界のような豪華絢爛な素晴らしい場所だったというのに。

 今なら、スウォンが今にも吐きそうな顔をしていた理由がわかる。

 こんな痩せっぽちの薄汚い田舎娘など、誰も気に留めるはずがない、自意識過剰だ、自惚れるなと、繰り返し繰り返し言い聞かせる。言い聞かせていないと、どうかなりそうなまであった。それでも、好奇の視線が刺さるのを肌で感じてしまうのだ。

 こんな拷問にあうために、王都に来たわけではない。


(早く終わってくれないかな)


 もう終わることばかり考えている。そんな情けない自分に比べて、スウォンは堂々として立派に見えた。

 そして、すでに事件の詳細は周知されてるとして、彼は口火を切るのだった。


「皆さんはすでにご存知かと思いますが、今回の事件において、このスウォンを犯人だと断定する物的証拠は一つもありません。遺憾ながら、犯人でないと証明する物的証拠もありませんが」


 状況証拠のみで無実の罪を着せられているのだと釈明した後で、彼は語気を強める。


「ですが、実にもっともらしく僕を犯人だと導きだすそれらは、よく考えてみれば、おかしな点ばかり。そう、事件が発覚した時点から、誤ったほうに事態が進んでしまったのです」

 

 先ほどから何度も口を挟もうとする特使たちを、ハズレのハサンがなだめ抑えているのを横目に、スウォンは続ける。


「あの朝、僕が談話室に残っていたのは、あまりにも不自然です。逃走する時間は充分にあったのに、なぜ捕まえてくれとばかりに残る必要があったのでしょうか」

「……逃走するには時間が足りなかっただけだろう」


 ここで声を荒げればどういう風に見られるか――激昂したいのを理性で抑えた特使の指摘に、スウォンはほくそ笑んできっぱりと否定した。


「発覚する直前に突き落としたと? それはありえません。あのとき、キッフェ博士が転落したと思われる窓から、雨が降り込んでいた形跡がありました。木蔦館の談話室の薪ストーブの前で、僕が何かで後頭部を殴打され気を失った時点で振っていた雨は、午後六時過ぎにはやんでいたはずです。ロクロからそう聞きましたし、ラーマでは気象学の研究室もあることですし、もっと正確な時刻がはっきりするでしょう。つまり、キッフェ博士が窓から突き落とされたのは、午後六時以前。逃走する時間が足りないなんてありえません」


 なるほどと納得が広がる空気の中、特使は果敢に異を唱える。


「窓が開いた時間が午後六時以前というだけで、それ以降に博士を殺していないということにはならない」

「常識的に考えて、雨が降る中一晩中開けっ放しというのは、不自然です。僕はすでに意識を失っていたので、閉めることは出来ませんでしたが、薪ストーブに火が入れられていたくらい、あの日は寒かった点も合わせれば、窓が開けられてから犯行まで空白の時間があったというのは、無理があります」

「雨が降る中開けて一度閉めた後で、再び開け犯行に及んだ可能性は否定できない」

「可能性といえば、そもそも逃走する時間が足りないというのも可能性でしかないのでは?」


 物的証拠がないので、スウォンも特使たちと同様の状況証拠を元に主張しているにすぎない。そして、彼が犯人であれば都合がいい特使たちも、彼と同様に矛盾や穴を突いてくる。


(さすが学術都市国家の特使だ)


 簡単にはいかないようだ。ため息をぐっと飲み込んで話を変えることにした。ゼロにならない可能性にこだわっていても平行線のままなのは、相手も避けたいだろう。


「話を変えます。確かなのは、キッフェ博士が三階の談話室の窓から転落死したという事実のみ。それを事件発覚時に談話室で呑気に伸びていた僕が突き落としたという憶測に基づいて、僕が犯人と誤認された」

「憶測などではない!!」


 とうとう理性の限界だったのか一番年長の特使が声を荒らげたのを、スウォンは聞き流して続ける。


「そもそも、窓から突き落としたと言うのは簡単ですが、実際に人を一人突き落とすのは簡単なことではありません」


 その当たり前なことをスウォンに教えてくれたのは、もちろんシェーラだ。




「さっきの話、やっぱりおかしいと思う」


 貨物列車の中で、今回の事件に異能の特異体質、国王裁判について話したあと、シェーラはそう切り出した。ネズミの死骸と一緒にロクロに回収されたダイフクを警戒しながら。


「おかしいって?」

「その、キッフェ博士だっけ? とにかく窓から突き落とされたって話が」


 スウォンにも、ずっと抱えてきた違和感がある。その違和感の正体が掴めれば、国王裁判に堂々と臨めるだろう。


(国王裁判に持ち込めば、僕の無罪は確定したようなものだけど、一応、対策しておかないと)


