第三記録室(二)

「それで、狐目の人が〈黄〉の若当主なの?」


 シェーラにも、なんとなく御三家の者はそれぞれの色を纏っているのだとわかってきた。かなりくたびれて汚くなっているけれども、スウォンの上着も青い。ならば、山吹色の丈の短いジャケットの狐目の男は、〈黄〉のセイル家の人間だろう。そして、〈青〉の当主の肩に肘を置けるほどの間柄となれば、まず思いつくのは若当主だ。


「違うよ」


 至極妥当な彼女の予想を否定するスウォンの声は、ややげんなりしていた。


「彼は、ハサン・セイル。叔父上の友人。……一応、若当主の父親だけど、あの人自身は、ただの外交官だよ」

「……ふぅん」


 当主の父親という点を除いても、ただの外交官と言い捨てるのはどうかと、シェーラは複雑な気分になった。外交官がなんなのかわからないけれども、偉い人には違いなのだから。

 そんな彼女の胸中を知る由もなく、スウォンは続ける。


「〈黄〉の若当主はもっと……」

「あ、俺わかった。あいつだろ。二枚舌の若当主は」

「うん、そう。彼だよ」


 遮るように指差したロクロに、スウォンはなんとも言えない様子で頷いた。


「どこ? …………あ」


 ロクロが当てた若当主を見ようと双眼鏡を下ろす前に、不忘卿の肩を叩いて離れる父親と入れ替わるようにやってきた男に、シェーラは口をあんぐりと開けた。


「シェーラもわかった?」

「う、うん。…………なんかもう〈黄〉じゃなくてじゃない」

「ハハハ……」


 スウォンの乾いた笑い声が響く。しかし、シェーラもロクロも彼がそんなふうに笑う気持ちがわからなくもなかった。


 〈黄〉の若当主ハイド・セイルは、シェーラが言うように、〈黄〉ではなく金だと揶揄したくなるような出で立ちだった。

 光沢のある鬱金色の長衣には、襟や袖口などに金糸の刺繍がこれでもかと施されたりなどなど。これ以上贅を尽くした衣装がこの世に存在するのかと思ってしまうほどだ。綺羅びやかなのは長衣だけではない。黄金の腕輪に首飾り、さらに肩まである艷やかな父親譲りの鳶色の髪に金粉でもまぶしているのか、光が反射している。


「目がチカチカしてきた」

「俺もだ」


 思わず双眼鏡をおろして瞬きを繰り返すシェーラに、ロクロも呆れたように首を大きく縦に振る。


(化け狐みたいな野郎だな)


 これも父親譲りの狐目のせいで思わず故郷の魔獣が頭をよぎったけれども、すぐに化け狐に失礼だと否定した。


「一応、言っておくけど、前の〈黄〉の当主はあそこまで派手じゃなかったよ」


 ため息まじりにこぼしたスウォンに、シェーラは微妙な気分になった。


(あそこまで派手じゃなかったってことは、派手好きは派手好きだったんだ)


 もちろん〈黄〉のセイル家の家風が『壮大華麗』なのは知っている。けれども、シェーラが考えていた壮大華麗とは違った。

 眉をしかめたくなる成金趣味なら、知っている。国境近くで一番大きな都市サンテは、交易が盛んなためそういう人が多かった。見かけるたびに、お金持ちになってもああはなりたくないと思ったものだ。

 若当主のハイドは、前当主とその後継を排斥して当主の座を奪った成り上がり者。だから、成金趣味に走ったのだろうか。


「最初はみんな同じように面食らうんだ」


 取り巻きを引き連れて叔父と長々と挨拶をかわしている若当主を眺めながら、スウォンは続けた。


「でも、なぜかみんなすぐに慣れてしまう。違和感がなくなるっていうかなんていうか、あれがこそが二枚舌の若当主ハイド・セイルというか……とにかく、うん、慣れてしまうんだ」


 当主就任直後、成金趣味だと馬鹿にし侮った者も少なくなかった。しかし、どういうわけか、そうした声はいつの間にか聞かなくなっていた。ハイドがなにか手を下したのではと囁く声もあったけれども、スウォンはただ慣れてしまっただけだと考えている。


(僕も最初は内心馬鹿にしてたし)


 とはいえ、正装であってもシンプルな〈青〉のクラウド家と並ぶと、悪目立ちするのはどうしようもない。


「もうわかってると思うけど、今叔父上たちに近づいてる真紅の軍服の女の人が〈赤〉の女当主ルシア・フォースだよ」

「炎姫将軍ね」


 双眼鏡を覗き込むシェーラの声が弾む。

 高い位置に結わえた真っ赤なうねり広がる髪は、まさに燃えるようと称させるにふさわしい。鋭く光る金の瞳の切れ長の目に彫りの深い凛とした顔立ち。

 炎姫将軍の異名は、〈炎使いフレイムマスター〉の異能を持つ彼女にこそふさわしい。

 屈強な軍人たちを従える女当主には、異性よりも同性に根強い人気がある。


「かっこいい」


 思わずこぼれたひとり言に、スウォンもロクロも苦笑する。不忘卿の美貌には冷静に、エンバーミングの方法を検討していたのに、炎姫将軍は「かっこいい」なのかと。


(そういえば、半獣人のおかみさんも強そうだったし、シェーラは強い女の人に惹かれるのかな)


