獣人族の英雄

 獣人族は基本的に氏名うじなを持たない。地名や親の名前などと供に名乗る。稀に誉れ高い称号の場合もある。

 ベルセルクは、最高峰の戦士の称号の一つだ。

 魔王封印を成し遂げた英雄に、これほど相応しい称号はない。

 実のところ彼の功績のほとんどが大型甲冑ルクスの操縦士としてだけれども、それを抜きしてもディーは称号に相応しい戦士に違いなかった。


 ロクロが先手必勝とディーに飛びかかろうとしてやめたのは、スウォンの制止があったから――ではない。

 装甲車に移り斜向かいでスウォンと会話を弾ませている獣人の大男を視界に入れないように、ロクロは腕を組み寝たふりを続けている。その胸中は苦い敗北感が渦を巻いていた。

 あのとき、ロクロがとっさに体を捻って回避したのは有り体に言えば、体が勝手に動いた。体が、ディーに敵わないと即判断を下した結果だ。

 冷静になって振り返っても、あのまま突っ込んでも返り討ちにあったとわかる。怪我一つでも負わせられていたかも、わからない。

 やり合う前から負けを認めてしまうのも悔しいが、さらに悔しいのはディーが隙だらけということ。自分を侮っているからというわけではない。おそらく、この獣人にとってこれが自然体なのだろう。隙だらけだというのに、攻撃をしかけられた瞬間応戦してくるなんて、これほど厄介な奴はいない。

 有り体に言えば、強者の余裕。戦う前から負けたことが、これほど悔しいとは。


(皮被りが……クソっ)


 獣人族の男に対する最低最悪下劣な言葉を口にしなかった自分を褒めてやりたい。人の皮を被った獣と侮辱する品性のない輩に成り下がるのは、自尊心が許さなかった。

 彼の胸の内が荒れ狂うを感じ取ったのか、隅で存在感を消していたダイフクが彼の足にすり寄る。

 可愛い魔獣の可愛い行動に、狸寝入りを決め込んだ口元が緩む。


(まったく、俺らしくないな)


 あやうく己の本分を見失うところだった。

 正面切ってやり合うのは、得意とするところではない。

 ディーのような正統派の戦士に力量の差を見せつけられたのが、なんだというのか。英雄に決闘でもするつもりか。


(決闘? 笑えねぇ冗談だな)


 決闘など、いよいよらしくない。

 自分を見失うとまではいかないけれども、らしくないことで悔しがるなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 飼い主が落ち着いたのがわかったのか、ダイフクは膝の上に登って丸くなる。可愛いとは言い難い重量に、かるく顔をしかめつつも、可愛い魔獣をどかすなんてできるわけがない。


 あれほど肥えた猫が膝の上に乗っても起きる気配のないロクロに、隣に座るシェーラは感心していいのか呆れていいのかわからなかった。


(あんなののどこがいいんだろ)


 鬼人族の考えることは、さっぱりわからない。

 そんなロクロのことはさておき、正面に座る獣人の大男だ。


(この人が、ベルセルクのディー)


 魔王封印の四英雄の一人で、今現在国内外でもっとも有名な獣人。

 彼女の故郷の一部である麓のモンテには、マークス山が廃鉱になったとはいえ元鉱夫とその関係者がいまだに多く住んでいる。肉体労働に自身のある獣人族にとって、鉱夫は稼ぎのいい割と人気のある仕事ということもあって、モンテの三割ほどが獣人族だった。半獣人の店主夫妻の飛び跳ね亭にお世話になっていれば、自然と獣人族とも親しくなった。