 けれども、なにが糸口になるかわからない。些細なことでも考える材料が、大歓迎だった。具体的に、おかしいと思ったところを教えてほしいと、彼は頭を下げた。

 正直、スウォンはシェーラにそこまで期待していなかった。このときはまだ――


「そう、わかった」

「え、え? ……ああ!?」


 スクっと立ち上がった彼女はツカツカと近づいてきたかと、何を思ったのかスウォンを両手で突き飛ばしてきた。けれども、彼はもたれかかっていた木箱に手をついて軽く後ろにのけぞっただけだ。


「……えーっと?」

「人を突き落とすって、言うほど簡単じゃないの」


 なにがなんだかさっぱりの彼に、シェーラは彼が手をついたままの木箱を指差す。


「雨に濡れてた窓枠はスウォンの腰くらいまであったって言ってたでしょう。つまり、窓はその木箱よりも少し高いくらいにあったんでしょう。あたしはキッフェ博士がどんな体格の人か知らないけど、窓枠の下の壁が障害にならないわけがない」

「それもそうだ。……ああ、ちなみにキッフェ博士はこいつよりも頭半分くらい背は高いし、七〇近い年寄りだが足腰はしっかりしてる」


 言われてみればと納得のロクロの雇い主は、日頃から健康に気を遣い、体力づくりに運動も欠かさず、なんならスウォンよりも丈夫な肉体の持ち主だった。

 ロクロの口から語られて、スウォンはようやく客観的にキッフェ博士を捉えることが出来た。矍鑠とした大柄な老人を窓から突き落とすのは、なるほど、シェーラの言う通り簡単ではない。


「背後から襲っても、窓枠に死に物狂いでしがみつくだろうし」


 自分だったら、そうして大声で助けを求めるだろう。たとえ、近くに人がいないとわかっていても。


「不意打ちで全力で体当たりなら、お前でもつき落とせるかもな」

「それには、博士に窓の前にこちらに背を向けて立ってもらわないと。……それに、僕から『殺されたいのか』って博士が、背中を向けるのはちょっと……」


 あの気難しい偏屈な老博士には、考えにくいのでは。


(僕だったら、殺意を向けてくる奴に絶対に背中を見せたりしない)


 その上で、たった一つだけ開いた窓の前に、どうやって誘導するというのか。けれども、ロクロがその最適解をあっさりと導き出してしまった。


「雨が降り込んでる開けっ放しの窓があったら、閉めようとするだろう」

「あ……確かに」


 身を潜める場所があったのは、間違いない。でなかったら、スウォンも後頭部を殴打され気絶することもなかった。早くも手詰まりかと肩を落とすスウォンに、シェーラは首を横に振った。


「全力で体当たりは、それこそありえないよ」

「なんでだ? たしかに成功する可能性のほうが低いが、それくらいしかこいつがキッフェ博士を窓から突き落とす方法、俺は思いつかないが」

「そうじゃなくて、あたしは博士が突き落とされたっていうのも、おかしいと思うの」


 怪訝な顔でロクロはスウォンを見れば、彼も同じ怪訝な顔をしていた。


(賢いのか、賢くないのか、本当によくわからん女だな)


 シェーラは、「いい?」と指を一本立てる。


「窓の下に死体があったってことは、キッフェ博士は窓から下に


 そう言いながら下に下ろした指を戻して、シェーラは続ける。


「誰かに突き落とされるっていうのは、こう」


 反対の手の指で前に押し出して、指先で放物線を描きながら指を下ろした。


「わかった?」

「ああ、そうか!! そういうことか」


 正面からであれ背後からであれ、窓から押し出そうとすれば前方に力が働く。ロクロが言うように、全力で体当たりなどすれば、窓の下――外壁のすぐ側ではなく、もっと離れた位置にキッフェ博士の変わり果てた姿を見言い出さなければならない。

 博士の恨みがましい死に顔が脳裏によみがる。


(だから、僕は直感で博士が自殺したと思ったんだ)


 すべてが確信に変わった。

 だからといって、すべてをシェーラたちに打ち明けるつもりは毛頭ない。


 何度か反芻して、ロクロはシェーラの話を遅れて理解した。けれども、すっきりしたスウォンとは対称的に、納得いかないと顔に書いてあった。


「だったら、先にキッフェ博士を気絶させるなりなんなりして、窓から落とせばいいだろ」

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