 だから、華奢な彼女は甲冑を纏うのかもしれない。

 しかし――いや、だからこそ、双眼鏡を握る手に力がこもるシェーラに、スウォンは現実を教えなければならない。


「ちなみに、炎姫将軍は今年で六二歳だよ」

「……………………」


 シェーラは双眼鏡をおろして無言で天を仰いだ。


(そうだよね。あたしが小さい頃から炎姫将軍はいたんだし……)


 それなのに二十歳の自分よりも少し年上にしか見えない。

 不忘卿と同じ世代だったら、まだ素直に受け止められたというのに。

 これも異能持ちの特異体質の不老期というやつか。けれども――


「でも、エルフ族みたいな不老長寿じゃないって、ちゃんと五十代半ばくらいで老化するって……」

「個人差があるって言ったじゃないか」

「でも……」

「僕らでも、そうとしか言えないんだ。……赤公みたいなのは珍しいとまではいかないけど、少ない方だから」

「……」


 個人差で片づけていいのか、シェーラはよくわからない。

 けれども、親子で並んでも外見年齢が変わらないのは複雑だと彼が言っていたわけが、わかるような気がした。

 狼狽しながら、シェーラは再び双眼鏡を覗きこむ。

 やはり、〈青〉、〈黄〉、〈赤〉の当主たちの見た目は皆二十歳から二十代前半くらいだ。けれども、世代はバラバラで、〈黄〉と〈赤〉など孫と祖母ほど歳が離れているとは。

 なんとも言えない気分でいるうちに、軽く挨拶やら談笑をすませた〈黄〉と〈赤〉の当主たちは取り巻きを引き連れて、〈青〉の当主から離れていった。

 終始美しい顔に非の打ち所がない笑みを浮かべている不忘卿クオンに、濃紺の面布で顔の上半分を隠した男がなにやら耳打ちしたかと思えば、クオンがこちらを振り向いた。そして、こちらに向かって笑みを深めた。


「――――っ!」


 シェーラは、声にならない悲鳴を上げて双眼鏡を落としてしまった。


「い、今、目があった…………気がする」

「ああ、明らかにこっち見てるな」


 双眼鏡越しに目があってしまった彼女は、美人の目が笑っていない笑顔に慄き鳥肌が止まらない。スウォンと同じ赤銅色の瞳なのに、まるで温かみを感じられなかった。気のせいだと思いたかったけれども、ロクロまで動揺を隠せずに、顔も声も引きつっているではないか。


「落ち着きなよ。叔父上からは、僕らは見えていないから」

「いやでも……」

「見えていないから」


 たしかに目があったと訴えるシェーラに、スウォンはなだめるように繰り返してため息をついた。


「玉座の間からは、記録室の中はほとんど見えない造りになっているんだ。…………僕らが見えるとしたら、面布をつけたほうだよ」

「奴も異能持ちなのか?」

「もちろん。彼は不忘卿の次男で跡取りだからね」

「スウォンの従兄弟?」

「うん。ケイの異能は〈彷徨う目センリガン〉。距離的にも物理的にも隔たれたどんな場所も見えるからね」

「覗き放題とは、ずいぶん都合の良い異能だな」


 不快感をあらわに吐き捨てたロクロに、スウォンはあえて何が覗き放題なのか追求しなかった。

 従兄弟の名誉を思うなら、下衆いことに異能を使ったりしないと否定するべきだろう。けれども、ケイに何が見えているのか、たとえ親兄弟ですら知り得ようがないのに、どうして従兄弟のスウォンが否定できるのだろう。

 むしろ、ロクロの反応はケイの異能に対する至極真っ当なものだ。

 〈青〉の次期当主に直接そんな無礼な口を叩く者はいない――おそらくロクロも面と向かっていうほど馬鹿ではないだろう――けれども、影で覗き魔と呼ばれるのは、〈彷徨う目センリガン〉の異能持ちの宿命と諦めるしかないのだ。


(わざわざ振り返らなくてもいいのに)


 スウォンは苦虫を噛み潰しながら、机の下で右手の指輪をさする。

 クオンがこちらを振り向いていたのはわずかな間で、すでに挨拶に来た別の高官に向き直っている。


(あの人は、どこまで知っているんだろう)


 今回の事件の真相も、〈黒〉があえてディーに迎えに遣わしたこと――それから、シェーラ・マークスのこと。

 国王裁判で無実を証明したあと、ラーマに戻ることは出来なくなっても、王都でこれまで通り研究を続けていく。今回の事件は、大きなトラブルではあるけれども、人生を左右するようなことではないはずだ。それなのに、どうして胸がざわつくのだろうか。