 だからこの国の獣人族の間で、ディーがどのように言われているのか、よく知っている。

 魔王討伐遠征後も含めた活躍を讃えられる一方で、嫉妬やいわれなき恨みを抱かれる。これは、世の常というものだ。

 この国の獣人族には、そこに失望や諦観が交じる。


 あれほどの偉業でも、お飾りの騎士団長か――と。


 ナハト王国は、亜人に寛容な国だ。とはいえ、人間の国であるもの事実。亜人は官職につけない。

 ディーの団長任命は、まさに前代未聞のことだった。

 当時は亜人にも道が開けたとお祭り騒ぎがしばらく続いたと、苦々しい笑みを浮かべながら語る獣人族は、一人や二人ではなかった。けれども現実は厳しく、彼の件はあくまで魔王封印の報奨であり特例中の特例だった。結果を言えば、彼の後に続く者は一人もいない。

 失望と諦観は、王国に向けられたものだ。所詮、人間の国か――と。

 むしろ、同族よりも人間のほうがよほど単純にベルセルクのディーを英雄として讃えているまであった。


 話に聞いていた英雄は、想像と違って普通の獣人だった。それこそ、飛び跳ね亭で陽気に飲み食いしていても違和感なさそうだ。ジョッキ片手にテーブルに片足を乗せて、「俺の奢りだ!!」と呵々大笑する様が余裕で目に浮かんでしまう。


(で、おかみさんに蹴り飛ばされるまでがお約束なんだろうなぁ)


 なんなら大の大人でも悶絶するほどの強烈な蹴りを食らってもケロッとしてそうで怖い。


 くだらない妄想はさておき、隣のスウォンとの会話を聞くに、どうやらディーは不忘卿の依頼で来た迎えらしい。なんでも不忘卿は、明日の朔日会議とかいう場で国王裁判を行いたいようだ。その話を聞かされたスウォンは思わず頭を抱えたところを見ると、あまりいい展開ではないのかもしれない。

 朔日会議とやらがなんなのか、シェーラは知らないし、スウォンが頭を抱える事情もわからない。それはいい。王宮なんて、それこそ別の世界なのだから。

 彼女には、懸念が一つあった。

 どう切り出したものか。慎重に言葉を選ばなくては。

 スウォンとディーの会話が途切れるのを待って、うまい言葉が思いつかないまま切り出す。


「あの……聞きたいことがあるんですけど……」

「なんだい? お嬢さん」


 おそるおそる声をかけてきた彼女に、大げさなくらいディーは愛想よく笑った。折れそうなほど痩せた彼女を怖がらせないようにと、気を遣ったつもりだった。

 けれども、彼女は視線を泳がせるばかりで、いっこうに続きを話そうとしない。


(また、怖がらせちまったか)


 無骨な見た目のせいで、その気はなくとも怖がらせてしまうのはよくあることだ。だとしても、あの父親の娘がという驚きもあった。


(怖いもの知らずだと思ったんだがな)


 同じ瞳をしていても、やはり男と女の違いは大きいのだろう。経験上これが普通の反応だと思うと、なんとも複雑な気分になる。


 もちろん、シェーラはディーに萎縮したわけではない。強面の獣人族なんて、モンテでは珍しくもなんともない。ただ、ディーがどこまで関わっているのかわからないので、どう聞き出せばいいのかわからないだけだ。迂闊なことを言って、藪蛇になるわけにいかない。絶対に。


 下手なことを言ってこれ以上怖がらせたくないディーと、とりあえず切り出したはいいもののなんと言葉が見つからないシェーラ。

 気まずい沈黙に巻き込まれたスウォンは、しばし二人の様子を見比べて戸惑っていると、不意にシェーラの懸念に気がついた。


「飛び跳ね亭の店主夫妻たちのことなら、心配いらないよ」

「本当?」

「うん」


 パッと顔を上げたシェーラは、しかし不安そうだ。

 無理もないと、スウォンは小さく息をつく。


 シェーラの懸念は、王都までの不法乗車の手引きをした飛び跳ね亭の店主夫妻をはじめとしたモンテの人たちのことだ。

 王都を守護するかの有名な光鎧騎士団が、わざわざ王都を離れ、スウォンが乗る貨物列車を把握して確保に来たのだ。手引きをしたのが誰かも、知っているかもしれない。少なくとも、モンテから乗り込んでいたことはバレているはずだ。


(あたしたちだけで潜り込んだってことになっていれば、一番なんだけど)


 不忘卿の依頼で迎えに来たという英雄が、どこまで把握しているのか。シェーラにわかるはずがない。だから、下手におかみさんたちのことを口にできなかった。


(でも、スウォンだっておかみさんたちの心配いらないなんてわからないはずじゃ……)


 なぜ心配いらないなどと言い切れるのだろうか。賢いシェーラがスウォンの言葉を信じられないのも、当然だろう。

 信憑性に欠けてることは、スウォンもよくわかっていた。もちろん、心配いらないと言えるだけの確信も根拠もある。あるけれども、彼女に根拠を話すわけにはいかない事情がある。


「詳しいことは話せないけど、僕が保証する。……そうだ! 王都に着いたら、手紙を書いたらいい。返信用のお金も僕が出すから。あの人たちも、シェーラのことを心配してるだろうし」

「……わかった」


 一瞬、顔が一層曇ったような気がしたけれども、シェーラはようやく安堵の表情を浮かべて肩の力を抜いた。


 結局、自分抜きで話が終わってしまったらしい。ディーはなんの話だったのかスウォンに目で尋ねけれども、曖昧な表情ではぐらかされた。何か察したのか、特に気分を害することなく、ディーはニヤリと笑う。


「しっかし、お前が女を連れて帰ってくるとはなぁ」

「そんなんじゃないから!!」


 反射的にこれほど大きな声が出てしまうとは、スウォン自身も驚いた。しばしの気まずい空気が流れる。


「…………僕の友人だから。そうだよね、シェーラ」

「うん」


 いまいちわかっていないシェーラは、それでもなんとなく頷かなければならない気がした。


(友人、ねぇ)


 ディーは、スウォンの耳たぶがほんのり赤くなっているのを見逃さなかった。友人の息子に遅い春が来たかと微笑ましく思うと同時に、なぜよりにもよってシェーラ・マークスなのかと、苦いものが込み上げてくる。

 それからしばらくスウォンとひとしきり話し込んだディーは、走る装甲車から降りて彼専用の装甲車に移った。




 夜。

 燃料補給のため、農村の外れの草地で長めの休憩を取ることになった。座りっぱなしの体をほぐすように、ほとんどの人が外に出ていた。もちろん、スウォンもだ。

 三台のうち、一台だけ離れてひっそりと停まっていた装甲車を見つけた彼は、人目を避けるようにそそくさと近づいた。

 他よりも若干大きいその装甲車の運転席の窓から、中の様子をうかがおうとしたけれども、不自然なほど暗くて早々に断念した。しかたなく、後部扉の前に回り込んだ彼は、しばし考えこんだ。


「やぁ、ルクス。久しぶり。僕だよ、スウォン・クラウド。〈回路辞典コードブック〉のスウォンで、シオンの一人息子だ。君のマスターと話がしたいんだ。中に入れてもらえないかな」


 周囲に人の目がないことを確認して装甲車の中に向けてと言うには小さな声でささやきかけると、静かに扉が開いた。端から見れば大げさなほど安堵して、装甲車に上がり込んだ。

 ルクスを相手にするのは、いつだって気疲れからしかたない。


 スウォンの予想通り、中にはディーが一人。シェーラの甲冑に向き合うようにスキットルを片手に腰を下ろしていた彼に並んで、甲冑を見上げた。


「僕はずっとこれは父さんが使ってたと思い込んでた。でも、違ったんだね」

「……」

「イド・マークス」

「…………」


 ディーはため息をつくばかりで口が重い。とはいえ、スウォンを無視しているわけでもなかった。ただ、容易に言葉にできない何かがあったのだろうと察するに余りある。


(シェーラのお父さんは、やっぱり特別なんだな)