 自らが望んだとはいえ正念場を前に、さすがにスウォンも落ち着いていられなくなってきた。

 叔父から与えられた指輪を無意識でさすっていたと気がつき両手を握りしめた彼に、「そう言えばと」ロクロが尋ねる。


「前から気になってたんだが、あの二枚舌の若当主の異能はなんなんだ?」

「知らない。非公表にしてるから」

「非公表?」

「よくあることだよ」


 異能持ちに異能の詳細を公表する義務はないと、スウォンは教えた。


「異能にも色々あるからね。使えないハズレもあれば、未来予知や治癒といった国家の存亡に関わるような強力なものもある」

「なるほど、前者はともかく、後者の異能は命を狙われるから、非公表を選択するのか」

「そういうこと。ちなみに、非公表って言っても、陛下みたいに異能名だけを公表している人もいる」

「〈王の手キングスハンド〉? そういえば、陛下の異能がどんななのか聞いたことなかったかも」


 シェーラは初めて気がついたのも、無理もない話だった。

 〈王の手キングスハンド〉と聞いて、国民の多くは国王ローガンの白銀の義手を思い浮かべるのだ。その義手で魔王を封印しをなし得たと広く伝わっているせいで、彼が当時まだ王子だったにもかかわらず義手そのものが〈王の手キングスハンド〉の異能だと妙な誤解が生じてしまったのだ。


(ま、陛下の異能がなかったら、あの義手が使えないのは事実だし)


 実はスウォンは、ある事情から国王ローガンの異能の詳細を知っている。けれども、そのことをいくら親しくなったとはいえ、当然二人に教えられるわけがない。

 異能持ちの彼の話しぶりから、シェーラとロクロは異能持ちに異能について軽々しく追求してはならないのだと察した。


 そして、荘厳な鐘の音が鳴り響いた。

 朔日会議の始まりを告げる最初の鐘で、玉座の間のあちらこちらに散らばっていた人々が一斉に整列を始め、三度鐘の音が鳴る頃には数百という人々が全員所定の位置につき終わった。正面の階の踊り場にある各々の色の垂れ幕の下に立つ当主たちの他は、白大理石の床の中央に走る黒大理石の道に向かって左右に整列する形だ。四度目の鐘で姿勢を正し、次の最後の鐘で右手を心臓の上に置き左手を胸の前で手のひらを天に向け頭を垂れた。

 統制のとれた動きに、シェーラは思わず生唾を飲み込んだ。

 朔日会議開始の鐘が鳴り終わると、スウォンは天鵞絨の幕を上げた紐の横にあるもう一本を引いた。これで、開いた上部の通気口から、玉座の間の声が聞こえるようになった。


 張り詰めた静寂の中、記録室の下から黒大理石の現れ進み出てきたのは金髪の女と、彼女をエスコートする黒髪の青年。装飾の少ないシンプルな純白のドレスの女が誰か、スウォンの説明は必要なかった。

 英雄王ローガンの愛娘リーン王女。

 聡明な王女の気高いその姿に、シェーラは畏敬の念を抱かずにいられなかった。

 王女を世継ぎの座までエスコートし足早に階を降りる青年のマントとサッシュが藍色の裏打ちされた白であることからも、彼が王女の夫である秘色公ひそくこうカイ・クラウドなのも明らかだった。

 世継ぎの座に座すことなく王女は、臣民と夫と同じ王国における最敬礼をとる。

 王女が頭を垂れて待つ相手は、一人しかいない。

 白銀の左腕を持つ、白髪の英雄王ローガンだ。

 玉座の間の緊張感につられて固唾をのんでいたシェーラは、現れた国王の玉座に向かう後ろ姿に違和感を覚えた。


「え……」


 いや、そんなまさかか、そんなはずはない。

 違和感の正体に気付いた彼女は、頭の中で必死で否定しようとした。しかしその努力も虚しく、玉座の前でマントを翻して振り返った王に、彼女の違和感が正しかったと思い知られる。

 信じられないと瞬きを繰り返すけれども、何度見ても偉大な王は一五歳にもならない少年にしか見えない。


「だから、個人差があるって言ったじゃないか」

「…………」


 あれは、個人差で片付けてはいけない気がする。

 けれども、異能持ちのスウォンが言うならそういうことなのだろう。


(あれじゃあ、王女様の方が年上みたいじゃない)


 思わず王女に同情せずにいられなかった。


 紅顔の王が玉座に座すと、頭を垂れた臣下たちは声を揃えて王を讃える。


「我らが偉大な英雄ローガン王。陛下の御代こそ、我らが王国の真の黄金時代。その御英断と慈悲深き御心に、臣一同、深く敬意を表します。ローガン王に栄光あれ!! ローガン王に栄光あれ!!」


 第三記録室にまで響く賛辞の余韻に圧倒される中、王女の夫カイが、ついに朔日会議の始まりを宣言する。


「これより、ローガン一八年五月朔日会議を始める!!」

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