 これで根拠なき確信が、真実となった。

 父シオンと同様に遠征当時の話をしたがらないディーから、無理に話を聞き出そうとまでは考えていなかった。ディーにとっても、青天の霹靂とも呼べる不忘卿からの依頼でスウォンを迎えに来ただけだったところに、予期せぬ過去ととの遭遇。さすがの彼でも、平静でいられないのだろう。彼のことを知るスウォンから見れば、昼間のシェーラに声をかけられるまで視界にも入れないようにしていたのは、明らかに普通ではなかった。


(そっちは、おいおいでいいか)


 甲冑の主のことは、そのうち聞ければそれでいい。今、話さねばならないことは、他にある。


「ところでさ……」

『イド・マークス。人族。性別男。死ぼ……』

「黙れ、ルクス!!」


 本題に入ろうとしたスウォンに割り込んだのは、男とも女ともつかないくぐもった抑揚のない声。どこからともなく聞こえてきた第三の声に、スウォンは驚きはしなかった。

 れまで陰鬱な顔だったディーが髪が逆立つほど怒りをあらわにして背後の壁に裏拳を勢いよく入れた音のほうが、驚きだった。見た目や言動から誤解されがちだけれども、ディーは理性的な獣人だ。その彼がここまで感情をあらわにするとは。


「余計なこと言うんじゃねぇよ」

『マスター、ですが……』

「ですがじゃねぇよ。空気読め、ポンコツが」

『しかし……』

「だ、ま、れ」

『…………』


 姿なき声の不服にしているのが、なぜかスウォンに伝わってくる。ディーがいまだに髪を逆立てているのもあって、居心地悪いことこの上ない。


「教えてくれようとして、ありがとう、ルクス。ディーの心の整理がつくまで待つから、気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」

『スウォン・クラウド博士、このルクスは自律兵器の人工知能です。気持ち、感情等の機能はありません』


 スウォンは思わず脱力してしまった。横目でディーを見ると、彼も怒っているのが馬鹿馬鹿しくなったのかなんとも言えない顔をしている。


「いったい、いつからルクスがこんな面白くないジョーク言うようになったの?」

「知るか」

『このルクスが、いつジョークを言いましたか?』

「…………」


 二人とも、もう何も言いたくなくなった。


(そういえば、王都についたら会わせたいって、シェーラに言っちゃったよ)


 なかったことにしたいと、スウォンは切実に思った。


 自律型兵器の人工知能を自称するルクスこそ、魔王討伐遠征で英雄たちが持ち帰った(ディーに言わせれば、勝手についてきた)ドワーフの遺産だ。

 ドワーフの地下王国で遭遇した大型兵器などと公表しようものなら、新たな戦乱の火種なるのは明らかだ。そのため、遠征の最中に錬金術師のシオンが発明した大型甲冑と世間に公表している。ちなみに、騎士団の他の十二の大型甲冑は、ルクスを模してスウォンが設計した魔石機械だ。

 お飾りの光鎧騎士団の真の役割は、ルクスの正体を偽装することだ。

 もっとも、そんな王宮の思惑など、ルクスにいくら教えても学習しようとしない。おかげで、本体の大型甲冑だけでなく、複数の魔石機械を乗っ取って動かしている。この装甲車もそうだ。

 魔石工学の専門家として、ルクスに対して思うところはたくさんある。けれども、真面目に考えるだけ馬鹿を見るだ。

 なおルクスについて知っているのは、騎士団にも王宮にも数えるほどしかいない。人工魔石と同レベルの最重要国家機密だと、スウォンはよく知っていたにもかかわらず、迂闊なことを言ってしまったわけだ。


(あぁ、王都についたら片づけないといけない問題が山積みじゃないか)


 国王裁判で無罪を勝ち取ったあとも、しばらくは頭を抱える日々が続きそうだ。とりあえず、今からでも問題の山を少しでも切り崩していかなければ。

 スウォンは軽く首を振って、あらためて本題を切り出した。


「ところでさ、ディーに僕を迎えに行かせたのは、叔父上じゃない。あの依頼書は、叔父上が書いたものじゃない」

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